M.M 好きなものを好きでいる事について


 このページでは、私が普段どのようなモチベーションでHPを運営しているか、そしてそのモチベーションをどのように継続しているかについて書いております。趣味という生産性を考えない活動、全て自己責任で行う活動を続ける、自分なりの秘訣を赤裸々に書いております。もし、少しでも参考にして頂ければ嬉しいです。



・はじめに


 この記事は、私がここ数年の間に同人活動に関わってきて感じた事や思った事をまとめたものとなっております。これまで同人活動に関わってきた中で、ゲームを制作される同人サークルさんや音楽を制作される同人サークルさん、そしてそんな同人サークルさんを慕うプレイヤーの方など様々な方々に出会ってきました。そして様々な同人作品の話や世間話など、とにかく色々とお話をさせて頂きました。そんな様々な話題の中で少なからずピックアップされる話、その1つが「自分の好きな物」だと思います。別にこれは同人活動に限った話題ではないと思います。人間生きていれば好きな物は当然あると思いますし、自分の好きな物こそ自分らしさであり自己紹介の始まりになると思っております。だからこそ、この同人活動の中でこの「好きな物」について語るという事は、単純に自分の好きな物を語る以上に様々な要素をはらんだものに膨らんでいきました。そしてそれは時に好きという観点から随分と逸れてしまった物も存在しているように感じます。今回様々な方とお話させて頂き、加えて自分自身の事を振り返ってみて、改めて「好き」という事はどういう事かについて自分の考えをまとめたくなりました。是非同人サークルさんやそのプレイヤーの方だけではなく、沢山の人に読んで頂き自分自身の「好き」について思いを巡らせてほしいと思っております。


・好きに理由は必要ない


 1つ質問させて頂きたいと思います。「あなたの好きな作品は何ですか?」幾つかの作品が頭の中に浮かぶと思います。では続いてこれはどうでしょうか。「今あなたが頭の中に浮かべた作品について、それぞれどのくらい好きですか?」この時あなたは何と比べるでしょうか?多くの人は、自分の好きな作品同士で比べると思います。ですが、こう思った方もいるのではないでしょうか?「好きだけど、何となく好きなだけで理由は実は良く分かってない」と。私も昔は同じ事を思いました。どうしてこの作品が好きなんだろう?シナリオが好きなのか、キャラクターが好きなのか、雰囲気が好きなのか。そして、皆さん何となく理由を付けてラベリングしているのだと思います。ですけど、理由付けって実は後付けであって、本当は全く意味のない事だと思っております。皆さん本当は分かっていると思います。「どのくらい好き?」に対しての本当の答え、それは「とにかく好き!」これしか無いという事に。好きの理由って、実のところ誰かに説明するためにそれらしく理由付けしているだけなんですね。実際「とりあえず好き!」だけでは、他人に説明出来ませんからね。だから私は思うんです。好きの理由って、必要ないんだと。「良く分からないけど好き」この気持ちを是非大切にして欲しいと思います。心の底からあふれ出す「好き」という良く分からない気持ち、理由が分からないけど何故か作品に惹かれるこの気持ち、まずはこのインプレッションを絶対に忘れないで下さい。それが、好きな物を好きでいる為に大切な事の1つだと思います。


・好きに資格はない


 あなたは人との会話の中でこれに似た経験をした事がありませんか?「俺、"水夏〜suika〜"ってゲーム超好きなんだよね。」「へー、じゃあヒロインの誕生日とかスリーサイズとか全部覚えてんの?」もちろん、これは私自身の経験です。大学時代に宅飲みしていた時のちょっとした会話です。別に相手も深く考えて喋った訳ではありません。ちょっとした軽口のつもりです。ですけど、この時私は思ったんですね。「本当に"水夏〜suika〜"が好きなら、そういうデータ類も覚えていて当然なんかな?」と。私は、知識の大小で好きの大小を測るのはナンセンスだと思っております。知識の大小は、実際のところ記憶力さえあれば誰でも身に着ける事は出来ます。確かに、好きだから自然とそうしたデータが頭の中に入るのは当たり前と思う人もいると思います。ですが、それはその人の好きの形であって、万人に共通するものではないと思っております。これは知識の大小だけではありません。例えば、"水夏〜suika〜"が好きな人は皆2001年に発売された"オリジナルの水夏〜suika〜"をプレイしているでしょうか?違うと思います。きっと多くの人は2004年に発売された"水夏A.S+"をプレイしていると思います。では、"オリジナルの水夏〜suika〜"をプレイしていないと「好き」と認められないのでしょうか?違いますね。そうした知識の大小、原作をプレイしているかいないか、シリーズ全てをプレイしているか、そのどれもがその人独自の勝手な基準なんです。例え知識が足りなくても、原作をプレイしていなくても、好きになった時間が他人と比べて短くても、そんな事は関係ありません。「好き」なものは好きなんです。その気持ちだけで充分だと思います。


