M.M ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編
この「ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編」は、先に発売された「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」「ひぐらしのなく頃に 祟殺し編」「ひぐらしのなく頃に 暇潰し編」「ひぐらしのなく頃に解 目明し編」「ひぐらしのなく頃に解 罪滅し編」「ひぐらしのなく頃に解 皆殺し編」の続編となっております。その為レビューには「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」「ひぐらしのなく頃に 祟殺し編」「ひぐらしのなく頃に 暇潰し編」「ひぐらしのなく頃に解 目明し編」「ひぐらしのなく頃に解 罪滅し編」「ひぐらしのなく頃に解 皆殺し編」のネタバレが含まれておりますのでご注意願います。
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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
10 | 9 | 7 | 94 | 12〜14 | 2017/7/29 |
作品ページ | サークルページ |
<人を信じ赦せる事、それは奇跡を生み出し罪を認める事に欠かせない事。>
「敗者なんか、この世界にいらない。」
振り返ってみれば登場人物の誰もが死なない結末でした。そしてその結末は梨花と羽入を始め全員が願った結末でした。この作品の主題ともなっている「人と連帯して困難に立ち向かえば乗り越えられないものはない」というテーマを体現したものであり、全員の決死の努力と諦めない心が生み出した結末でした。人はそれを奇跡と呼ぶのかも知れませんけど、全ては綿密に準備を行い計画された必然でした。この作品を通して奇跡というものの尊さと信じる事の大切さを、そして罪というものの考え方を再考させられた気がします。
「皆殺し編」の最後でついに正体を現した鷹野。作中におけるラスボス感がよく演出されており、鷹野を押さえることがこの作品のゴールのように感じました。ですが同時にそれだとしっくりこないと思った自分がいました。「鬼隠し編」から「目明し編」までは必ず誰かが疑心暗鬼に陥り誰も信用できないままに人を殺してしまう結末でした。そしてその先に約束された雛見沢大災害。全てはこの繰り返しであり、ここ作品はそれぞれの編から共通項を見つけ出して真相を追求する物なんだなと思いました。ですが「罪滅し編」では始めこそレナが疑心暗鬼に囚われ学校を襲撃しますが、圭一を始めみんなの決死の努力でそれは回避されました。初めてこれまでの編と展開が変わり、努力によって運命を変える事が出来る事を知りました。「皆殺し編」で途中沙都子を鉄平から取り返す時に、圭一が徐々に連帯を広げていく様子を見て「これはもしかしたら雛見沢村全体を巻き込む可能性もあるかも知れない」と思っている自分がいました。運命を変えられるのであればそのくらい出来ないとね!とも思いました。結果雛見沢村全体の力で沙都子を助け出すことに成功しました。だからこそ思ったのです。鷹野を押さえてのハッピーエンドって、有り得ないんじゃないかって。
「祭囃し編」の冒頭、鷹野の生い立ちが語られました。幸せだった幼少期の突然の終焉、そして過酷な施設での生活。自分が生き残るために高野を頼り、そして救ってくれた事に感謝するのは当然の気持ちでした。そしてそんな高野が生涯かけて研究した事を後世に残したい、そして高野の研究を足蹴にした者たちに復讐したい、これもまた当然の気持ちでした。この時思いました、鷹野もまた救われるべき存在なんだなと。全ての罪を鷹野に押し付けてそれで迎えるハッピーエンドなんて有り得ないなと。全員の意志によって運命を変えられるのであれば、鷹野を殺さずしてハッピーエンドになる運命もあって良いのではないのかと思ったのです。梨花や羽入を始め部活動メンバーが望んだ事は「敗者のいない世界」です。そこには当然鷹野も含まれているのです。
そして、敗者のいない世界には鷹野のみならず全ての登場人物が含まれておりました。そしてそれら全員の想いは全て羽入が見届けており、全て記憶の欠片として蓄積されておりました。祭囃し編に入る前に振り返った50+1の記憶の欠片、それは雛見沢の歴史を表裏含めて振り返るだけではなく、そこに関わっている全ての人間の想いをも振り返るものでした。梨花や羽入を始めとした部活動メンバーだけではなく、富竹や入江や鷹野、そして大石や赤坂にも譲れない想いがあり過去がありました。そうした一人一人の想いが、歪み捻じ曲げられたことで起こったのが雛見沢大災害だと思っております。大局的に見れば全ての元凶は鷹野でありその鷹野を裏で牛耳っていた「東京」とアルファベットプロジェクトかも知れません。それでも、雛見沢にいる人たちが周りと本当の意味で連帯していれば、この惨劇は充分防げたのではないかと思っております。
