M.M 雪子の国




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
9 8 - 88 9〜10 2017/10/15
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体験版

フリーゲーム夢現



<ありとあらゆる要素が天狗の国を演出するエッセンスであり、無駄なものなど1つもないテキストに感動しました。>

 この「雪子の国」は同人サークルである「スタジオ・おま〜じゅ」で制作されたビジュアルノベルです。スタジオ・おま〜じゅさんが展開している「”国”シリーズ」の第三弾でして、天狗の国という人間世界と隔絶した国に関わった人たちにスポットを当てた物語群です。第一弾である「みすずの国」、第二弾である「キリンの国」もそれぞれ天狗の国に関わった人たちの物語ですが、時間も場所も少しずつ違っております。多方面から物語を紐解いていく事で徐々に天狗の国の真実が分かってくる仕掛けがとても面白く、同時にそれぞれの物語でリアルに描かれる登場人物と背景描写が非常に印象的です。各タイトルで完結しておりお互いにネタバレは殆どありませんが、登場人物が重複している事もありますのでお時間があれば是非「みすずの国」「キリンの国」の順番でプレイして頂き、天狗の国への愛着を深めてからプレイして頂ければと思います。

「みすずの国」のレビューはこちら
「キリンの国」のレビューはこちら

 今回レビューしている「雪子の国」は、前作である「キリンの国」から10年以上未来の話となっております。主人公であるハルタは悠々自適に生きている普通の高校生です。東京都内の進学校で日々受験勉強に勤しんでおりましたが、ある日突然「故郷留学」という留学生を受け入れるホームステイ制度に応募しました。ですがこれも何か考えがあっての事ではありません。殆どノリと勢いでの行動でした。東京という大都会から地方の片田舎へ、そしてこの留学先でハルタは1人の女の子と出会う事になります。名前は「雪子」。この天狗の少女との出会いから、物語が動き出していきます。そしてそれはハルタが考えている以上に刺激的で、そして苦しくも楽しい日々の幕開けだったのです。

 この作品の魅力、正直一言で言い表すのはとても勿体ないです。人物描写・世界設定・テキスト・背景描写・BGMと効果音の使い方、その全てが丁寧であり綿密に検討されて作られております。それぞれの要素が魅力的なのは勿論であり、そしてそれが絶妙なバランスで組み合わさっているのです。そしてその組み合わせで表現されるこの「国」というものがこの作品の魅力です。一言で言えば「国」、こんな身も蓋もない物言いはレビューとして許せませんね。ですがこれこそがまさにビジュアルノベルという作品の成せる技であり、全てのエッセンスをこの「国」というものを表現する為に集約している事が素晴らしいと思いました。よくぞここまで焦点を合わせてくれました。見事だと思いました。本当に、この”国”シリーズが好きなんだなとハッキリと伝わりました。この感覚は、実際に作品をプレイして頂かないと伝わりませんね。ビジュアルノベルを語れるのはビジュアルノベルだけです。私のテキストなどサラッと流して直ぐにでもダウンロードしてプレイして頂きたいです。

 その中でも私が特に印象に残ったのは「テキスト」です。この作品、テキストの半分以上は会話で構成されており、残りの半分以下の地の文の多くも登場人物たちの心理描写を書いております。場面描写が殆どないという事です。その為時間の進み方がとても遅く、その分1日1日の長さをじっくりと噛み締めることが出来ます。そしてこの会話テキストがとても魅力的です。機械的ではない、人間的な無駄ばっかりの会話がずっと繰り返されます。そうして純粋に会話の時間のみを費やしてお互いの為人を理解していくのです。登場人物の説明に対して「この人はこういう性格です」とか一言も出てきません。登場人物について理解するのはいつだって第三者であり、プレイヤーであるあなたなのです。そしてそれら登場人物達がそれぞれの人生を生きているのです。物語にはどうしても主人公と主要な役割の人物がおります。サブキャラもモブキャラもいます。ですが、全ての人物にちゃんと人生があるんだなと感じる事が出来るのです。そしてそれを表立って説明しないのです。全て内からにじみ出てくる僅かな上澄み、それを丁寧に救い取る事がこの作品をちゃんと理解するポイントであり、それだけの力がテキストに込められております。

