M.M J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
10 6 6 90 10〜13 2012/12/8
作品ページ(R-18注意) サークルページ(R-18注意)



<世界観とテーマ性を圧倒的な文章量で書き切った終末もの>

 この「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」というゲームは同人サークルである「StudioBeast」が制作されたサウンドノベルです。入手したのはC82の時でして、人類が3人しか生きていないという終末ものという事で非常に興味をそそられました。可愛らしいキャラクターと1.5GB以上必要という同人ゲームとしては多めのデータ量という事で大作の予感も感じ、普段より少し気合を入れてプレイに臨みました。感想ですが、終末世界観の中で妥協することなく「人間が生きる意味」という物を表現できた作品だと思いました。

 終末ものという事ですが、正直それだけで興味がそそられますね。人類が3人しか生きていない世界、それ以外の人類は全て人類以外の物へと変容してしまった世界、何故このような世界になってしまったのか、こんな世界になってしまってどのように物語が進んでいくのか、3人しかいないのに人類救済部を立ち上げで何を救済するのか、パッケージだけで様々な妄想をする事が出来ます。これは終末ものが持つ魅力の1つだと思っております。学園ものや田舎ものなどいわゆる日常的なものは世界観には違和感を持たず初めから登場人物とシナリオに興味が行くと思いますが、終末ものはまずは何故このような世界観なのかというところから興味を持つと思います。それだけでプレイヤーの興味を駆り立てるという事で良く扱われるジャンルですね。

 そのかわり終末ものにはあらゆる事象に対して矛盾や無理が無いようにシナリオや世界設定を組み立てなければいけません。矛盾が生じれば世界設定のどこを信じて読み進めていけば分からなくなりますし、それがそのまま作品の不信につながってしまいます。またこじつけ的な超展開で無理やり辻褄を合わせようとする物もありましたがそれではプレイヤーを置き去りにしてしまい最終的に心に残るものがありません。そして最大のポイントは世界設定はあくまで設定であり、真のテーマを表現する事です。世界設定の謎解きで終わってもまあ面白いかも知れませんが、それではパズルを解いた感覚に似ていてプレイして感動したという感想はなかなか持ちにくいと思います。終末ものというジャンルの中で何をテーマとしているか、これを伝える事が大事になると思っています。

 そういう意味でこの「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」ですが、それら終末もので求められるもの全てを満たしていると思いました。人類が3人しかいないという世界設定の説明、各登場人物がどのような思いで終末世界を生きているかという心理描写、そしてこの終末世界の中で何を言おうとしているのかというテーマ性、全てが丁寧に表現されていたと思います。かなりの文章量であり世界設定や各登場人物の設定も非常に細かかったこともあり、私はメモを取りながらプレイしました。それだけやりがいのある作品であり、プレイ後の満足感は大きいのではないかと思います。

 それ以外に特筆するべき事としてはシステム周りですね。この作品は結構専門用語が多用されているのですが、1つ1つの言葉に解説がついております。文章中に色の違う部分が出ており、そこをクリックする事で言葉の解説を見る事が出来ます。これはいつでも確認する事が出来、途中設定が分からなくなりそうなときに何度も見返して把握する事が出来ます。後は選択肢がありません。完全な1本道です。そういう意味で分岐を気にすることがありませんので自分のペースで小説を読む感覚で進める事が出来ます。後は全体として非常に長い印象を持つと思います。私は10時間ちょっとで終わりこれだけですと短い印象ですが、世界設定の把握の為に基本全ての文章で油断できなかったので時間以上に密度の濃い文章でした。もっとゆっくりプレイしても良かったかも知れません。

 という訳で終末ものを取り扱った作品としてはピカ一の内容だったと思います。同人ゲームの中でここまでボリュームがあり心に残る作品は中々巡り会えないと思いました。ネタバレの関係上中身について書けないところが残念ですが、殆どのプレイヤーを満足させてくれると思います。飲み物とお菓子とメモ帳を用意してじっくり読み進める事をお勧めします。圧倒的な文章量をお楽しみください。


→Game Review
→Main


以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<どんなに心が傷つく事になっても人は人にすがらないと生きてはいけない>

 …凄いゲームだと思いました。人間の生産活動によって徐々に住みにくくなっていく地球環境、それを回避しようと生み出したオーガニック・エボリューション(以下OE)によって加速をかけられた人類の消滅、そして極端に人類が居なくなってしまったことによる量子力学の観測問題にまで手を広げた世界設定です。生物学や物理学の知識が無いとここまで綿密な世界観は作れないと思いました。ですがそれ以上に凄いと思ったのは、こうした世界が滅亡していく状況の中でリアルに表現される人間の心でした。

 残された人類が100人になってしまっても先生を中心として皆さん弱音を吐かず生き延びようとしていました。ですが、未来には絶望しか見えない状況で気丈に生きようとできる人の方が変だと思えるのは常識的に考えて納得できると思います。彬名が「どうしてみんな平気な顔していられるんですか!?」と叫んでましたが、これこそが人間として普通の反応だと思います。彬名も他人にバリアを張り人と触れようとしない傍から見たら「特殊な」人間だったかもしれませんが、ある意味一番人間らしい人物だと思いました。他にもラジオのアナウンサーが壊れてしまいましたが、壊れもすると思います。自分が今の仕事をしても未来に希望が無いからです。それを悟ったとき、人は簡単に常識を捨ててその本質を表に出せるのかも知れませんね。

 そしてそんな人間のリアルな行動と心理描写がしっかりとビジュアル的にも描かれていました。このゲームは「R-18」という事ですが、それはHシーンがあるからではなく人間の内臓や血が飛び交う描写があったからなのではないかと思える程でした。プレイしていて思わず「おお…」と感心してしまいましたからね。それ以外にも人間の心理描写についても出来るだけビジュアルで伝わるよう工夫されていたと思います。特に主人公がまだ閉じ込められていた時の家族との対話のシーンは素晴らしいと思いました。人形劇のような演出ですが逆に分かり易く登場人物の心理描写が伝わってきました。

