M.M ひぐらしのなく頃に 暇潰し編




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 8 - 83 3〜4 2017/7/20
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 この「ひぐらしのなく頃に 暇潰し編」は、先に発売された「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」「ひぐらしのなく頃に 祟殺し編」の続編となっております。その為レビューには「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」「ひぐらしのなく頃に 祟殺し編」のネタバレが含まれておりますのでご注意願います。

「ひぐらしのなく頃に 鬼隠し編」のレビューはこちら
「ひぐらしのなく頃に 綿流し編」のレビューはこちら
「ひぐらしのなく頃に 祟殺し編」のレビューはこちら

※このレビューにはネタバレしかありません。本作をプレイした方のみサポートしております。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。





















































































<4つのクロスオーバーした物語から導き出される因果は何なのか。そしてその先にどのような物語が待っているのか。>

 すみません、始めに「祟殺し編」でのネタバレレビューの訂正から入ります。レビューの中で『私は「鬼隠し編」「祟殺し編」と「綿流し編」で明確に線を引けると思っております。』と書き、その理由の一つとして『特に富竹は出店で射的をしている部分と祭事殿の前で見張りをしている部分が重なりますからね。』と書きました。ですが、「鬼隠し編」のレビューの中で『ですが、圭一に限らずレナや富竹にも共通する様子を見る限り』と書いてました。これって「鬼隠し編」の中でレナも富竹も足音の存在を感じていたという事、つまりはレナも富竹もクロスオーバーしていた可能性があるという事です。そうであるならば「鬼隠し編」と「綿流し編」もクロスオーバーしているという事、トータルで見れば「鬼隠し編」「祟殺し編」「綿流し編」の3編がクロスオーバーしているという事です。逆にこれでスッキリしました。どの編も平等に扱わなければ、公平な分析なんて出来ませんからね。問題編プレイ中に気付いて良かったです。

 そして今回プレイした「暇潰し編」、これまでの編と違い昭和53年に起きた一つの事件からの掘り下げでした。圭一もレナも登場しません。主人公は新米の公安である赤坂衛と大石蔵人。これまでの編の中で最も雛見沢村の生々しさを感じる事が出来ました。同時に大石が本気で雛見沢の連続怪死事件を解決したいという気持ちを持っている事も知ることが出来ました。これまでの編で一番直球なシナリオ、暇潰し編というタイトルとは裏腹に非常に重要な位置づけを担っていると思いました。そして、この「暇潰し編」もまたこれまでの3つの編とクロスオーバーしているみたいです。これについては下で書きますが、これで問題編と呼ばれる4つの編が全てクロスオーバーしている可能性が出てきました。後はこの4つの編で上がった謎と共通点を見極め、解決編でどのように矛盾なく仕上げてくるか楽しみですね。

 「暇潰し編」の中での謎はひとつだけです。恐らく他の皆さんにとってもこれしかないのではないかと思っております。

・「梨花が未来の事を予言した=何者かが事件を計画している」と大石は何故ハッキリと紐付け出来たのか。

 昭和60年の北海道で再会した赤坂と大石。その会合の中で明らかにされた梨花の予言。それを聞いて再び事件解決のために立ち上がった2人。ここまで見れば少年漫画のような熱い展開であり誰もがテンション上がることと思います。同時に死ぬ事を予言された梨花が無念命を落としてしまった事に対する雪辱の気持ちも湧き上がった事と思います。ですが、そもそも梨花の予言には何も根拠がありません。ただの世迷い事と一蹴する事が出来てしまいます。ですが、事実梨花の言葉の通り事件は発生し梨花は殺されてしまいました。そして、これが何者かによる計画的な事件だというのです。となりますと、梨花は自分を殺すという事を誰かに聞かされたという事になります。ちなみに、自分が殺されるのに何故抵抗しなかったのか?という議論はここでは無意味です。大切なのは、大石が確実に人の手による事件だと確信しているという点です。

