M.M true tears、聖地巡礼レポ 城端曳山祭編
「出発、曳山祭説明」編
<5/4(火) 5:10>
はい!
という訳でこれから城端曳山祭に向けて出発しようと思います!
ちなみにここは私の住んでいる社員寮の最寄り駅である北浦和駅で、寮を出発したのが4:30です。
それから駅に向かうこと約40分ということになります。
もう5月にもなると随分明るくなりましたね。
ちなみにですが、
今回はちょっと新潟の友人に寄り道する関係と、
経費削減の関係で、
新潟まで鈍行、
それから富山まで特急で行きます。
という訳でしばらくは電車の旅です。
それでは電車移動中に今回見に行く城端曳山祭について簡単に説明しようと思います。
城端曳山祭は富山県南砺市城端地区で行われている伝統行事です。
城端地区は古くから絹織物などの生産が盛んであり、
京都との文化交流によって元禄文化の花が開きました。
ところが、享保期になると経済が不況となり、
その打開のためも人々は神をまつり、招福除災、町内繁栄を願いました。
享保2年(1717)に神輿がつくられ、
獅子舞や傘鉾の行列も始まり、
享保4年8月15日の祭りには曳山ができて、
享保9年には神輿の渡御にお供しました。
現在曳山祭は5月5日となり、
曳山や庵屋台の装飾も次第に豪華となり、今日に継承されています。
曳山祭の特色は、やはりその豪華絢爛な曳山と庵唄にあると思います。
曳山は、金箔や多彩な城端塗の粋をつくした屋形式二層の人形山です。
5月4日の宵祭りへ向け、6つの町では男衆が曳山を組み立て、各町の山宿で御神像を飾ります。
また曳山はその車輪のきしる音から別名ギュウ山とも呼ばれています。
庵唄は先人の粋な遊び心から生まれたものです。
城端の絹織物が江戸や上方で取引されるようになると、
当時流行った江戸端唄が祭の屋台唄として浸透するようになります。
庵唄は江戸端唄を源流とし、囃子は三味線・横笛・太鼓で演奏されます。
その種類は数十曲あり、持ち歌の中から毎年選び替えて唄われます。
絢爛豪華な曳山を目で楽しみ、粋な庵唄に耳を傾ける。
まるで料亭のお座敷にいるかのように感じる粋な祭りが城端曳山祭なのです。
また、
この古き伝統が今日まで伝えられていることが、
国の重要無形民俗文化財に指定された大きな理由でもあります。
<5/4(火) 12:00>
という訳でそうこうしている内に新潟です。
ちなみに、
途中乗り換えた駅は以下の通り。
実に6時間30分という乗り鉄さまさまの移動時間です。
車内は時間帯によって朝帰りのお姉さん、学生、旅行者、家族連れと変化していきました。
その後1時間程度友人と食事をし
13:02新潟発の特急北越で富山に向かいました。
<5/4(火) 17:30>
という訳で無事城端に到着しました。
特急北越に乗ってからは、
約3時間で途中の高岡駅に到着し、
それから城端線で向かいました。
北浦和から数えて実に13時間の移動時間でした。
ここから城端曳山祭がはじまります。
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ちなみに城端曳山祭は5/5なのですが。
前日の夜である5/4に宵祭を行いますので、
この時間に到着する必要がありました。
ここから聖地巡礼本番です。
それでは、次へお進みください。
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