M.M カッテナキミへ




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
9 8 - 90 〜1 2022/7/22
作品ページ(BOOTH) サークルページ



 この「カッテナキミへ」は、同人ゲームサークルである「晴好雨奇一丁目」で制作されたビジュアルノベルです。この作品のレビューはネタバレ有りしかありませんので、見たくない方は避難して下さい。またレビューをお読みになる前に、雑記に投稿している「好きなものを好きでいる事について」をお読み頂けますと幸いです。

「好きなものを好きでいる事について」はこちらからどうぞ。


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ここからネタバレです。見たくない方は避難して下さい。





















































































<好きは自分勝手で良い>

 プレイ開始5分で、すっかり身も心も虜になってました。誰もがきっと経験したことがある出来事だと思います。自分がかつて好きだったもの、それが年月の経過や人間関係の変化で何らかの形で気持ちが変わっていくもどかしさに心がザワザワしました。別に、好きに理由なんて必要ないんですけどね。その事に気付けるまで、結構時間が掛かるんですよね。

 佐藤まさるは極々普通の青年だと思います。恐らく、彼の価値観が一般的なんだろうと思います。子供の時に好きだったアニロボ、それが年月が経ち友達の趣味が変わっていく中で何となく自分も離れていってしまいました。そして大学生になり再び垣間見たアニロボ、懐かしさと同時に面白いと思えるか不安に思ってしまいました。別に、それで良いと思うんですよね。子供の時に熱狂したからといって、大人になっても熱狂しなければいけないという決まりはありません。ただ、子供の時ほど大人になって熱狂出来なかったらかつての自分を否定する事になるんじゃないかって思ってしまうんですよね。それに、どれだけ好きな物でも年月の経過で絶対に忘れてしまいます。細かなデータや場面など、何故か覚えていたのに何で忘れてしまうんですかね。そんな自分に気付くのか怖かったんじゃないかと思います。ですけど、そんな心配は不要でした。久しぶりに見たアニロボ、かつての面白さに加えて大人になったからこそ気付けた魅力がありました。年月を経る事で熱狂度は変わったかもしれませんが、好きな気持ちは変わらなかったんですね。そして、それはまさるだけではなく友人も同じでした。恥ずかしいなんて、自分が勝手に作り出した幻想でした。まさるは真面目だから、将来見なくなるかもしれない勝手な自分を許してくれと言いました。良いんですよ、そんなの全然勝手ではありません。見たければ見れば良いし、そこまで興味なければ見なくても良いです。また年月が経てば見るかもしれませんしね。そんな、誰もがきっと経験した当たり前の出来事でした。

 吉田ななも、何かと理由を付けて無理やりアニロボを好きになろうとしていました。いわゆるオタクとしてアニロボのキャラクターであるカツヨシにハマり、気付けばカツヨシを描いた二次創作作品を集めるまでになってました。ですけど、二次創作は流行り廃りがあります。いつしかカツヨシを描いた二次創作は減り、自分が好きなサークルさんも別のコンテンツに移っていきました。同じオタク仲間からも「アニロボは子供向けだから、大人がどうこう言う物じゃない」と言われました。ななは、認めたくなかったんですね。アニロボという子供向けのアニメに対して性的な視点で見ていた事に。そしてそれは不自然な事であり失礼な事だと決めつけていました。良いと思うんですよね。アニロボはこんな風に好きになりなさい!というガイドラインがある訳ではありませんし。自分なりの好きを見出せば何も問題ないと思います。結局のところ色々考えてしまい、本当はカツヨシが好きという気持ちに蓋をしてアニロボを離れようと思いました。子供向けの作品だから大人の自分は卒業するという最もらしい理由を添えて。ですけど、それが新シーズンの発表で一転します。あのカツヨシがレギュラーキャラになり、そんな悩みは吹っ飛んでしまいました。アニロボはずっと留年で良い!本当自分勝手ですね。ですけど、この位の自分勝手の方が本当に好きなんだなという事が伝わって自分としては嬉しくなります。全然自分勝手で良いですし、そもそも周りはななを自分勝手って思いませんからね。離れるのも良し、離れないのも良し。とりあえず、推しが戻ってきて幸せそうなななを見れて良かったです。

