M.M サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
10+ 10 10+ 97 25〜30 2023/3/21
作品ページ(R-18注意) ブランドページ(R-18注意)



<サクラノ詩から7年半、再び美に魅入られ取り込まれた物語が幕を開けます。>

 この「サクラノ刻 -櫻の森の下を歩む-(以下サクラノ刻)」という作品は、美少女ゲームブランドである枕より2023年2月24日に発売された作品です。同ブランドの作品である「サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-(以下サクラノ詩)」の続編であり、サクラノ詩の発売からおおよそ7年半の年月を経て発売されました。サクラノ詩ですっかり虜にされてしまった私にとって、このサクラノ刻の発売はずっと心待ちにしていた時でした。2017年にやっと公式HPが開設され、そこから数年間音沙汰が無いと思っていたら2019年に行われた「Character1 2019」でサクラノ刻ファーストファンブックが発売されました。勿論これを入手すべくサポーターチケットを購入し、早朝から並んだのは良い思い出です。そこからは主題歌やキャラクター紹介動画の発表、セカンドファンブックの発売と順調に情報が解禁され、何度かの延期を経て発売へと至っております。サクラノ詩の発売から今日まで、多くのファンが待ち遠しかったのではないでしょうか。

 サクラノ詩については当HPでレビューを公開しておりますので詳しくはそちらをご覧いただきたいのですが、美というもののあり方とその先にある幸福について説いた一級品の作品でした。題材にしているのは絵画であり、主人公である草薙直哉を始め全ての登場人物が絵画を通して自らの人生を開拓していきます。その為、絵画に対する専門用語や取り組み姿勢などが描かれておりますので馴染みのある方とそうでない方で受け取り方が違うかもしれません。私自身絵画はからっきしで、美術の授業が一番嫌いなくらい苦手でした。それでも、美に対して真剣に向き合い考え行動する姿勢に心打たれました。是非ともサクラノ詩を通して美というもののあり方や幸福というものの考え方を感じてみてください。

「サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-」のレビューはこちらからどうぞ。

 サクラノ刻は、そんなサクラノ詩から数年先を舞台とした物語です。公式HPをご覧になればわかりますが、主人公は引き続き草薙直哉であり、サクラノ詩では学生でしたがサクラノ刻では教員となっております。またその他の登場人物の多くが共通であり、それぞれがサクラノ詩からサクラノ刻にかけて年月が経っており風貌や立場が変わっております。その為サクラノ刻のレビューを書くにあたり完全にサクラノ詩のネタバレは避けられませんので、内容に踏み込んだレビューは全てネタバレ有りの方で描かせて頂きます。まずはサクラノ詩をプレイして頂き、続きが気になると思われた方は是非サクラノ刻をプレイしてみてください。

 扱っている題材は引き続き絵画です。一部絵画以外の題材も登場しますが、それもまた絵画を彩るエッセンスとなっております。そして、扱っているテーマはやはり美です。サクラノ刻では、サクラノ詩以上に美について踏み込んだ内容となっております。私はサクラノ詩は絵画を通した美のあり方から幸福の形を考える作品だと思っておりますが、サクラノ刻は幸福という要素は少し薄まりより美に対する姿勢を強調していると感じました。サクラノ詩以上に、実際に絵画等の芸術に打ち込んだ方とそうでない方で感じ方が違ってくると思います。私も吹奏楽をたしなんでおり、絵画ではありませんが広い意味では音楽という芸術に関わっております。サクラノ詩ではそこまで感化されませんでしたが(あらためてサクラノ詩のネタバレレビューを読みましたら十分感化されてましたね笑)、サクラノ刻では思いっきり自分の吹奏楽に対する姿勢を見直すほど感化されました。ネタバレ有りのレビューではその辺りの部分についても触れております。