 その他の特徴として、立ち絵とスチルの豊富さが挙げられます。この作品、立ち絵のバリエーションが非常に多いです。ちょっとした表情差分や顔色の違い、手の動きや服装など、組み合わせだけで何十何百とあるかも知れません。然程重要ではないと思われるシーンでも丁寧に一枚一枚を使い分けており、場面場面を正確に表現しようとする丁寧さが伝わります。是非スチルの数を数えてみてください。数える事が出来ないと思います。見事だと思いました。そしてスチルにつきましても同様です。時に水彩画のように、時に白の背景に人物だけ、ダイナミックな構図もあればシンプルなものもあり、その時その時の情景を鮮やかに描き出しております。いわゆる人物を魅せるスチルではないんですね。テキストだけでは表現しきれない溢れ出す想い、そういう場面でのみスチルが登場してきます。その為、プレイ終了後にスチルを振り返ると興奮というよりは温かさが蘇ってきます。形式的ではないんですね。「はい、ここは盛り上がるところです。」とパターン的に提示される美少女ゲームのスチルとは違ったもの、その全ては物語をベースにしております。そんな豊富な立ち絵とスキルもまた楽しんで頂ければと思います。

 プレイ時間は私で9時間20分程度掛かりました。同人ビジュアルノベルの平均としては非常に長いです。ですが、この長さの中に無駄なものは1つたりともありません。勿論、物語の大筋だけを見るのであれば余計な会話があるのかも知れません。ですが、この作品においてそんな事を議論するのは無意味です。繰り返しますが、この作品の最大の魅力は「国」です。そしてその「国」の中でリアルに生きている人物を見つめる事です。無駄とも思える一瞬一瞬全てがその人物の人生であり、全てなのです。急かされて読むものではありません。自分のテンポで、時に手を休め時に没頭しながらこの「雪子の国」を味わって頂ければと思います。”国”シリーズはまだ終わりません。この段階で、是非「雪子の国」までの全てのシリーズをプレイしてしまいましょう。そして皆で天狗の国の真実にたどり着きましょう。超オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<分かり合えなくて、伝わらなくて、届かない。それでもなにか美しいものを、豊かなものを。>

「人を傷つけるのって、しんどいっすね。」

 悩みのない人間なんていません。当然の事です。ですがそれを理屈の上では理解できていても、感情的に納得出来ているかといえばそうではないと思います。辛い時、苦しい時、どうしても自分を大切にしたいと思います。そして他人は二の次三の次になってしまいます。それで良いと思いますが、同時に良くないと思っている自分がいると思います。こういう葛藤と決断の連続が人生であり、人間らしさだと思いました。そしてそれら全てを自分の中で「意地」になって押さえ込み、その上で「覚悟」する事に価値があるのかなと、この作品をプレイして思いました。

 世の中を楽観的に捉えケセラセラと生きてきたハルタ、彼にとって怖いものなど存在せず、全てが自由でした。そしてそれは同時に彼の人柄を作り出し、自然と彼の周りには優しい人たちが集まってきました。羨ましいと思いましたね、本当に何も考えないであれだけ立ち振る舞う事が出来るんだなと。勿論そんな自由奔放なハルタを毛嫌いする連中もいました。ですがそんな連中も自分の考えが浅ましい事を自覚していましたので面と向かってハルタに物を言うことはありませんでした。故郷留学をした直後のハルタは、まさに「怖いものなし」だったのです。

 ですがその後リュウさん・ホオヅキ・雅子と出会い、雪子・ユリ・猪飼と出会う事で少しずつハルタの人生観も変化していきました。自由であるという事は拠り所がないということ、それはいざ誰かに助けてほしいと思ったときに誰も助けてくれないという事です。生きる自由もあれば死ぬ自由もある、自由とは無敵ではなく自己責任という事です。ハルタにとって、拠り所を見つける事が出来たのはとても大切なこと。自由と引き換えに掛け替えのないものを手に入れる事が出来たのです。リュウさんの「この家の子供。この家の料理食べる」「何かあったら絶対に頼る」この言葉にどれだけ安心させられた事か。人間は一人では生きられないと知ると同時に、支え合いなが生きる事の大切さを知る事が出来ました。

 そしてそれは雪子も同じでした。鞍馬と愛宕の戦争に破れ、故郷を失ってしまった雪子。それでも再び愛宕に帰るという想いを胸に、常に気丈に振舞っておりました。正直言って、雪子は可愛くないです。あんな意地っ張りで笑顔も見せない女の子、どうして人気が出るんでしょうね。その信念が通ったところが好きなのでしょうか?それとも顔ですか?彼女の意地は過去にしがみついた後ろ向きなもの。そこにどうしても私は魅力を見出す事は出来ませんでした。だからこそ、過去の自分を灯篭に全て押し込み清算した雪子の事は大好きでしたね。意地を張るところをやっと見つける事が出来ました。過去にしがみつくのではなく未来へ向かう、それでも失いたくないモノに対してだけ意地を張ればいい、それに気付く事が出来ました。

