M.M 孤独ノユリカゴ




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 8 - 79 3〜4 2018/3/5
作品ページ サークルページ
体験版



<何が真実で何が嘘なのか分からない。答えは、もしかしたらあなたの中だけにあるのかも知れません。>

 この「孤独ノユリカゴ」という作品は同人サークルである「SILK P.O.D.」で制作されたビジュアルノベルです。SILK P.O.D.さんの作品では、過去に「コトノ葉カナタ」という作品をプレイしました(レビューはこちらからどうぞ)。ですが作品を手に取ったのは両者ともC92にて同人ゲームサークルを回っている時でした。「コトノ葉カナタ」同様シンプルなジャケットの中央で何かを考えているような少女の姿で、これがSILK P.O.D.さんの得意な雰囲気なんだなと思いました。ビジュアルノベル部に参加される事が切っ掛けで「コトノ葉カナタ」の方をプレイさせて頂き、その哲学的な内容に色々と感銘を受けました。その次回作が今回レビューしている「孤独ノユリカゴ」です。唯では終わらないシナリオが待っているのは間違いありませんので、腰を据えてじっくりとプレイさせて頂きました。

 主人公である健大には仲の良い友達が2人いました。1人は健大の幼馴染である一葉、もう1人は一葉と同じバレー部に所属する澪です。3人はいつも一緒にいました。本来は立ち入り禁止な屋上に勝手に入り込み、そこで一日中空を見ているくらい一緒にいました。ですが、そんな彼らが迎えた7月22日。この日に流れ出る血を見てしまってから3人の人生は大きく変わってしまったのです。その日から暗澹とした時間を過ごす健大。そんなある日、健大の前に1人の転校生が現れます。名前はレイ。その姿は、かつて仲の良かった澪と瓜二つだったのです。何が真実で何が嘘なのか。記憶の奥底を辿る物語が幕を開けました。

 SILK P.O.D.さんの作品は、一言で言えば難解です。一人称はコロコロ変わりますし時間軸もコロコロと変わります。加えて今目の前で展開されている描写が真実か嘘かも分からないのです。様々な事象の先に待っている幾つもの可能性を検証しなければいけません。それはとてつもない苦労。徒労と思う人もいると思います。ですが、これこそがSILK P.O.D.さんの作風であり魅力だと思っております。恐らくですが、SILK P.O.D.さんの作品に明確な答えというものは無いのかも知れません。それは、解釈によって幾らでもそれらしい答えを作り上げる事が出来るからです。後は、あなたがどのように思い考えたのかが大切ですね。7月22日に流れ出た血は誰のものか?レイは何者なのか?そもそも健大が見た景色は本物なのか?是非あなたらしい説得力のある答えを見つけて下さい。

 そしてこの作品にとってピアノを欠かす事は出来ません。作中で使われている多くのBGMがピアノをベースとしており、時に穏やかに時に不気味に演出してくれます。そして、主人公である健大はショパンが好きなのです。彼が聞くショパンの音色、その優しさが少しずつ世界へと染み渡っていきます。他には効果音を大袈裟に活用しております。何が真実で何が嘘か分からない、そんな葛藤がノイズ的な効果音で表現され時に耳を塞ぎたくなるような強烈さで襲ってきます。というよりも、SILK P.O.D.さんの作品は演出が大袈裟ですね。効果音以外にも文字表記や場面転換、背景の揺れや切り替わりなどが極端でひと時もプレイヤーを休ませてくれません。まるで登場人物達が苦しんでるんだからお前らも油断してんじゃねーよ!と煽っているかのようです。これは勿論良い意味です。褒め言葉です。これこそがビジュアルノベルの面白さだと思っております。

 プレイ時間は私で3時間30分掛かりました。途中選択肢がいくつか登場しますが、いわゆるスタッフロールが泣かれるエンディングは1つだけだったと思います。上で何度も書いておりますが、何が真実で何が嘘なのかとても難しい作品です。当てずっぽうで選択肢を選んでもすんなりとエンディングにたどり着けないと思います。是非セーブ&ロードを活用して物語の終着点を確認して下さい。但し、終着点を確認したからといってスッキリするとは限りません。むしろそこからがこの作品の本番かも知れません。ここからあなただけの答えを探す旅が始まるのです。悩みましょう。そしてこの不可解な世界に苦悩しましょう。そして、是非私にもあなたの答えを聞かせて下さい。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<全ての出来事が誰かが見て記憶して夢見たもの。後は、それを受け入れるだけ。>