 登場人物のデザイン・BGMやボーカルといった音回りは全てサクラノ詩と共通です。ただ、上でも書いた通りサクラノ詩とサクラノ刻で年月が経過しておりますので、当然ですがその風貌は大きく変わっております。またBGMについては一部サクラノ詩で使用されていた物も用いられており、プレイ済みの方には懐かしいと思うのではないでしょうか。そして、サクラノ刻の主題歌である「刻ト詩」はカッコ良いですね。サクラノ詩の主題歌である「櫻ノ詩」と同様、作曲/編曲:松本文紀・作詞:すかぢ氏となっております。ボーカルはLuna氏が担当しており、櫻ノ詩で担当されたはな氏から変わっております。刻ト詩も櫻ノ詩と同様、のびやかな旋律とアップテンポなリズム、力強いボーカルと実にサクラノらしさに溢れておりました。櫻ノ詩は嬰ヘ長調やイ長調を中心とした高尚な印象の曲でしたが、一転刻ト詩はハ長調というピアノの黒鍵を全く使わない調となっております。 ここのギャップに驚きましたが、この辺りがサクラノ詩と違いより純粋に美に対して向き合う作品であるというメッセージが込められていると感じました。いずれにしてもお気に入りの一曲になりました。

 プレイ時間は私で約29時間30分程度掛かりました。公式HPでも書いておりますが、この作品は全部でI〜Vの5章で構成されております。III章のみ分岐があり、マルチエンディングとなっております。フルプライスの美少女ゲームという事で30時間に迫るプレイ時間は流石のボリュームですが、その圧倒的なテキストにプレイ時間を忘れるかの様でした。サクラノ詩は私で32時間でしたので、通しでプレイするとしたら合計で60時間以上となりますね。それだけの価値と意味がある作品だと思っております。プレイしての思いの丈は、ネタバレ有りで描いておりますのでそちらをご覧ください。勿論サクラノ詩も含めたネタバレ有りとなっておりますのでご注意ください。私にとって、また一つ教訓と言いますか心に刻みつけられた作品となりました。素敵な作品をありがとうございました。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<人生の中で、1つでも自分の魂が救われる物に出会えたら、それはとても素敵な事ですね。>


「凡人が格闘するのはどこまでも他者の視線」


 草薙直哉、大人気でしたね。教師としての草薙直哉は、弓張学園の生徒たちに慕われておりました。本間心鈴こと宮崎みすゞは、常に草薙直哉という亡霊が付きまとっておりました。宮崎破戒や恩田放哉もまた、草薙直哉の動向を気にしておりました。アリア・ホー・インクこと氷川里奈は草薙直哉が再び筆をとる為に絵を描き続けました。長山香奈は草薙直哉と戦う瞬間の為に常に準備をしておりました。御桜稟は、草薙直哉と戦うためにプラティヌ・エポラールを返上しました。夏目圭にとっての障害のライバルであり友は、草薙直哉でした。芸術界にいる誰もが、草薙直哉を意識せずにはいられませんでした。どうして、ここまで草薙直哉に誰もが意識し固執するのでしょうか。きっと、草薙直哉という人間は美の持つ可能性と方向性を心から理解していたのでしょうね。誰かの為ではなく自分の為に美を追求していた草薙直哉、ですが結果としてそれが多くの人を救う結果となりました。草薙直哉には単純な作品としての魅力以外に何かある、それが他の芸術家を震え上がらせたのだと思います。そして、それは詰まるところどんな天才でも誰かの視線を意識してしまうという事なのかも知れないと思いました。

 他者の視線が気になる、これは芸術のみならず生活のあらゆる場面で誰もが意識せざるを得ない事だと思います。学校ではテストの点数や徒競走の速さで順位が着いてしまう。仕事をすれば取引先や上司部下の評価で自分の査定が決まる。プライベートで外に出ても他人の服装や体系に目が行ってしまう。テレビを付ければ、自分よりも注目されていて高収入な人物が多数映っている。趣味で漫画を描いたりゲームを作ったりしても、他のサークルさんの頒布数や売上が気になってしまう。SNSを開けばいいね!が数字で可視化されている。どう生きても私たちは他社の視線から逃れることは出来ないのです。自分はそんなことはないと思っている人もいると思います。自分は自分、他人は他人、だから他人の行動を気にしてもしょうがないと。ですけど、そんなあなたも他人の視線に支配されているのです。何故なら、自分は自分を意識する為には他人と比較するしかないからです。自分が自分であり続ける為に他人が必要、これは逃れられない運命だと思っております。

