M.M ゼロの使い魔 インプレッション


6、ゼロの使い魔6 〜贖罪の炎赤石〜

2008/8/8更新


 さて、短編集も終わり再びシナリオが大きく動き出しました。それに伴い大事な人を失う事になりました。という訳で「贖罪の炎赤石」の感想です。

 すばらしい名言が出ました。

「慣れるな。」
「人の”死”に慣れるな。」
「戦に慣れるな。」
「殺し合いに慣れるな。」
「”死”に慣れるな。」

この言葉、貴族が自分の名誉を守るために戦う世界「ハルケギニア」の中では理解されない言葉かも知れません。何故なら、このハルケギニアの中で争いや戦いは日常的な事、つまりそれだけ「死」という物が身近に感じられる世界なのです。そして、それだけ「死」を身近に感じてしまうならばいつか必ずそういう状況に「慣れて」しまうものです。これは何もハルケギニアだけの話ではありません。私達の日常生活の中でも十分当てはまる事です。地元を離れて一人暮らしする事に多少の戸惑いを感じていた事ももはや遥か昔の事のようです。という訳で、身近にあるものに慣れてしまう事は必然なのです。

 それでもコルベール先生は言います。「慣れるな」と。コルベール先生は悟ったのでしょう、名誉の為に人の死が軽く見られること儚さを。そしてそれは、自分の名誉の為に散々人を殺したコルベール先生だからこそ悟れた事なのかもしれません。しかし、そんなコルベール先生を他人は臆病者扱いします。まあ当然ですね。人の死より名誉が優先されるこのハルケギニアにおいて、最高の名誉を上げることの出来る戦争に参加しようとしなかったのですから。これは説得するとかそういうレベルでは覆せない現実です。私達が何故働くかくらい愚かな質問です。

 そして、この人の死より名誉が重んじられる社会はかつての日本でもありました。それも戦争という場面です。当時の男は自分の命よりも国の勝利の為に戦いました。そして、たとえ戦死しても成果を残せばそれで良いという世界でした。ですが、実際戦争が終わって人の心に残ったのは大きな悲しみだけでした。それは戦争に負けたからではありません、自分の家族や知り合いが多く死んでしまったからです。これがもしかしたら他人だったらそこまで悲しくなかったかもしれません。ですが、知人となると一気に死が身近になりそれだけ悲しみも大きくなるのです。

 おそらくルイズを始めとした魔法学院の生徒はそういう意味で戦争による本当の悲しみを知らないのでしょう。だから人の死より名誉の方が大事だと自信を持って言えるのです。さて、果たしてこれが自分の身近な人に起きた時、心の中から「名誉の戦死だ」「ずばらしいことだ」と思えるのでしょうか。これかたアルビオンとの戦争が本格化していくなか、おそらくこういった部分に焦点を置いたシナリオが展開されると思います。その時ルイズや才人はどう思うのでしょうか、実に楽しみです。

 それにしても、この「慣れるな」という言葉はその言葉以上に私の心にも響きました。慣れる事はそれだけ変わる事です。私は自分の好きなものには常にそのままで変わって欲しくないと思っています。例えば友人関係、地元の風景、価値観などです。ですが、それは常に時間が進んで過去には戻れないこの世界にいる以上叶わぬ事です。そういう意味で、この慣れるなという言葉には深く考えさせられる物がありました。たとえ世界の変化は止められないとしても、自分の中で捨てられない思いとか感情とかそういった部分はその時々の生活に「慣れず」いつまでも変わらずにありたいものです。

 という訳で、今回はこのコルベール先生の「慣れるな」という名言に焦点を置いてみました。他にもラ・ヴァリエール一家とか色々と書いてもいい事があったのですが、あんなののレビューなんてとてもとても出来ません。あの辺りは人のレビューなんて読むもんじゃありませんね。自分一人読んで勝手にニヤニヤできればそれで良いのです。そんな、コミカルな部分とシリアスな部分の共存した「贖罪の炎赤石」でした。


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