 レビューの本質とは逸れますが、私はハッピーエンドとバッドエンドという言葉はそれ程好きではなかったりします。理由は、誰にとってのハッピーエンドなのかバッドエンドなのかが曖昧だからです。主人公にとって幸せでもモブにとって不幸なら、それはハッピーエンドなのでしょうか?逆に主人公にとって不幸でもプレイヤーにとって納得感があればそれはハッピーエンドなのでしょうか?物語の終わりにあるもの、それは「トゥルーエンド」と「それ以外のエンド」しかないと思っております。こういう「孤独ノユリカゴ」の様な作品をプレイすると、いつもこんな考えが湧き出してしまうんです。

 この作品を語る上で記憶と磁場の関係を外す事は出来ません。人間の記憶は脳の中の神経細胞のネットワークの繋がりで維持されます。そしてそのネットワークの繋がりは電気信号でやり取りされております。作中で「人間は電気仕掛けの人形」という表現をしておりますが、これは記憶という観点で見れば実に的を得た表現だと思いました。そして、電気信号のやり取りで構成される神経細胞のネットワークが記憶であるのなら、その電気信号が伝播したりコピーされれば他人といえども同じ記憶を持つ事が出来るのも納得です。この作品の最後に登場した「脳磁場」という言葉、この意に気付く事が作品の理解に必要不可欠だと思います。

 古典物理の代表的な学問に「力学」と「電磁気学」があります。力学についてはここでは割愛して、電磁気学について少し説明します。電磁気学とは、その字面の通り電気と磁気の両方が組み合わさった言葉です。つまり、電気と磁気は切っても切り離す事が出来ず、必ずセットで考えなければいけません。電気流れるところに磁気あり、磁気あるところに電気があるのです。作中で語られていた「脳磁場」という言葉、これはまさに脳の神経細胞のネットワークを作り上げている電気信号が磁場として表に出たものでした。そして、それを受けた別の脳の中で新たな電気信号が出来上がるのは何も電磁気学に矛盾しません。健大の記憶、一葉の記憶、澪の記憶、これらは全て脳磁場のやり取りの中で共有され、それが不幸にも記憶の混濁と自我の崩壊へと繋がってしまいました。

 作中でやたらと2進数で年号のやり取りをしていたのも脳磁場の表れですね。現代はデジタル信号によって様々な情報を受け渡ししております。そしてそのデジタル信号は0と1で構成されており、全てはこの組み合わせなのです。ですが、デジタル信号も元を辿れば唯の磁場です。恐らく、2進数でしか表現出来なかった記憶は他人の記憶なのかなと思っております。健大が持っていたMDの表記が2進数に変化している、これってきっと健大以外の誰かが持っている時に見たんですね。小説の中で年号が2進数に変わった瞬間、それが記憶が断片化し混濁した時でした。同じなんです。2進数でも10進数でも同じなんです。ただ、誰の記憶を誰の視点で見ているかの違いだったのです。

 一葉は幼い時に玲という年上のおねーちゃんと遊んでおりました。それが一葉の唯一の楽しみであり、生きがいでもありました。ですが、途中からそんな玲が居なくなってしまう夢を見てしまいます。そんな事があるはずがありません。何故なら、玲は目の前にいるのですから。ですが、その夢は果たして一葉の夢なのでしょうか。もしかしたら、目の前にいる玲が頭の中で考えている事なのではないでしょうか。夢もまた、脳の神経細胞のネットワークで作られたものです。そうであるのなら、玲の考えやイメージが一葉に見えてしまうことに何も矛盾はありません。そしてそれは同時に一葉と澪、一葉と健大と広がっていきます。嘘のような本当の話。誰かが悪いとか、嫌な予感とか、そういう事ではないのです。全て、誰かが自覚的に思った事の表れなのです。

 だからこそ、物語最後にあの呪いの踏切の前で全てを悟った澪に救いなどあるはずがありませんでした。初めから、一葉や健大が澪に出来ることなんて何もなかったのです。普通の中学生として、普通に友達として接し、それがいつしか恋心としてぶつかってしまった日常。ですがそれは何も悪い事ではないのです。自然と、物理法則のようにそうなってしまったのです。結果、一葉が死んでしまったのは仕方がない事。救うことなんて、出来なかったんですね。これが真実。これがトゥルーエンド。ハッピーエンドでもバッドエンドでもありません。この後澪がどう過ごすかなんて誰にも分かりません。ただ1人、孤独ノユリカゴの中で過ごすのでしょうか。それともショパンの音色と共に健大が目を覚ますのを待ち続けるのでしょうか。願わくば、2人とも幸せな夢を見続けながら自分達だけの世界を作って欲しいと思いました。ありがとうございました。


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