 芸術の世界では、それがより顕著に現れます。優れた芸術とは何でしょうか?それは、多くの人の支持されている物です。違うと思う人もいると思います。芸術に答えはなく、自分が素晴らしいと感じているものが素晴らしいものだと。そもそも、芸術に優劣など存在してはいけないのではないでしょうか?私はこの考えが大好きです。何故なら、これが認められなければ最も世の中に知られている作品が最も優れた作品となってしまうからです。多くの人に支持される作品のみが優れているのなら、作品の良し悪しに時間を割かずに宣伝に力を割いた方が効率的です。とにかく多くの人に認知してもらう、何故ならそれが優れている作品の条件なのですから。ですが、多くの創作者は宣伝で認知されるよりも作品の本質で認知されてほしいと思っている筈です。それが、作品の本当の価値で評価される事だと信じているからです。

 ですが、ここで矛盾が生じてしまいます。宣伝ではなく作品の本質で評価されたい、ではその評価とは何でしょうか?結局のところ、多くの人の目に留まって欲しいんですよ。どこかのインフルエンサーがこの作品が凄いと呟いてそれが拡散して認知される事と、自分のツイートを見た一人ひとりがいいねを押してくれてそれがじわりじわりと広まる事に、本質的な違いは無いのではないでしょうか?つまるところ人に知られて貰いたい、どうやら優れた作品というのは多くの人に支持されている物のようです。芸術の良し悪しに答えはありません。答えは、その時代時代でどれだけ認知されているかです。つまるところ、芸術はどこまでいっても他者の視線から逃れる事は出来ないのです。御桜稟が世界的に有名になったのは、プラティヌ・エポラールを受賞したからです。御桜稟が草薙直哉と対決する事に世論が反対したのは、草薙直哉の受賞歴が御桜稟と釣り合わないからです。ここに、作品そのものの議論はありません。これが芸術の真実であり、私達の宿命であると思っております。

 だとしても、それなら何故世の中の著名な芸術家は草薙直哉を意識し恐れるのでしょうか?それは、草薙直哉の作品に魂が救われたからです。上の段落で、優れた作品は多くの人に支持されている物と描きました。では、何故多くの人に支持されたのでしょうか?それは、魂が救われたからです。世の中に絶対というものは無いと思っておりますが、私はこれまで生きてきた人生の中で絶対的に素晴らしいものをメモしております。それは現時点で7つあります。何故この7つなのか、それはこの7つに魂が救われたからです。世の中のあらゆる物の本質なんて、38年程度生きた自分には何一つ分かりません。きっと自分の視野が狭いだけで、世間にはもっと素晴らしいものがきっと存在している筈です。それは、上で描いた7つを上回るものもあるでしょう。ですけど、そうではないんです。私は、上記7つの物事に感動しただけではなく、救われたんです。きっと、唯一絶対的に優れたものがあるとしたらそういうものなんだろうと思っております。

 草薙直哉は、自分の美を貫き通す過程で多くの人を救いました。この辺りはサクラノ詩の中身に関わりますのでここでは割愛しますが、少なくとも御桜稟・氷川里奈・夏目藍・弓張学園の生徒たちは全員草薙直哉に救われています。そして、救う過程で彼女たちの魂は震えたのです。ここに理屈など存在しません。魂が震える理由なんて、それこそ考えるだけ不要ですからね。御桜稟はプラティヌ・エポラールを取りました。その時の作品は、きっと多くの人間の魂を震えさせたのでしょう。ですが、魂を震えさせただけならそれは恐れや呪いになってしまうかも知れません。事実、草薙直哉に救われた訳ではない宮崎破戒や恩田放哉にとって草薙直哉は呪いでした。呪いでは足りないんです。呪いが幸福になる為には、救われなければいけないと思っております。それが出来た草薙直哉、彼こそが本当に優れた芸術家なんだろうなと個人的にも思っております。