 木村てるひこ、自分は好きですよ。何故なら、自分とそっくりだからです。いわゆる原作原理主義者って奴ですね。まずは何よりも原作を見ろ、話はそれからだって奴です。だって、そうじゃないですか。その作品の原点を知らないのに、その派生を見たところで意味無くないですか?土台が無いのに家を建てても、崩れてしまうと思いますよ?とまあこんな感じですね。まあ、実際のところそう思っても仕方がないですけどね。今やSNSなど様々なルートがありますので、原作を知らないで作品を知る人の方がきっと多いと思います。結局のところ、好きならば何でも良いんですよ。ただ、少し悔しいんですよね。自分の方が古参で長く作品を好きなのに、にわかな人が騒いでるのを見ると先輩面したくなるんですよね。とりあえず、その気持ちは捨てずに取っておいて外に出さない事ですね。古参ならば、古参にしか出せない余裕を持つ事です。焦る必要もありませんからね。自分が好きという気持ちさえ見失わなければ。結局のところ、てるひこはその後のシリーズもちゃんと見てますからね。良いオタクですよ。ちゃんと見た上で批判してる、私からしてみれば立派だと思います。そして最後のオチですよ。本当自分勝手ですよね。ただ、これでてるひこがアニロボから離れない事を祈ります。作画が古いから離れるって、本質的じゃないですからね。てるひこが好きだったアニロボはそこにある訳ですし、もし見方が変わったとしたらそれはてるひこにそれ相応の時間が経過したという事ですからね。是非、素直に自分が好きな物を好きでいて欲しいと思いました。

 さて、ここまで3人のエピソードを読んで皆さん何か思うところがあるのではないでしょうか。こう言っては失礼かもしれませんが、このカッテナキミへという作品は同人ビジュアルノベルであり、日常生活を送っていては中々出会う事はありません。この作品に出会っているだけである程度サブカルチャーに熟知している事であり、それなりにアニメやゲームに触れた時間が長いのではないでしょうか。そして、昔は純粋な気持ちで好きだったもの、それがいつしか好きに理由を付けてしまい好きに説得力を持たせなければならなくなっていませんか?私は、好きに理由なんて必要ないと思います。好きな物は好き、理由が思いつかなくてもその気持ちは本物なんですから。そして、好きを武器に相手を攻撃する必要もありません。何故なら、好きは自分に向いているものですから。同じく、誰かが好きで攻撃してきても無視するに限ります。また、同じ作品を好きでも好きの度合いが叶わないなと悩む必要もありません。全ての好きは自分に向いてさえいればいい、言いかえれば好きは自分勝手で良いという事です。過去に「好きなものを好きでいる事について」という雑記を書きましたが、これは今でも好きに対する心構えを思い出させてくれます。今回、この作品をプレイして新たに「好きは自分勝手で良い」が追加されました。是非、自分が好きな物を自由に好きでいて欲しいと思います。

 最終章、君島嘗はそもそも好きが無い社会人でした。日々の仕事に撲殺され、精神をすり減らせる毎日でした。また、刷り込みではありますがアニメなどのサブカルチャーに低俗なイメージを持っておりました。自分には関係ない、あの曲を聴くまでそう思っていました。街中で聞いたポップな音楽、曲名もアーティストも知らないその曲を自然と好きになっていました。ここに、理由なんてありませんでした。ただ、好きになっていたのです。そして、色々とトラブルに見舞われながらもやっと家に帰り、テレビを付けたら自分が下らないと思っていたアニメが放送されていました。クサイ台詞、馬鹿馬鹿しい台詞、ですけど自然とそれに見入っていたのです。そして、どこかで聞いたあの曲が流れました。きっと、嘗はアニロボを好きになったんだと思います。理由なんて関係ない、ただ見入られ好きになってしまいました。そんな、人が何かを好きになる瞬間でこの作品は幕を閉じました。効果音や背景描写が非常にリアルで、日常感に溢れていました。そして、ずっと文字だけで語られていたアニロボですが最後にその登場人物とテーマソングが登場して物語の終焉でした。この展開に大変興奮しました。好きという物を取り扱った本作は自分にとってドツボにハマるものであり、1時間以内のプレイ時間の作品で初めて90点以上を付けさせて頂きました。同時に、ネタバレ無しでは書けないなぁと思いネタバレ有りのみとさせて頂きました。世の中には、もっと長く壮大な作品はあります。それでもこの作品に90点を付けたのは、この作品にハマり好きになったからです。それで良いと思います。皆さんにとっての90点以上の作品は何ですか?是非教えて下さい。素敵な作品を、ありがとうございました。


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