・好きを人と比べる必要はない


 あなたがTwitterやイベントなどを通して人と会話をしたとき、こんな事を思ったりしませんでしたか?「あー、自分はこの人の好き具合には敵わないな。」と。そして、自分の好きに自信を無くしてしまいそうになったりしませんでしたか?これも全く意味のない考えだと思います。好き具合って、どうやって決まるのでしょうか。例えば、自分も割と内向的な性格でして自分の気持ちを表に出すのが苦手な性格だったりします。それでも、好きな物は好きですしその事に何も違いはありません。たまたま、Twitterやイベントを通じて出会った人が外交的で自分の気持ちを発信するのが得意なだけだったりするのではないでしょうか。何が言いたいのかと言いますと、好きを人と比べる必要はないという事です。そもそも、好きを人と比べる事なんて出来ないと思います。人によって好きの基準は違います。キャラクターが好き、音楽が好き、雰囲気が好き、シナリオが好き、とりあえず好き、そのどれもが正しくて正直な気持ちです。それだけです。いつの間にか、好きに対して人と勝負していたりしませんか?相手が自分と同じものが好きならば、「自分も好きなんです!」これだけで十分だと思います。その上で、意見交換したければすれば良いと思いますし、お互いに何が好きかを語り合えば良いと思います。時には相手から教えを乞うても良いと思います。それは、決して勝ち負けではありません。ただ、好きな物を好きである気持ちの表れである。そういう関係でありたいと思います。


・好きに実力は関係ない


 あなたは好きなスポーツがありますか?マラソンでもサッカーでもスキーでも何でもいいです。きっと1つ2つはあると思います。もしくは別に好きでもないけど嫌いでもない、そんな感じでしょうか。例えば、あなたが趣味でスキーをしていたとして、「オリンピック選手に実力で勝てないからといって自分はスキーが好きではないのではないか?」と思うでしょうか?恐らく思わないと思います。スキーの滑空のタイムがオリンピック選手に勝てないから好きではない、そんな話はありませんね。ちょっと極端な例でしたが、これはいわゆる実力を伴う趣味についての誰もが抱えるジレンマだと思います。例えば、私は吹奏楽が好きですしDDRが好きです。ですが、世の中と言わずかなり身近に自分よりも楽器演奏が上手くて知識のある人が沢山います。実際、今所属しているパートの中でも実力は真ん中くらいです。DDRなんて、筐体スコア記録を取っても簡単に抜かされてしまいます。高難易度の曲では夢のまた夢です。これって、自分の身近にいると意外と気にしてしまうんですよね。テレビの中の存在であれば、ある意味遠い世界の話に思う事が出来ます。ですが、身近にして会話したりする間柄ですと、どうしても実力というものが気になってしまいます。そして、それを好きの大小に絡めてくるんですね。いわゆるガチ勢とエンジョイ勢の問題ってやつです。ここまで読んだ方であれば、この事もナンセンスだと思ってくれると思います。プロであれば実力が求められますが、アマチュアであれば必ずしも実力主義ではありません。楽しむ事、人と仲良くする事、それが一番になっても良いと思います。大切なのは、自分の好きの形を歪められないようにする事です。もしあなたが所属している趣味のコミュニティがちょっと毛色が違うと思ったら、すぐに抜けた方が良いです。それはあなたが悪いのではないのです。たまたま合わなかっただけなんですから。


