M.M 半分の月がのぼる空 インプレッション


1、半分の月がのぼる空 looking up at the half-moon

2009/6/28更新


 「あたし、たぶん死ぬの」
 「もう、ほとんど決まってるの」

 こんな象徴的なフレーズの扉絵ではじまる物語がこの「半分の月がのぼる空」です。病院を舞台にした普通の入院生活、当たり前のように存在する登場人物、そして主人公である「戎崎裕一」とヒロイン「秋庭里香」が織りなすボーイ・ミーツ・ガール、これだけを見ると何も真新しさを感じる事はありません。ですが、この作品の素晴らしさはそんな真新しさの無い「現実的で何気ない日常」を丁寧に描いた事にあると思います。

 この作品はファンタジーではありません。非日常的な現実世界を舞台にしたものでもありません。ただ、主人公とヒロインの一時の入院生活を描いただけの物語です。それだけにライトノベル独特の先が気になるドキドキ感やとんでもない伏線といったような「大きなうねり」はありません。そういう意味ではある意味珍しい作品ではあるかも知れませんね。それでもこの作品が高評価を得たのは、読み手がこの半分の月がのぼる空の場面場面をリアルに想像できる事だと思います。たとえば、冒頭の商店街の描写では

#少し歩くと、商店街にさしかかった。
#アーケードの下は、恐ろしく静かだ。
#死んだように眠っている。
#いやーーー。
#事実、死んでいるのだ

こんな書き出しから更に後2ページに渡って延々と書かれています。これを読んでどれほど「万人に共通」の商店街のイメージが出来上がるでしょうか。一致する確率はかなり高いと思います。他にも砲台山に登った時の街の描写では

#閉ざされた世界。
#僕はここしか知らない。
#火見台がある不思議な駅舎。
#その前の大きな建物は文化会館だ。
#今はもう寂れてしまった商店街のアーケードも見えた。
#駅向こうの川が月明かりで銀色に光っている。
#そして、町の中心に、深い深い闇が横たわっていた。
#神宮の森だ
#半分の月が輝いていた。
#シリウスが輝いていた。
#その光は僕たちを照らしていた。

こんな風景の中で、里香は泣いていたんです。すごくリアルです。リアルだからこそ裕一や里香の心理描写だけダイレクトに伝わってくるんです。場面や雰囲気に気を使わなくてもいいんです。いつまでも、この優しい穏やかな雰囲気の世界に浸っていたいと思うんです。

 ファンタジーは現実と全く違う世界なので説明がクドくなるのは当たり前です。それでも、現実ではない以上結局のところ与えられた情報から場面を一生懸命想像するしかありません。ですがこの半分の月がのぼる空は現実の世界、しかもそれを事細かに描写されれば無意味に想像する余地はありません。作者が予想した世界観を、キャラクターを、そして心理描写を誰もが高い確率で共存できるんです。それが、この「半分の月がのぼる空」の最大の魅力だと思います。

 この物語はまだ始まったばかりです。いや、何も始まってはいません。裕一と里香のボーイ・ミーツ・ガールのプロローグに過ぎません。生きる決心をした里香とそれを守りたいと思う裕一、こんな二人の物語をゆっくりと味わいながら読んでいこうと思います。


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