M.M サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
10 10 10+ 95 30〜35 2015/11/3
作品ページ(R-18注意) ブランドページ(R-18注意)



<一級品の人物描写や背景描写、歌やBGMは全て「幸福のその先」を表現する為に用意されたエッセンス。>

 正直に言いまして、この「サクラノ詩 -櫻の森の上を舞う-」という作品が日の目を浴びる時が来るとは思っておりませんでした。初めてその名前が世に登場じたのは2004年の春。「終ノ空」や「二重影」などの意欲的な作品で知られた「ケロQ」の姉妹ブラントである「枕」の処女作として世に出るはずであった今作ですが、シナリオのプロットがブランドイメージと合わないという事で延期となりついには無期限延期となりました。ですがその後本家であるケロQから2011年に出された「素晴らしき日々 〜不連続存在〜」が大ヒットとなり、この素晴らしき日々の延長作品としての発売へ世の中の気運が高まっておりました。そして2014年、枕の10周年記念としてこのサクラノ詩の開発再開が発表となり、何度かの延期を繰り返しましたがようやく2015/10/23に発売となりました。

 私も2004年の段階で名前は知っておりましたがその時点ではそこまで盛り上がってはおりませんでした。この作品を強くプレイしたいと思った切っ掛けは、やはり上でも書きましたが「素晴らしき日々 〜不連続存在〜」ですね。シナリオライターであるすかぢ氏が表現する「幸福」のあり方。それを挑戦的な演出とプロットで描ききった当作品は私に強く印象付けるものであり、私の中で尊敬するシナリオライターの1人となりました。そのすかぢ氏が表現する「幸福のその先の物語」として位置付けているのがこの「サクラノ詩」という事で絶対に予約して買い発売して直ぐにプレイしようと決意しており、今回のレビューに至っております。

 主人公である草薙直哉には天才画家である草薙健一郎という父親がおりました。その天才画家である父親の元、草薙直哉自身も芸術家としての腕を磨きその実力の片鱗を見せておりました。ですがそんな父親が病死し、当の草薙直哉自身もとある理由で筆を折っております。偉大なる父親を失い自身の芸術家としての筆も失った草薙直哉、それでも彼の周りには彼を慕い彼の芸術家としての実力を信じる人たちが集っておりました。物語はそんな父親の葬式が終わり天涯孤独になったところから始まります。草薙直哉が何故筆を折ったのか。そして何故周りの人達は彼を慕い再び筆を取ることを待っているのか。そこには草薙直哉が元来持っている性格と芸術に対する想いが深く関わっておりました。

 この作品の魅力を語るにはどうしてもネタバレは避けられません。理由ですが、この作品が言いたい事が「幸福のその先」という事であり、全ての要素がこのテーマを表現する為に用意されているからです。もちろん人物描写や背景描写、歌やBGMなど個々の要素は一級品であり十分な魅力です。個人的にはOP曲である「櫻ノ詩」が大好きでもう何十回も聞いており、疾走感の中にあるピアノの美しい旋律は間違いなく今年一番一番印象に残るものです。ですがそういった個々の要素をピックアップして語ることに殆ど意味はありません。最終的に言いたい事がプレイヤーに伝わってこそ「サクラノ詩」であり、そのテーマを踏まえて改めて人物描写や背景描写、歌やBGMを堪能して欲しいという想いがあります。是非プレイ開始の雰囲気だけで判断せず、まずは1人のヒロインのシナリオを読んで欲しいですね。

 またこの作品の特徴として和洋折衷な引用を用いている事が挙げられます。宮沢賢治に代表される日本文学、ゴッホやマネなどの西洋画家の逸話、キリスト的宗教観や絵本や数学までその幅は多岐に渡っております。余りにも引用が多すぎで、会話以外のテキストの1割はもしかしたらそうした引用文で構成されているかも知れません。何故ここまで引用が多いのか。これについてはネタバレ有りで自論を書いておりますが、とりあえずプレイヤーの皆さんはその1つ1つを覚えている必要がありません。意味さえ理解すれば後は忘れて構いません。あくまでテーマを表現するためのエッセンスであり、作品に深みを与える要素であるという事です。ただ、私としましては事前にこれらの引用元を知っておけばまた違った印象を受けたのかなと少し後悔しております。時間があれば、プレイ後に改めてこれら引用元をたどってみるのも一興かもしれません。

