M.M 涼宮ハルヒシリーズ インプレッション


2、涼宮ハルヒの溜息

2007/9/14更新


 …なるほど。あの映画作りの裏側にこんな裏話が隠されていたなんてね。という訳で、第2巻に当たる「涼宮ハルヒの溜息(以下溜息)」を読み終えました。

 全5章に別れている溜息ですが、前半は本当に普通の映画作りを目指しているだけでそれ程盛り上がりも無かったのですが、第3章に入ってから「ミクルビーム」が出だす辺りから加速度的に盛り上がっていきましたね。そして第5章に入ってもいつ終わるのやらと思ったら、最後の涼宮ハルヒのセリフ一言での見事な閉め、かなり鮮やかだったと言う印象を持ちました。

 それにしても、「憂鬱」では弱冠曖昧だった涼宮ハルヒの能力について今回の「溜息」ではとても具体的になってましたね。涼宮ハルヒの願った事がダイレクトに現実世界を変えていったので、憂鬱での閉鎖空間だけでは「何じゃこりゃ?」って思った人でも、これで間違いなく涼宮ハルヒには特殊能力があると認知されたでしょう。

 そして、この「溜息」の最大の魅力は何と言っても主人公である「キョン」の心理描写だと思います。憂鬱のレビューで私は「キョンと涼宮ハルヒは基本的に同じ思いを持っている」と書きましたが、今回のキョンの行動一つ一つにそれが現れているなぁと思いました。映画作りの為にムチャクチャな注文をつける涼宮ハルヒに対して、口ではグダグダ言っているキョンも本心では楽しんでました。それは、映画作りの進行が全く計画性が無くても、休みの日にもはや肉体労働同然の映画作りに付き合わされても、涼宮ハルヒがどんなに朝比奈みくるにいたずらしても(第4章の後半はまた別)、何だかんだ言って涼宮ハルヒを止めなかったからです。クラスの活動にはとことん興味が無くても、やっぱりキョンは涼宮ハルヒの事が好きなんだなぁと思いました。涼宮ハルヒが何をやっても軽く「溜息」をつくだけで結局は協力する、そんなキョンの心理描写にニヤニヤしながら読んでました。

 で、この好きと言う点に関しては涼宮ハルヒの方の相変わらずだなぁと思いました。第3章辺りから如実に表れてきた現実にはありえない出来事は、あくまで涼宮ハルヒ一人の盛り上がりによるところが大きいです。ですが、この段階で涼宮ハルヒが「自分のしている事」に対して「キョンがどう思っているか」という事については、弱冠半信半疑でした。ちょっと分かりにくいですね、涼宮ハルヒのこの時の心理描写を具体的に書くと「私が何をやっても、キョンだけは味方でいてくれる…よね?」みたいな感じです。で、この後キョンに本気で怒られて一時は意欲を失うものの、再度キョンの言葉で再びやる気を出した後の世界の改変はそれ以前のものとはスケールが全然違いました。それは、涼宮ハルヒの中で「キョンは完全に私の味方でいてくれる!」と、今まで半信半疑だったのが絶対の確信になったからです。もうこうなると、自分の好きなキョンが映画の成功を願っている以上涼宮ハルヒの世界改変は止まるはずがありません。それは、今まで一人で盛り上がっていた映画作りが涼宮ハルヒの中では二人になったからです。こんなのを見てると、涼宮ハルヒは何だかんだ言って本当に「単純な普通の高校生」なんだなぁと思ってしまいますよ。

 憂鬱のレビューで「世界改変の片棒をキョンが持っている」と書きましたが、この考えはやはり間違ってはいなかったですね。実際涼宮ハルヒはキョンの言葉一つ一つで一喜一憂し、それに応じて世界改変も変動するのですから。で、ここで私がふと思った事があります。古泉一樹は「たとえ世界が変化しても涼宮ハルヒはそれを認知できない」と言ってましたが、キョンも「自分の涼宮ハルヒに対する行動や発言が世界の変化に関係している」という事を認知してないなぁ、って事です。それは、やはり古泉一樹が「現実世界で涼宮ハルヒにストップをかけるのはあなたの仕事」といった時にその意味を理解してなかった点からも想像できると思います。結局のところ、涼宮ハルヒもキョンも心の部分ではほとんど同じだって事です。どっちも「普通の高校生」って事ですね。まあ、それが私にとっては良いんですけどね。

 と、色々脱線しつつもこの「溜息」を読んで思った事をまとめると、「涼宮ハルヒとキョンのいつもの日常〜映画作り〜」ってことで良いんじゃないでしょうか。後半で朝比奈みくるや古泉一樹が何やら量子力学的な話をしてましたが、これはまあ個人の主観に任せるとして、私はこの2人の心理描写の掛け合いがやっぱり一番の魅力だと思いました。さっき次回作の「涼宮ハルヒの退屈」の目次だけをパラパラと見たのですが、相変わらずの日常が描かれていそうな予感です。という訳で「溜息」のレビューはこのあたりにして、次は「涼宮ハルヒの退屈」です。


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