 この作品では、美という物に対して様々な人物が角度から語られておりました。本間心鈴は、どれだけ技術を磨いてもその先で魂が震える事はないと恩田寧に突きつけました。柊ノノ未は、「才能に恵まれた画家だけが、人の心を打つわけじゃないんですよ。才能に恵まれない人間の作品だって、人を感動させる事があるんです。」と長山香奈に言い切りました。才人は才能が透けて見える、天才は才能を忘れさせる。美とは、血や魂で描かなければいけない。美とは、精神で描かなければいけない。美とは、身体で描かなければいけない。これ以外にも沢山の教訓や格言が登場しました。きっと、そのどれもがそれを言った人が信じている真実なんだと思います。ですが、最終的にその到達点に魂の救済が待っているのです。

 最後の最後、草薙直哉の魂もまた多くの人との出会いで救われました。真っ黒なキャンバスに描かれた二輪の向日葵は、伯奇の力で無限大に広がりました。そこには桜がありました、糸杉がありました、風がありました、光がありました、想いがありました、音がありました、全てが開花しそして消えました、最後に形として残ったものはありませんでした。残ったのは、ありがとうという一言。これが草薙直哉にとっての魂の救済。結局のところ、誰もが誰かのヒーローだったんだと思います。多くの人にとって、草薙直哉がヒーローでした。そして、草薙直哉にとって出会った人の誰もがヒーローでした。魂の救済って、案外難しくないのかも知れませんね。美に対する素直な気持ちと、他者に対する奉仕の気持ちが少しでもあれば、きっと達成できるのではないかと思っております。

 他人の視線って、正直怖いと思います。自分が値踏みされる間隔は、決して気分が良いものではありません。だから人は、その他人に対して勝ろうと行動するのだと思います。それは時に理詰めだったり、マウンティングだったり、本当はそんな事をしたくないと思っている行動かも知れません。そこにあるのは他人に対する恐れと自分に対する呪い、良い悪いではなくただのボタンの掛け違いだったりするのではないでしょうか。絵画だって、見る人にとって受け取る感覚は違います。救いもあれば、呪いもあるでしょう。私が趣味として行っている吹奏楽だって、上手い演奏を聴いて素直に凄いと思える訳ではありません。知らない人の演奏だったら凄いと思えても、知っている人の演奏だったら嫉妬になりますからね。それがきっと今の自分の真実なんでしょうね。そう簡単に美に対する素直な気持ちと、他者に対する奉仕の気持ちを持てるかと言ったら難しいですね。

 この作品を通して、美とは何か、魂とは何か、生き方とは何か、そんな事を考える切っ掛けになりました。美という物はやはり答えなどなく、最終的には魂が救われる事がゴールなのかなと思いました。私は、このサクラノ刻という作品によって魂が救済されました。流れるようなテキスト、意志を持った魅力的な登場人物、透き通るようなBGM、そして櫻ノ詩と刻ト詩というボーカル曲、その一体化された創作物に魂が震えました。もしかしたら、もっとメッセージ性のあるビジュアルノベルがあるかも知れません。もっと技術的に素晴らしい作品があるかも知れません。それでも、少なくともこの作品に魂が救われたのは事実です。サクラノ刻が優れた作品かどうかは分かりません。それはどれだけ多くの人に支持されるかに拠るからです。それでもこの作品で魂が救われた人がいたら、そしてそんな人がどんどん増えていったら、きっとこの作品は所謂優れた作品になるのだと思います。それはまた別のお話、まずは自分の中でまた1つ魂が救われるものに出会えたことに感謝して、レビューの締めとしたいと思います。素敵な作品を、ありがとうございました。


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