 プレイ時間は私で約32時間程度掛かりました。この作品は章構成になっており、1章及び2章までは共通です。この共通部分については実は体験版でも配布しており、ここだけで私は8時間程度かかりました。ですがこの共通部分で十分に読後感が良く、並みの作品であればここまでで1つのタイトルとして発表出来る程です。そこから広がる個別ルートも結構長いですので、それなりの根気が必要かも知れません。また各ヒロインのシナリオを読み終わる度に少しずつ物語の根幹に関わる伏線が回収され、時間をかけて全容が明らかにされていきます。このロジック構成は見事であり、プレイする手を止めさせてくれません。是非諦めずに最後までプレイし、主人公草薙直哉がたどり着いた「幸福のその先」を確認して欲しいですね。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<大切なのは自分の神を信じる事。そしてその為に楽しみ苦しむ事に意味があるという事。それが人生であり幸福。>


 この作品は芸術の在り方を説いたものでしょうか?それとも美しいというものの在り方を説いたものでしょうか?それとも人と神の考え方を説いたものでしょうか?きっとこれらも全て「幸福のその先」を表現する為のエッセンスだったんだろうと思っております。是非皆さん一人一人が参考にして欲しい事だと思いますし、数々の教訓めいた言葉は人生の糧にして欲しいと思っております。この作品は、そんな「幸福のその先」というものを「草薙直哉」の半生という題材を通して表現した作品でした。

 この作品は全体を通して「美」というものの在り方について表現しておりました。美というものは絶対的であり、美の価値に他人が介在する事は本来ありえない。これは天才御桜稟がたどり着いた結論であり、以後彼女はその崇高な精神のもと世界の美術界にその名を轟かせることになりました。一方美というものは変化するものであり、人や時代によって見方が変わり生まれ変わる。これは凡人草薙直哉がたどり着いた結論であり、自分が絶対に叶わない存在としての天才を認めておりました。世の中的に脚光を浴びるのはもちろん御桜稟。以後の歴史の中でこれ以上ない名声を名誉を浴びる彼女の姿は誰もが羨むものであると思います。

 では御桜稟の様に絶対的な美を表現できる存在だけが「幸福」になれるのでしょうか?それは違っておりました。第二章、明石は直哉に「作品を作るという意味、作品の意味、何のために作るのか、そこを見誤らなければ問題ない」と言っておりました。何故作品を作るのか?それは間違いなく「美」の表現の為です。ではその美は「誰」の為の美なのでしょうか?「何」の為の美なのでしょうか。これがハッキリしていない人は皆迷走しておりました。迷走し、自分の信じる美を失い将来すら失っておりました。長山香菜は草薙直哉の作り出す美に絶対的なものを感じ彼を追いかける事で美を追求するしかありませんでした。同じく草薙直哉も夏目圭や御桜稟の天才的な感性にあてられ、彼らを失うことで自身の美も失っておりました。これでは「幸福」になれるのはたった一人しかいないではないですか!

 だからこそ、作品を作る事の意味を確立した人は強いのです。例え万人に評価されなくても、技術的に誰かに劣っていても、その作品が自分が求めるたった一人の為に届けばそれでいいという事に気づければそれで良いのです。「櫻達の足跡」を完成させた明石。作品を完成させそれが求める人に届いたからこそ、もう他に何も要らなかったのです。この事に草薙直哉は非常に長い時間をかけてたどり着きました。彼の長い長い迷走はやっと終息したんですね。草薙直哉はあくまで「自分の為の美」を表現できればそれで良かったんです。そこに他人の評価とか、他者のモチーフとか関係なかったんです。むしろ草薙直哉はそうした「他人のモチーフを自分だったらどうするか」という事について考えることに類まれない才能を持っておりました。オリジナリティでは凡人でもアレンジャーとしては天才だったと思っております。

 かつて草薙直哉と夏目圭は2人1組で世界を取る芸術家になる事を夢見ておりました。そしてきっとそれは達成されたのだと思います。天才芸術家の夏目圭の隣にいるのは天才アレンジャーの草薙直哉なのですから。別に直哉にとって世界を取る事はそこまで大切な事ではありませんでした。ただ、自分の為に美を追求する。その最高の素材を提供してくれる存在が夏目圭だったのです。吹とのプールでの勝負もそうでした。吹の描く天才的な技法に自分ならどうするかを考えておりました。結果吹の創作物を最高に生かす形で作品が完成しました。櫻七相図はその最たる例でした。夏目健一郎の最後の作品である「横たわる櫻」のアレンジを6つも描いたのです。それも驚く程の短い期間に驚く程の技法で。これを天才と言わず何と言うのでしょう!

