M.M キリンの国




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 7 - 86 4〜5 2015/9/18
作品ページ サークルページ
フリーゲーム夢現



<ファンタジー世界にリアルさをもたらすのは、やはり綿密な設定と生きた登場人物ですね。>

 この「キリンの国」は同人サークルである「スタジオ・おま〜じゅ」で制作されたビジュアルノベルです。スタジオ・おま〜じゅさんが展開している「”国”シリーズ」の第二弾でして、天狗の国という人間世界と隔絶した国に関わった人たちにスポットを当てた物語です。第一弾である「みすずの国」では、主人公であるみすずがひょんな切っ掛けで天狗の国へ移り住むことになります。その時の苦悩と悩み、そしてそれを克服する心理描写が丁寧かつ素直に描かれていて大変印象に残りました。天狗の国の拘りも非常に細かいものがあり、サークルさんが綿密にロケハンし資料を検索し練り上げた設定なのだと感じさせました。

 今回レビューしている「キリンの国」ですが、前作である「みすずの国」とは時間も場所も登場人物も少しずつ違っております。主人公である圭介とその友人であるキリンは同じ高校に通っておりました。しかし圭介はテレキネシスが発生してしまい普通の人間生活を送ることが出来なくなってしまいました。そしてキリンは人間ですらなく何と天狗です。そんな人間社会の爪弾きものである2人だからなのかも知れません、自然と気が合いずっと一緒に過ごしておりました。そんなキリンの元に1通の手紙が届きます。そしてその事を切っ掛けに再び天狗の国へ向かう事を決意しました。物語は、そんなキリンとそれに巻き込まれた圭介が天狗の国へ旅立つところから始まります。

 みすずの国で天狗の国に対する綿密な設定は十分に感じる事ができたと思いますが、キリンの国ではまた別の視点で更に細かい設定を感じることが出来ました。具体的に言えば、天狗の国で庶民的に暮らす狗賓や化けの日常を見る事が出来ました。圭介もキリンもとある事情で人間社会からも天狗社会からも厄介者として扱われております。その為圭介とキリンが天狗の国へ入ることすらそもそも重罪であり、コッソリを身分を隠して潜入することになります。そして潜入したからといって勿論それで終わりという事ではありません。その後天狗の国で出会う狗賓や化けと共に生活しながら目的を達成するためにしばらく滞在することになります。この時かなり具体的に狗賓や化けの日常生活を表現しているのです。彼らか天狗からどのように蔑まされているのか。何を楽しみに生きているのか。自然と付き合うとはどういう事か。そんな当たり前の事を時間をかけて丁寧に表現しております。

 最大の魅力はやはり圭介とキリンを中心とした人物描写ですね。キリンは割と鉄砲玉のような性格でして、思い立ったらすぐどこかに行ってしまいます。そしてそれに必ず圭介が巻き込まれるのです。佳祐はキリンと違って現実主義で物事をよく考えて行動します。絶対に相性が悪そうな二人です。それでもそんな自分に持っていない物を持っているからこそ惹かれるのかもしれません。この二人の掛け合いが困難と思われる状況でも希望を失わず前に進ませてくれます。そしてそれ以外全ての登場人物の描写も丁寧なのです。上でも書きましたが、キリンの国では狗賓や化けの日常生活を見る事が出来ます。つまりそれだけ狗賓や化けが登場するということであり、それぞれの人物が生きた人格として振舞っております。ファンタジー世界にリアルさをもたらすのは、やはり綿密な設定と生きた登場人物ですね。まずはキリンや圭介と共にどっぷりと天狗の国に浸かってください。

 プレイ時間は私で4時間40分程度掛かりました。そしてプレイ時間の7割程は天狗の国の日常の描写です。もちろん”国”シリーズの今後を示唆する描写や伏線も多々ありますが、そういった物語的に肝要な場所は絞られておりますのでまずはそれ以外の日常を味わう事です。天狗の国の日常を理解すること、それもまたこの作品が目指したいものの一つなのだと思います。美しい背景と多彩な人物描写、そしてCGの麗しさなど天狗の国をリアルに彩ってくれます。BGMもそんな描写にあったものとなっております。多くの時間を天狗の国の描写へと割いた全力なビジュアルノベルです。必ずや多くの人の心に留まることと思います。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<人の生き様は誰かに伝播する。そしてその生き方が個人の信念を作っていく。>

