M.M ゼロの使い魔 インプレッション


1、ゼロの使い魔

2008/3/9更新


 作者であるヤマグチノボルの言葉より…

「ファンタジーというのはロマンなのです。ロマンが詰まってナンボなのです。ロマンはいつだって僕の胸をはやらせ、加速させてくれるのです。」

その言葉通り、本当にロマンに満ちた物語でした。

 もし自分がこの様な異国の世界に来てしまったら、主人公の平賀才人の様に強く生きれたでしょうか。こればっかりはとても想像できません。なぜなら、こうした第三者の視点としてこういったファンタジーの物語を読むだけでは彼の心理まではとても読み取れないからです。しかしだからといって彼の体験を私が出来るかと言ったら、それもまた不可能な話です。ファンタジーは、おそらくこういった矛盾とジレンマがあってこそ成り立っているのだと思いました。そして、それこそが「ロマン」の正体なのではないかと思いました。

 異世界ハルケギニアを支配しているのは「魔法の使える貴族」と「魔法の使えない平民」という社会構造です。この社会構造は、かつての日本を始め世界中どこでも存在していました。それは「魔法」という意味ではありません、同じ人間なのに「身分」が違うという意味です。今考えますと、こういった身分制度の世界はもはや歴史の中にしか登場しないファンタジーのような世界になっています。ある意味、これも「ロマン」と言えるのかもしれませんね。

 そして、今回私がこの「ゼロの使い魔」を読んで一番心に残った事はまさにこの身分制度の中で生きる人達の「誇り」についてでした。身分制度、正直実感が沸きません。ですが、貴族と平民という身分を持った人たちはそれぞれがそれぞれの身分に対し「誇り」というものを持っていました。ヒロインのルイズですが、平賀才人のような身分制度を知らない人間にとっては全くもって理解できない性格と発言でしょう。可愛いだけで済まされるのは私や平賀才人位なもんです。ですが、そんなルイズは貴族であるということに本当に誇りを持っていました。そうです、身分が上だという事はそれだけ背負っているものも大きいのです。だから、貴族はあれだけ自分や自分の親族の「誇り」というものをこんなにも大切にするのです。彼らにとって貴族であるということは、自分が如何に気品があり能力があり力を持っているかという事を他に示さなければいけないという事なのです。

 そういう意味からすると、魔法の使えないルイズが周りの人間から「ゼロのルイズ」と馬鹿にされるのは、実はすごく当たり前の事なのです。身分制度が支配している世界では、貴族間で争うことは凄く真っ当なことなのです。だからこそ、ルイズはいくら周りの人から馬鹿にされても決して挫けず、自分の誇りを守るためにあんなふうに強く突っぱねるのです。たとえ本当に魔法を使えなくても、ああやって突っぱねていかないと生きてはいけない社会なのです。

 そんな中、平賀才人はギーシュとの一戦の最中に叫びました。

「下げたくない頭は、下げられねえ」

そうです。平賀才人の様に身分制度が無いような世界の人間でも、自分の誇りだけは捨ててはいけないのです。平民は平民の、商人は商人の、それぞれがそれぞれの誇りを大切にして生きているのです。そんな、人間一人一人が自分の誇りと尊厳を守って生きている世界、それが異世界「ハルケギニア」の真実なのです。

 この第一巻では、このハルケギニアの世界観を中心に貴族と平民のあり方等、概要的な部分が主だったと思います。後半は「土くれのフーケ」にまつわるエピソードがありましたが、これもどことなく短編集という感じでした。この「ゼロの使い魔」の真の面白さはこれからの巻からだと思っています。あくまで第一巻は世界観紹介という意味合いがメインだったのでしょう。そんな「身分制度」と「誇り」が支配する「ハルケギニア」での物語、これからが凄く楽しみです。


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