M.M J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜 Lost Route エデンの証明


 この「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜 Lost Route エデンの証明」は本作である「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」の追加シナリオとなっております。その為レビューには「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」を含めたネタバレが含まれていますので、「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」のネタバレを避けたい方は避難して下さい。

・「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」のレビューはこちら

※このレビューにはネタバレしかありません。本作と追加シナリオの両方をプレイした方のみサポートしております。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。























































































シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 7 - B 1〜2 2017/1/11
作品ページ サークルページ(R-18注意)



<「ハローハロー、アイムヒア」、それは島地とナタリアの2人が救われたいと願う魂の叫び。>

 人は人と関わらないと生きていけない。そんな単純であり重いテーマを終末世界を舞台として表現した「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜(以下J.Q.V)」。今回レビューしている「Lost Route エデンの証明(以下エデン)」はそんなJ.Q.Vのイフの世界を描いた物語であり、J.Q.Vがたどり着く一つの可能性の描いておりました。自分が絶対的に人とは違う存在だと認めていてもなお人と関わり続けていたい。そんな想いを持った島地とナタリアがエデンを求めて足掻き続けるシナリオが幕を開けたのです。

 私自身J.Q.Vをプレイしてからもう4年以上も経過しております。その為オーガニック・エボリューションによる人類の消滅や島地が目指した物について曖昧な部分がありました。それでもJ.Q.Vという作品が言いたかった「人は人と関わらないと生きていけない」という事はしっかりと覚えており、だからこそ島地が人間である為に1人で生きる決意をした姿は「新人類」として選ばれる偉大な一歩だったと記憶しております。人は何故社会の中で生きるのか?煩わしいはずの人間関係を続けていくのか?一人で生きることは出来ないのか?自分達の日々の生活の中で無意識におこなっている行動や発言は全てアナタらしさであり、人間らしさの証明でした。ではそんな島地がやはり人との触れ合いを求め救済に拘ったらどうなるのでしょうか?それが本作であるエデンで表現されてました。

 つい最近読んだ本の中で一つ印象深い言葉があります。それは「人は人を動かす事は出来ない。代わりに人を動かしたくさせる事は出来る。」というものです。これは本質的に人が動くのは自分自身の決断であり、誰かが無理やり動かす事はありえないという意味です。私はこのエデンをプレイしてまさにこの言葉が頭の中に浮かんできました。人を救済しようとする島地の行為、それは相手の意思を無視した行為でもあります。人は人を救う事は出来ないんですね。勝手に救われるだけです。その事にナタリアは気づいていたのでしょう。だからこそ何度も観測を繰り返し自分を殺して人を救済しようとする島地をふりだしに戻したのだと思います。不毛なんですよね。何度繰り返しても無駄。島地はいつまでもきっと全員の事を救えないと思います。島地が悪いのではないのです。それがきっと人というものなのですから。

 そして島地もまた本心ではその事に気づいてましたね。作中でも「他者の生き方を変えようとするな。自分が他者に対して、影響のある何者かであろうとするな。ただそこに存在するだけで良い。」と言っておりました。人間に特別なんてない。それぞれが唯の個人であり、それぞれが人間であるという意味です。救済なんて、あまりにも主観的ですよね。何様なんだと言われてしまいます。それでも救済を繰り返そうとする島地、これが化物の正体でした。人の気持ちが分からないとか人を殺したとか、そんなのは化物の側面に過ぎませんでした。自分が人間でありながらも人と距離を取り、例え輪に入れなくなる事が分かっても救済しようとする行為そのものが化物。ライオンの空腹。そんな島地の行為、正直見てられませんでした。

 それでもそんな島地を許してくれる存在がいました。それがヒロインである芽依でした。島地の手によって消えてしまった芽依。それでも彼女は島地の事を認め続けてくれたのです。

「あたしが島地を、許してあげる」

この言葉がある限り、島地は何度でも人を救おうとするのでしょうね。例え化物に成り下がろうとも決して諦めない。もう73回どころではなく何百回何千回も繰り返しているのでしょうか。そしてその度にナタリアに倒され諭され、それでも諦めないのです。本当、生きるって困難ですね。こんなに不器用な方法しか無いのでしょうか。

 最後ナタリアは芽依に向かって「ハローハロー、アイムヒア」と叫びました。ナタリアもまた自分自身の不器用さに気づいており、何度も救済を繰り替える島地を他人事の様に見れなくなってました。そりゃナタリアも芽依に触れたくなりますよ。そんな心の内が「ハローハロー、アイムヒア」に込められているのだと思います。化物になってでも全ての人を救おうとする島地、そんな島地を止め続けるナタリア。箱庭の楽園の中で繰り返される観測と観測。そんな彼らの言葉は、ちゃんと芽依に届いているのでしょうか?「ハローハロー、アイムヒア」。そんな声が空にこだましながら、今日もまた2人は観測を繰り返してエデンを求めているのでしょう。


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