「本当の自分になれないなら、死んだほうがマシーー」

 最後までプレイし終わって、ここまで読後感の良い作品は本当に久しぶりでした。言ってしまえはやりきった感が凄かったんです。別にやりきったのは私ではなくキリンであり圭介でありスタジオ・おま〜じゅさんである訳でですが、彼らとともにこの天狗の国を駆け回り自分の全力を出して命を懸けることが出来たことが本当に嬉しかったんです。素直に楽しいと言える作品だったと思っております。

 ネタバレ無しでも書いておりますが、もう本当に舞台設定と人物描写の拘りが深くて感動してしまいました。特に大半の時間を使って描かれた綾野郷での生活こそがまさに天狗の国そのものの姿であり、そこで生き生きと過ごす狗賓や化けの姿を見るだけで元気が貰えました。特に杏さんを中心とした女性たちの生き様は勉強になりましたね。生きるということを生き物の命を食らうという事。それは山や自然に感謝することであり、その為に自分たちも精一杯命を懸けて生きなければいけないという事を感じました。そしてそんな苦しくも楽しい生活を送っている杏さんは輝いてましたね。あんな性格、どんな男でも惚れないはずがないでしょうに!加えて抜群のプロモーションと乙女な心、生きているという事を体と心全体で表現しているような太陽のような女の子でした。

 そして時折見せるここぞという場面でのCGが美しかったですね。キリンがようやくヒマワリの姿を見つけたときやその後ヒマワリと対面したとき、そして圭介と杏さんが想いを共有したときなどは鳥肌が立ってました。あれって、間違いなくキリンや圭介の視点で見た彼女たちの姿なのでしょうね。立ち絵は淡白な塗りの描写に対してCGは水彩画のような描写でした。これは間違いなく本人たちの気持ちが入っている証拠。元々美しい彼女たちですが、それに自分の高まった気持ちも加わってもう天使や女神の様に見えたのだと思います。そしてそんな愛され彼女たちですが強かったですね。強いというのは力ではなく心。自分の信念の為に決して挫けない心と愛する人に対して素直になれない姿、実直で自分を偽らない姿は強さの証だと思いました。

 そしてそんな彼女たちの強さを見たからこそ、キリンも圭介も最後まで諦めず自分の信念を貫けたのだと思います。人生六割をモットーにしていた圭介、ですが自分にとって掛け替えのない存在であるキリンの為に自然と体が動いておりました。そして自分にとって限界だと思っていたところにたどり着いてもなお前に進んでおりました。あと一回だけ。あと一歩、歩こう。その繰り返しは無限の可能性を持ち、結果として化けを倒すことが出来ました。この姿こそが本当の姿。本当の自分になれないのなら、死んだほうがマシなんです。一歩前へ。限界だと思ってもそこからまた一歩前に進む。そしてその繰り返しが新しい自分を連れてきてくれる。これは圭介だけではなく自分自身も心に刻まなければいけない事なのでしょう。人生って、多かれ少なかれ前に進まないと始まりませんからね。

 この作品が言いたいことは間違いなく圭介の生き様だと思います。ですが圭介がこの生き様を選択するにあたって様々な人たちの生き方が影響しておりました。杏さんを始めとした綾野郷の人たちの生き方、ホオズキを始めとした化けの生き方、そしてキリンの立場とそれを踏襲してなおまっすぐ進む生き方、彼らの必死な姿が圭介をも必死にさせたのです。こうやって誰かの生き方は多かれ少なかれ人に伝わっていきます。そしてその積み重ねが信念を作り、目指すべき方向性を定めるのです。だからこそ、綾野郷での生活を作品の大半を使って表現する必要があったのだと思います。ここぞという場面で水彩画のようなCGを使用する必要があったのだと思います。全てはプレイヤーと圭介の想いを交差させるため。ここまで徹底的に表現して下さり、ありがとうございました。


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