 そしてそんな風に自分で創作せず人の作品をアレンジする気質は彼の性格そのものでした。夏目雫は彼のアレンジ作品である櫻七相図によって中村家から解放されました。氷川里奈は自分の絵に上書きした彼の櫻に希望を見出しました。知らず知らずのうちに彼は多くの人に影響を与え、多くの人の人生を変えておりました。もちろんそれは全て良い事、彼は自分の為の美を追求しながら、同時に他者を救っていたんですね。傍から見れば不器用な生き方。絶対に社会的に成功しない生き方です。でも、それで良いんです。それが草薙直哉という人物であり、彼の見つけ出した「幸福」なのですから。彼は彼だけの美を追いかける事の大切さを理解しました。それに気付けたとき、自分の人生も満更ではないと気付けたんですね。気が付けばみんな草薙直哉の事を慕っておりました。もちろん草薙直哉がイケメンであるという事もあるでしょうが、それ以上に彼の生き方が周りの共感を呼んだのだと思います。御桜稟には御桜稟の幸福があるんです。長山香菜には長山香菜の幸福があるんです。結果何が手に入るかはその人次第。その一つ一つに神はいるのです。





 では、ここからはそんな草薙直哉の生き方を見て私自身はどう思ったのかについて書こうと思います。正直に言いまして、私はこの作品から元気と勇気を貰いました。慰められもしました。現在私も社会人となりそれ程お金に苦労する事なく人並みの生活を送っております。それでも学生自体は物理学を専攻しており、将来は物理学で飯を食っていこうと思いました。ですがその夢は大学院であっけなく崩れました。余りにも周りが天才すぎたのです。基礎学力が違いすぎました。正直、私には天才に見えたのです。そしてそんな天才に見えた彼らですら、全員アカデミックな仕事が出来る訳ではないのです。これに気付いた時、私は普通に就職しておりました。

 もちろん今の生活に不満があるわけではありませんが、大学院時代の彼らは天才であり夢を実現しております。どこかでずっと劣等感を持っていたんですね。世の中的に平凡な生活を遅れても上には上がいる。そしてあの研究者の姿こそ理想であり自分は負け組だと思っておりました。ですがそうではないとこの「サクラノ詩」は言ってくれました。人の数だけ幸福があり、人の為に神がいる。それは幸せのあり方は多種多様で良いという事です。結局は私がこれまで歩んできた道のりと出会った人達との因果が大切であるという事。そしてそこに苦しみや楽しみがあればそれで充分幸せだという事です。

 考えてみれば、この作品にやたらと引用が多いのももしかしたらすかぢ氏による「幸福」の在り方の実践なのかも知れません。引用ですので決して自分で文章を考えている訳ではありません。所詮は他人の受け折であり、そこにすかぢ氏の功績はないのかも知れません。ですがそうした先人の文章を引用し自分のものとして昇華したのがこの「サクラノ詩」という作品なのです。すかぢ氏とサクラノ詩の関係、それはまるで草薙直哉と櫻七相図ではありませんか!それで良いんです。絶対的でなくても良いんです。それでもこれだけの作品を作ることが出来たのですから。これがすかぢ氏の幸福。すかぢ氏が楽しみ苦しんで完成させた唯一無二の傑作なのだと思っております。

 私はこの「サクラノ詩」という作品は現代を生きる全ての人へ向けた応援歌だと思っております。この作品で表現したかった「幸福」の在り方、それは私のような凡人にとって最大限の賛辞です。大切なのは自分の神を信じるという事。そしてその為に楽しみ苦しむに意味があるという事。それが人生であり幸福なのです。身分や立場なんて二の次。人に評価されなくても幸福になれるんです。今作では草薙直哉という人物の半生を見ることでその事を体感してきました。美の絶対的天才になれなかった彼が見つけたアレンジャーとしての天才の姿。これでも十分輝かしいですね。もちろん草薙直哉のような存在になる事すら凡人には叶いません。でもそれで良いんです。この作品を通して、是非自分だけの幸福を探して頂ければと思います。ありがとうございました。


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