M.M 虚構英雄ジンガイア FINAL
この「虚構英雄ジンガイア FINAL」は先に発売された「虚構英雄ジンガイア Vol.1」「虚構英雄ジンガイア Vol.2」「虚構英雄ジンガイア Vol.3」の続編となっております。その為レビューには「虚構英雄ジンガイア Vol.1」「虚構英雄ジンガイア Vol.2」「虚構英雄ジンガイア Vol.3」を含めたネタバレが含まれていますので、ネタバレを避けたい方は注意願います。
・「虚構英雄ジンガイア Vol.1」のレビューはこちらからどうぞ。
・「虚構英雄ジンガイア Vol.2」のレビューはこちらからどうぞ。
・「虚構英雄ジンガイア Vol.3」のレビューはこちらからどうぞ。
※このレビューにはネタバレしかありません。前作と本作の両方をプレイした方のみサポートしております。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
9 | 8 | 7 | 86 | 10〜12 | 2017/8/14 |
作品ページ | サークルページ |
<自分の子供が困っていたら助ける。それだけが父親の姿であり、その答えを見つけるまで長い時間が掛かりました。>
この作品のジャンルは「いつか父親になるAVG」です。いつか父親になる。裏を返せば、子供がいるだけでは決して父親とは呼べないという意味を含んでいるという事です。では、父親はいつ父親になるのでしょうか。父親になるとはどういう意味なのでしょうか。その答えを求めてテキストを読み進め、それが最後の最後でようやく明らかになりました。本当に簡単な事でした。子供が困っている時に颯爽と助けられる、それこそが父親の姿でした。そんな簡単な事にたどり着くまで、長い長い時間が掛かりました。
虚構英雄ジンガイア(以下ジンガイア)もついに完結したという事で、改めてこの作品の魅力について振り返ってみようと思います。平凡ながらも幸せな生活を送っていた神原家がある日突然終末世界へと巻き込まれてしまうジンガイア、それでも元の世界へと戻る為にみんなで奮闘する事になります。ですがそんな気持ちに対して主人公神原英雄に与えられた役割は唯の一般人、神原鳴海のようなヒーローでもなく、神原大介のようなロボットでもありません。無力、その事実に打ちのめされ、それでも前を向いて進む姿が父親らしさを感じさせました。ですが、Vol.1・Vol.2とプレイを進めていく中でそんな父親らしさを訴える部分は少しずつ影を潜め、徐々にこの世界を構成する要素や明らかにされない人物たちの内情に注目がそれる事になります。現代ファンタジーかと思っていたらいつの間にかSFになり、それがVol.3で決定的なものになるのです。
私がそうだったのですが、今回完結したFINALをプレイする前の心持ちは完全に世界の秘密を明らかにしたいという事にシフトしておりました。Blainの正体、御子神京のクローンが成したい事、最川省吾が残したゲームの企画書と世界の関わり、そのような事実関係の整理に躍起になっておりました。完全にこの作品が「いつか父親になるAVG」であるという事を無視しておりました。実際、FINALを開始してからは基本的に神原英雄の心持ちはずっと変わらずであり、大介を守りたい、鳴海を救いたいという信念が振れておりませんでした。後は世界の真実が明らかになり、どのような結末になるかを見届けるだけと思っておりました。そんな気持ちでプレイしたのがいけなかったんですね。最後の最後、仮面の男の正体が何度も世界を繰り返してきた未来の神原大介である事が明かされ、大介が世界の中心であり、大介の望む事が叶えられないという状況に絶望しました。自分は一体何を読んできたんだろう。ネタばらしして「はい終わり!」、なんてそんな覚悟で読んでいた事が情けなくなりました。
まあ、そこまで世界感に没頭させるところこそジンガイアの魅力と言い切って良いと思います。人によっては、このFINALをプレイする前にVol.1からVol.3まで再プレイした方もいたのではないでしょうか。それだけ壮大でかつ難解なシナリオであり、その上でその真実を明らかにしたいという強い気持ちが生まれる、それだけのエネルギーがある作品である事は紛れもない事実です。Vol.1やVol.2で十分に神原英雄の苦悩とそれに立ち向かう気概を感じる事が出来ました。そうであるのなら、後は自分たちプレイヤーは彼の行動を見守るだけです。神原英雄が父親になるところを見届けつつ、しっかりと世界感や設定などを理解する事に務めるべきである。そのように捉えても致し方がないと思います。読み手の数だけ捉え方がある、そしてそれだけ捉え方に幅を持たせる事が出来る、それがジンガイアの魅力でありパワーだと思っております。
もちろん、ジンガイアの魅力はそんなSF的な世界感だけではありません。鬼桜を中心とした仲間の友情やあの虚構世界で生きる人たちの生き様もまた大きな魅力です。実際のところ、FINALの中の80%くらいはバトルシーンだったのではないでしょうか。戦いの中で誰もが譲れないところがある。世界の戦いであると同時に自分自身の戦いでもある。そのような熱い展開に手に汗握りました。上手いと思ったのは、同じ時間軸で3〜4つの戦いが同時進行で行われていたところです。特に後半、桜子VS鬼桜メンバー、蛭田VS最川家、神原英雄VS神原鳴海、ブルー・オーシャンVS虚構英雄のよつどもえは見事でした。あれだけ長いバトルシーンなのに一度も休憩挟みませんでしたからね。とりわけブルー・オーシャンVS虚構英雄では、ノベルゲームにおけるメタ的要素も取り入れており思わずハッとしました。選択と分岐があんなにハッキリしてるのはゲームだけなんですよ!現実世界での選択と分岐は自分で掴み取る物なんですよ!そんな当たり前の事に気づかされましたね。一つ一つの戦いに物語がある。そのどれも背けてはならない魅力がありました。
さて、それでは最後にこの作品における「父親」のあり方について考えてみようと思います。レビュー冒頭でも書きましたが、子供が困っている時に助けられるのがこの作品での父親の姿なのだと思います。姿かたちは何でもいいのです、泥水啜って這いつくばるような惨めな姿でも構わないのです。大切なのは覚悟と気概。それをVol.1からVol.3までの中で理解していきました。FINALの英雄は決して力があるわけではありません。むしろ鬼桜の誰よりも弱いですし、戦闘では足を引っ張るだけです。ですが、誰もが英雄を信頼しており、いつも第一線で活躍しておりました。これって、Vol.1と真逆なんですよね。力がないのは同じです。違うのは、Vol.1では力がないから何もできないと嘆いていただけという事。変わったのは覚悟と気概。それだけであんなにも父親らしくなれるのです。
物語最後、神原大介は初めて人に「助けて!」と訴えました。ようやくたどり着いたハッピーエンド、それがあんな結末だったらそれはもう誰かに頼るしかありませんね。そしたら英雄が颯爽と現れ、簡単に静の死の運命をもぎ取っていきました。初めから、大介も父親に頼っていれば良かったんですよ。大介もその事に気づくまで大層長い時間を掛けました。でもやっと分かち合えました。結果として英雄は閉じ込められてしまい、現実世界でも大介が5歳の時に死ぬ運命となってしまいます。でも、大介はちゃんと英雄の後ろ姿を覚えていたんですね。大介にとって英雄はいつまでも父親で有り続けます。人生を掛けて、いや人生を繰り返してたどりついたエンディング。これがきっと「父親になる」という事なのだと思いました。ありがとうございました。