そんな多くの人の想いと歴史の表裏を全て確認し、同時にそれに関わっている全ての登場人物が揃った事でようやくスタートラインに立つことが出来ました。雛見沢大災害を起こさない為に、そして敗者のいない世界を目指すために全員が全力で考え行動しました。自分が嬉しいと思ったのは、羽入も梨花も出し惜しみをしなかった事ですね。ここで本当の事を言っても信じてもらえないかも知れない、言っても無駄かも知れない、そんな気持ちを抱えながらも悩む事なくすぐに告白し助けを求めました。結果として部活動メンバーは真面目に取り合ってくれ、その情報を元にして富竹、入江、赤坂、大石の信頼も勝ち取ることが出来ました。全ての欠片を集め全ての登場人物を揃えただけではまだスタートライン、その中で全員が全力を出すことで迎える事ができた結末でした。
そして、全員で考え行動した結果導き出された作戦成功条件は「緊急マニュアル第34号」を発動させないことでした。そしてその条件を満たすために必要だった事は「梨花が死後48時間警戒しても雛見沢村民が末期症状を発生させないこと」「その間に入江機関を無力化する事」でした。目指すべき条件が定まったのなら、後はその目的に向かって全力で取り組むだけですね。これはひぐらしのなく頃にだけに限らず何でもそうだと思うのですけど、物事って目的がハッキリすればあとは割と簡単に行動できると思っております。人生で悩み葛藤する時って、肝心の目的が分からないからという事が往々にしてあると思います。自分は今何をしたいのか、何でこれを行っているのか、それをハッキリさせる事が大切だと改めて思いました。そして目的達成のために全員で協力する、全員を信頼することの大切さも見せてくれました。個人的に象徴的だったのは「大石が梨花の死を捏造した場面」「梨花が井戸の底から山狗に単身投降した場面」「部活動メンバーだけで裏山に篭った場面」でした。これらは全て自分ひとり頑張れば出来ることではありません。周りの人を絶対的に信頼しなければ出来ない事です。自分の命や人生がフイになってしまうかも知れない。その恐怖とそれ以上の信頼の結果が伴った行動でした。
さて、「祭囃し編」のシナリオを振り返るのはこの辺りにしてここからはこの「ひぐらしのなく頃に」という作品全体を見て感じた事を書こうと思います。作品全体を通して伝えたかったこと、それは奇跡・信頼・罪にあると思っております。結果として、奇跡が起きた事はありませんでした。ただ一度起きたとすれば、鷹野が撃った弾丸を梨花が絡め取った場面だけでした。全ての結果は奇跡などではなく必然であり、全ての人が考え行動した結果でした。途中誰もが自暴自棄になり、起死回生の一手を信じて単身行動してしまいました。ですが編を重ねていく中でそうした行動は無くなっていき、周りの人を信頼し協力していく事で問題を解決していきました。スタッフロールでこの流れを「システム化された奇跡」と言っておりました。奇跡というものは、もしかしたらこうした人と人との信頼の結果の事を言うのかも知れませんね。
そしてもう一つ目をそらしていけないのは罪についてです、どの編を歩いても必ず誰かが死んでしまいます。同時にこれは誰かが誰かを殺したという事実が残るという事です。そして人を殺した人がその後幸せになったという結末は、一つもありませんでした。「鬼隠し編」や「祟殺し編」で魅音・レナ・鉄平を殺した圭一も、「綿流し編」「目明し編」で多くを殺した詩音も、最後は疑心暗鬼に囚われ自らの命を散らしてしまいました。自分の叔母を殺した悟史も、やはり疑心暗鬼に囚われてしまいました。鷹野もまた物語の最後、自分には何もなかったと人生を悲観しておりました。作中で罪は人に裁けるものではない、自分で裁くしかないと言っておりました。人からどれだけ「大丈夫だよ」と言ってもらっても、それは何も慰めにはならないのです。
それでも周りが出来るのは相手の罪を赦してあげること、正確に言えば相手が罪を償おうとする気持ちを尊重してあげる事だと思いました。それは鷹野の罪を赦してやり直そうと声をかけてくれた富竹や羽入、他にも北条家を冷遇してしまった園崎本家にも通じる事だと思います。人には許されない罪などない、どんな罪でも気持ち一つで許されることもある、そこには見栄もプライドも必要ない、そんな気概も感じました。時間は掛かると思います、そう簡単に気持ちを切り替えることなど出来ないと思います。それでも時間を掛けて、再びみんなが素直に笑い合える雛見沢が帰ってきれくれればと願います。せめて、鷹野が田無美代子として再び人生を歩み出すまで、悟史が目を覚まして沙都子にぬいぐるみを手渡すまで、その姿くらいは見てみたいと思いました。
そろそろ締めようと思います。60時間超えの超大作でしたが全く飽きることなく最後まで突っ走る事が出来ました。始めはミステリーホラーの様相全開で恐怖と謎を追いかける事に集中しておりましたが、途中からその裏側に隠されたテーマや人の気持ちなどが見え隠れしてきました。謎を追いかけながら、そして登場人物の気持ちを追いかけながら、次第に自分もまたこの雛見沢の一員になったかの様に振る舞えたことが嬉しかったです。「鬼隠し編」の始まりに賑やかな部活動で始まった本作は、「祭囃し編」の最後も裏山をフィールドとした賑やかな部活動で締めくくられました。この当たり前の日常を取り戻すことがこのひぐらしのなく頃にという作品の目指したものだったのかも知れません。物語の見方を変え、視点を変え、裏表もすべて理解して、全ての人を赦してあげる。それが出来たら、私もこのひぐらしのなく頃にという作品を卒業できるのかも知れません。社会現象にまでなった本作、完結してから10年以上経過してのプレイでしたが色褪せることなく楽しませて頂きました。折を見て振り返った時、雛見沢を懐かしく思える日が来る事を願ってレビューの終了としたいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。