・好きを勧めてくる人は自分以上に信用できる


 ちなみに、本当に自分が好きな物を好きだと語る人は例外なくマウントを取ろうとしません。そんな事をする意味が無いからです。ただ自分が好きな物を語りたい、それだけなんです。後は、耳を傾けるあなたの心持次第です。そんな熱い人の言葉を聞いて、「あー、自分は敵わないなー。」と思わない事です。この人は自分と同じものが好きなんだ、と思うだけで良いと思います。そして、自分が自分の好きな物を語るときも同様です。余計な事は考えずに、純粋に好きな事を話すだけで良いのです。この作品のこのキャラクターが好き、音楽が好き、同じシナリオライターの別のこの作品が好き、それだけで十分です。そこに「好きな人はこのくらい知ってるよねー」とか「あなたこれ好きなのにこれは知らないんですか?」とか言わない事です。そこは言葉を変えて「これ好きならきっとこれも好きですよー」って言う事ですね。案外、相手が純粋に自分に進めてくるオススメ作品って、当たるものです。自分以上に自分の事を理解してるんじゃないかって思ってしまいます。


・好きな人から「学ぶ」と好きがもっと好きになる


 そして、時にはどうしても相手の好きが気になってしまう場合はあると思います。そんな時はどうしても好きの大小で比べる、相手の知らない事を探す、そういった思考になりがちです。こういう時は、考え方を変えてみるのが良いと思います。私の場合は、相手から「学ぶ」という事ですね。相手の方が知識量や情熱が上であるという事は、言い換えれば自分か気づかなかった作品の魅力を知るチャンスでもあります。そんな時に、相手へのモヤモヤが先行してしまうと折角の機会をフイにしてしまいます。積極的に相手の言葉を聞き、それを記録し、更に相手の言葉を引き出すのが良いと思います。それでもどうしても難しい場合は、一旦距離を置くんですね。日々の生活の中でどうしても積極的な気持ちになれない場面はありますし、たまたまそんな日だったのかも知れませんのでね。そんな時こそ、自分の好きな物にどっぷりと浸かる事です。次の日になれば、自然と昨日のモヤモヤも抜けているかも知れません。どんな人にもメンタルの揺らぎはあります。あの時親切だったのに今日は不機嫌という事も当たり前です。気にしないし気にさせない、そんな事の積み重ねが大切なのかも知れません。


・結論…自分の好きに自信と誇りを持って欲しい


 さて、色々と書いてきましたが全ての項で共通している点に気付きましたか?私が言いたい事をまとめるとすると、以下の3つに集約されます。

好きの基準は自分の中だけにあり、他人と比べるものではない。
「好きか?嫌いか?」と自分に問いかけて、少しでも好きに傾けばそれば全て好きである。
好き嫌いでマウントを取ろうとする人は、例外なく無視して構わない。

この3つを気にして自分が好きな物を好きでいる事が、健やかな趣味活動に繋がるのではないかと思います。もし、あなたの傍に何らかの形で自分の好きを揺らがせようという存在がいたら、キッパリと無視して構わないと思います。上で書いたマウントを取りたがる輩ですね。どんな言葉でも、耳に入れば絶対に心に残ります。そして、小さな楔のような言葉でも永遠にモヤっと残り続けるのです。仕事ではないのですから。自分が好きな物に正直になって、それを勝手な分からない理屈で曲げようとする輩には関わらないようにしましょう。とはいえ、人間関係が深まるとどうしても無視できなくなる場合もあると思います。それでも、きっとあなたが信頼している人であれば必ずあなたの事を理解していると思います。1人でも2人でも構わないと思いますので、そういった大切な人と出会える事が出来たら、それが一生の幸せだと思うんです。自分の好きを肯定し、相手の好きも肯定する。余計な言葉は要らないんですね。思わぬ言葉が相手の心に残ると思いますので、自分も気を付けます。そして、是非皆さんの好きを教えて下さい。好きな物について、これからも純粋にお話できる関係を作っていければと思っております。皆さんも、是非健やかな趣味活動を送って下さい!




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