 それでも、雪子の女の子らしいところは初めから終わりまで変わらずでしたね。特にユリに呼ばれて飛び出していったハルタにホオヅキを連れて行ってと頼んだ場面は切なくて思わず目をつむってしまいました。自分にない魅力を持っている女性、そんな人のところに好きな男性を2人っきりにさせておきたくない。余りにも身勝手で自己中心的な考え、それでも雪子は自分の気持ちを誤魔化せませんでした。こういうところに、人間を感じるのだと思います。歪んだワガママではなく本心からの行動、それは誰もが理解でき共感できるものです。それを隠したいと思いつつも声に出せない、それをホオヅキに押し付ける自分の浅ましさ、それら全てが雪子の魅力であり、愛しいところだと思います。天狗の歴史に振り回され、故郷を失い、それでも生きなければいけない雪子、そんな雪子の気持ちに、ハルタがしっかりと向き合い応えられるようになるまで3年の月日が掛かりました。

 故郷留学から3年経過し大学生になったハルタ、交友関係も広がり東京に住む普通の大学生らしい日常を送っておりました。皆さんはあのハルタを見てどう思ったでしょうか?「ああ、こいつ変わったんだな」「昔の自由奔放さは無くなったんだな」とガッカリしたでしょうか?私も始めはそう思いました。大人になったんだなと思いました。ですが実はそうでなかった事が分かりました。上でも書きましたが、自由という事は掛け替えのない物が無いという事です。ですが今のハルタには掛け替えのないものがあります。失いたくないものがあります。当然、自由ではなくなります。では自由ではなくなったハルタは何を学んだのでしょうか。それが冒頭で書いた「人を傷つける事の辛さ」だと思いました。

 何かを選ぶという事は何かを捨てるという事です。そしてそれが物ではなく人出会った場合、必ずわだかまりが起こります。無傷で済むなんて有り得ません。傷つきたくなければ、選ぶことなど出来ないのです。自由だったハルタは自分の気持ちのみに正直に生きてきましたので、何かを捨てることの罪悪感はほとんど無かったと思います。それが故郷留学を経験し雪子と出会い猪飼と出会い、何かを選び何かを捨てるという事の重みを知っていきました。殉国連に捕まってしまったユリを助け出すとき、猪飼を屋敷に連れ戻すとき、ホオヅキを救い出すとき、そして雪子と結婚すると誓ったとき、ハルタは何かを選び何かを捨ててきました。そして一番大切なものを見つけたとき、ようやく大切にするべき「意地」を見つけたのだと思います。

 「出て行って。」義妹である佳純の言葉は辛辣でした。それでもハルタは物怖じせず受け止めました。愛すべき家族を捨ててまで自分の思う通りにしたいと思ったハルタ、ここが意地の張りどころであり覚悟を決めるところでした。これまでのどの場面よりも辛く厳しい場面、何しろ自分の家族を裏切るのですから。本当、人を傷つけるのって、しんどいんですね。どうして人って、分かり合えなくて、伝わらなくて、届かないんでしょうかね。それでも、そんな辛い人生の中にもなにか美しいものを、豊かなものを。そう望むのは全ての人に共通なのではないでしょうか。これからもハルタと雪子は様々な決断をして生きていくのだと思います。もしかしたら別れるのかも知れません。ですがそれもまた覚悟の上。そうやって人生は続いていくのだなと思いました。

 この作品は「雪子」が生きなければいけない「国」での出来事にのみフォーカスを当てております。天狗の国の情勢やこれからの国の施策など、大きなうねりもまた近づいております。ですが、まずはそれよりも自分の「国」から固めなければですね。そして自分の「国」を固めるために大切なこと、それが本当に大切なものは「意地」でも守り通すという「覚悟」を持つ事だと思いました。全ての人にそれぞれの「国」がありました。ハルタにはハルタの「国」が、猪飼には猪飼の「国」が、ユリにはユリの「国」が、「国」と「国」がぶつかったとき、そこに人間が生まれるのだと思います。後は自分の「国」の中で自由に生きるだけですね。自分の「国」を確立できた人程強いものはいません。「意地」と「覚悟」を持ち続けている限り、本当の「自由」は失われないのです。あなたにとっての「国」は何ですか?失いたくないものはなんですか?それに対して「意地」と「覚悟」を持ち続けられますか?この作品は、そんな人が持ち続けるべき「国」の大切さを説いた作品だと思いました。ありがとうございました。


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