 梨花はオヤシロさまであり未来を見通す能力もしくは未来を決める能力がある、これも否定出来る事ではありません。梨花が赤坂に向こう5年に起こる悲劇を予言し確かにその通りに事件は起きました。あのような惨殺な事件をハッキリと予言する、そんな事特殊な力を持っていなければ不可能のように思えます。特に赤坂に対して「東京に帰れ」と促した梨花はまるで別人のようであり、事実赤坂の妻である雪絵は階段から落ち帰らぬ人となってしまいました。雪絵の死に雛見沢の人間が関係しているとはとても思えません。やはりオヤシロさまは存在し、梨花はそのオヤシロさまそのものの存在なのでしょうか。

 とまあ梨花=オヤシロさま説を唱えましたが、既にこの事自体が無意味である事は皆さんお分かりかと思います。梨花がオヤシロさまである、そして全ての事件はオヤシロさまの力によるものである、これではミステリーが破綻してしまいます。「祟殺し編」のレビューの中で『もうこの作品はファンタジー要素のない純粋なミステリーや歴史モノでない事は明白です。』と書きましたが、それでもプレイヤーに推理の要素を持たせ何かしら一定の辻褄合わせが出来ていないと作品として成り立ちません。全ての事象を注意深く見つめ直せば必ず答えが見えてくる、オヤシロさまの祟りなどではない人間の手による事件である、「鬼隠し編」のレビューでも書いたことですが今でもそう信じております。何よりも、圭一も赤坂も大石もそれを望んでおります。「どうかこれを読んだあなた。真相を解き明かしてください。それだげが私たちの願いです。」事件を迷宮入りさせるのは簡単です。ですがそうではない事を確信している人たちがいて、その想いを受け継がなければいけないのです。それが私たちプレイヤーの勤めだと思っております。

 かと言って、大石がこうも断定的に「何者かが計画した事件だ」と断定する理由が分からない事も事実です。大石は途中までは人間の手による事件であると確信していませんでした。ですが、これらの事件が「梨花が予言した」という事実を聞いて確信へと至っているのです。何故でしょうか。梨花の口から語られたという事実にどういう意味が込められているのでしょうか。現在の雛見沢において古手家の力は決して強くはなく、実質的に園崎家の独占という状況です。それは例え梨花が事件を起こせと村人に命令してもそうはならないという事を意味します。それでも梨花の予言の通りに事件は起きた、そしてそれを人間の仕業だと大石は確信した、もう一度雛見沢の歴史と人間関係を洗い出した方が良いのかも知れません。

 そしてこの「暇潰し編」ですらクロスオーバーした物語の一つであるという事も大切です。「祟殺し編」において、大石は火山性ガスに巻き込まれる前に既に行方不明となっております。ですが「暇潰し編」ではご覧の通り生きており余生を過ごしております。つまり「暇潰し編」と「祟殺し編」もまた違う時間軸の物語であるという事、大石がの生死を分けたのには何か理由が有る気がします。それぞれの時間軸で起きた出来事は全てが事実であり全てが本物。それでもその因果だけが分からない。このひぐらしのなく頃にという作品は、全ての編で起きた事実の因果を探す作品なのかも知れません。

 これでいよいよ問題編は終わりです。ここからは解答編です。リアルタイムで追っていた方たちは、自ら謎に挑んだり掲示板での投稿で盛り上がったりとあらゆる角度からこのひぐらしのなく頃にという物語を楽しんだ事と思います。私がこの作品で期待していること、それは全ての疑問が解決する事以上に因果を突き止めた先にどのような結末が待っているのかという事です。再び圭一を始めクラスの皆と楽しく部活動する日常が帰ってくるのか。火山性ガスなんて発生せずいつまでも長閑な雛見沢村が存在し続けるのか。そもそもダム計画など起きず誰も対立する事のない日常が待っているのか。もっと言えば、オヤシロさまの歴史すら存在せず人を食べる鬼の風習すら無くなってしまうのか。因果はどこまで遡るのか、そしてそれを突き止めた先に何が待っているのか。それを確認しようと思います。


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