M.M むこうがわの礼節 第二話 「知ることの礼節」
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
6 | 7 | - | 72 | 〜1 | 2018/3/25 |
作品ページ | サークルページ |
この「むこうがわの礼節 第二話 「知ることの礼節」」は前作である「むこうがわの礼節 第一話 「逢魔が時の礼節」」の続編となっております。シナリオに直接的な繋がりはありませんが、ネタバレ無しのレビューは「むこうがわの礼節 第一話 「逢魔が時の礼節」」に集約しておりますので、そちらをご覧ください。
・「むこうがわの礼節 第一話 「逢魔が時の礼節」」のレビューはこちら
※このレビューには「むこうがわの礼節 第二話 「知ることの礼節」」のネタバレありしかありません。本作をプレイした方のみサポートしております。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<知ることの礼節とは、相手の立場を尊重する事、その上で教えを乞う事だと思いました。>
デリカシーという言葉があります。辞書的な意味としては「繊細さ」「微妙さ」となりますが、日常会話で使われているのは「相手への気配り」とか「感情の揺れ動き」といったニュアンスでしょうか。いずれにしても、デリカシーがないと一度評価が下されればそれは決定的な汚点となります。相手の気持ちを察する事が出来ない、空気が読めないなど不利益な事ばかりです。今回私がこの「むこうがわの礼節 第二話 「知ることの礼節」」を読んで思ったのはまさにこのデリカシーという言葉でした。
知らない事は何でも知りたいという好奇心旺盛な主人公萌佳は、今日もまたブンこと文太郎の根城である社会科準備室へと入り浸っておりました。そして、その中で友人からのSNSのタレコミをブンに見せます。それはカメラを取ろうとした友人を叱る老人の話、ブンは何かを察知した後、萌佳にはその事は伝えず沈黙を貫きました。それに納得いかない萌佳は知りたいとせがみます。まさに、この行為がデリカシーがない行為そのものであり、今作のテーマとなっている「知ることの礼節」へと繋がっていると思いました。
ブンは萌佳に対して「知る準備が出来ていない」「知ることにも礼儀がある」と言っておりました。それは萌佳に知識が足りないという部分もありましたが、一番の要因は知る事の心構えが出来ていないという事でした。いくら自分が知りたいと思っても、相手がそれを許可しなければ知る事が出来ません。ましてや、相手が自分のデリケートな部分を教えたくないのに、それを教えろと迫る行為は相手の気持ちを考えていない行為そのものです。萌佳が行ったのはそういう事でした。萌佳の友人が言った「写真を撮るくらいいいじゃない」という言葉、そんな自分基準な考えが良くない事は何となく皆さんも分かると思います。ですが、萌佳も実質的にはこれと同じレベルの行為をしていたんですね。
それでも萌佳の立派なところは、ちゃんとブンが言った言葉を自分なりに考えて、その上で改めてブンに教えを乞うたところですね。自分にはどうしても理由が分からない、それは悪い事だと思う、それでも私は知りたい。少なくとも、萌佳は悪意があって知りたいといっている訳ではない事が伝わりました。そんな萌佳の純粋な気持ちに、ブンも心を動かされたんですね。それだったら知ってみるがいい、そして自分の安易な好奇心がもたらすものを理解するがいい、そんな気持ちになったのではないかと思います。待っていたのは、シロクロと差別された歴史でした。蔵の中にのこる座敷牢、そんなものをマジマジと見せつけられて、萌佳は自分の独りよがりな好奇心に気付いたんですね。知ることの礼節とは、相手の立場を尊重する事、その上で教えを乞う事だと思いました。
作中でも言っておりましたが、人は自分が期待する事や分かりやすい事や面白い事だけを拾ってしまう習性があります。それは仕方のない事です。ですが、それも自分の心持と覚悟次第でいくらでも変える事が出来ます。耳に入れたくない言葉でも、覚悟を持って聞くという気概を持つのです。自分が好きになった人がシロかクロか?相手は何を怒っているのか?この残留地帯に残された風習は何か?これらはどれも相当の覚悟がなければ言葉にすら出来ない事だと思います。知るという事はそういう事です。また一つ、萌佳は利発な大人へと近づけたのかなと思いました。
そして今作でもブンの民俗学に触れる事が出来ました。憑きもの筋、クロ筋の風習を現代の社会で見る事は殆どありません。それでも、人の心に巣食った恐怖は、長い年月を経ても無くする事は出来ないんですね。どれだけ時間が経過しても冠婚葬祭のタイミングでどうしても思い出してしまいます。暴かれる事の恐怖の、なんと罪深い事か!物語冒頭、紙の切れ目から見えたブンの目をどう思いましたが?怖いと思ったら、きっとあなたも人生の岐路でそうした民俗学に触れるのかも知れませんね。人は見てもらう事で救われる生き物でもありますし、逆に見られる事で恐怖する生き物でもあります。そんな人間心理を理解して、覚悟を持って知る事を続けていきたいと思いました。ありがとうございました。