 そしてそんな滅びゆく世界の中でリアルに表現される人間の心、その先に待っているテーマはずばり「人は尊いという事」でした。主人公は自分が人間らしい心を持っていないから世界と人間を知る為に箱庭を脱出してきました。ですが「人間を知ろう」という事は見方を変えれば「自分が人間ではないから自分とは違う人間というものを知ろう」と解釈できます。人間を知ろうというアプローチでは間違っていたんですね。だからこそ主人公が引き金となって100人いた人類を一気に3人まで減らしてしまった時もこんなものかと思っていたのかも知れません。だからこそその後自分の合わせ鏡である芽依と出会う事で人間とは何かという事について気づく事が出来たのかも知れません。

 気づけば簡単でした。人は1人では生きられないのです。どんなに心が傷つく事になっても人は人にすがらないと生きてはいけないのです。主人公はそれに気づけたのですから、その時点で主人公は立派な人間だと思います。だからこそ、ナタリアの言葉に惑わされたという事もあるかも知れませんけど他の皆が生きている世界を観測しようとしたのでしょうね。昔の主人公では考えられなかった行動です。それでも主人公はその世界とも決別します。自分の都合で他人を巻き込んではいけないからです。他の世界へ関わってはいけないからです。人間になったのにその人間性の最も根源的な部分を自ら否定して1人で生きる決意をした主人公、まさに「新人類」として選ばれるにふさわしい決断だと思いました。

 最後の少女は「主人公が新人類に変容した姿」だと思っております。世界の科学者がOEで目指したかった結果、皮肉にも最後の1人で達成されました。文章を読むとどうやら他にも人類は生きていたようですが、その当たりは続編に期待しましょう。人間の本質とは何か、人間が生きる意味とは何か、壮大な世界観で描かれた人生観の根源をテーマにしたシナリオ、非常に感動しました。ありがとうございました。


→Game Review
→Main


以下は更なるネタバレです。
「CROSS†CHANNEL」をプレイし終え、私のネタバレレビューを読んだ方のみサポートしています。
それ以外の方には「CROSS†CHANNEL」のネタバレになりますので、見たくない方は避難して下さい。








































<どのように人と交わろうとするか、そのやり方の極端な例が黒須太一と島地>

 終末感が漂い人類が少ない世界。そんな中で飄々とした態度で余裕の様子を見せていた主人公である島地。何かデジャヴの様なものを感じたのですが、ずばりそれは「CROSS†CHANNEL」の主人公である黒須太一でした。プレイ開始して直ぐに気づきました。島地は黒須太一と同じでどこか壊れている。そしてその壊れている事によって人を傷つける。そして最後は自分自身も人として生きる事を求める。実はここまで予想を立てて頭の片隅に残しておいて読み進めていったのですが、大方予想通りでしたね。

 「CROSS†CHANNEL」は黒須太一が今まで住んでいた世界とは違う世界を観測したことで放送部のメンバーが閉じ込められる設定でした。その中でどこか心に欠陥を抱えた登場人物たちが人と触れ合う事の本日に向き合っていく物語です。ですが最終的に黒須太一は自分は人間と一緒になる事は無理だと悟り、1人孤独の世界でラジオを発信し続けます。これが黒須太一と人間との唯一の交わりでした。「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」も既に人類が生存していない世界という事で状況的には同じですね。さらに物事の観測が島地の意志に依存している現状ですのでやろうと思えば島地は皆が生存している世界へ行くこともできます。ですがそれをしないで新人類として生き続ける道を選びました。この辺りのキャラクター性も似ています。

 そして何よりも似ていると思ったのは「人は1人では生きていけない」というテーマです。「CROSS†CHANNEL」も「人は本質的に交われない、それでも人と接していかないと生きてはいけない」といった内容だったと思いますが、言わんとしていることは両者共通だと思いました。どんなに自分が人として壊れていても本質的には人間なのだという事、それは人と交わっていく中で気づけるのだという事、この辺りも両者似ていると思いました。

 ですが、最終的な主人公の行動原理は少し違いましたね。「CROSS†CHANNEL」ではどんなに自分が人と交わりたいと思ってもそれは傷つけあうだけだから無理だと悟り1人になる事を選んだのに対し、「J.Q.V 人類救済部 〜With love from isotope〜」では自分の都合で他人の世界に干渉してはいけないから1人になる事を選びました。どちらが人間らしいかと言えば、そこはやはり島地の方がまだリアルですね。人と関わる事を諦めない、これが黒須太一と島地の唯一の違いだったと思います。

 人と関わる事を諦めない、普通に生きている人にとっては関係ないセリフかも知れませんが、実際はそんなに特別なセリフではないんじゃないかと思っております。私が特にそうですが、例えば街を歩いている恋人たちと自分は同じ人間です。同じ人間である以上両者の立場が逆転する可能性という事も十分あり得ます。ですが、無意識のうちにそういった恋人たちの様な人生になる事を諦めてはいませんか?他にもオリンピック選手やノーベル賞を取る科学者は自分とは全く違う人間だと思っていませんか?あの人達の様に選ばれるのは現実的に不可能ですが、なってみたいと思う事すら罪の様に思ってませんか?人って、思っている以上に他人とは違いますけどそれ程違わない物だと思っています。

 黒須太一のように人と交わる事を諦める代わりにクロスする事を選ぶという事もありだと思います。現代社会ではSNSや掲示板などに置き換える事が出来ると思います。一方で島地のようにリアルで人類を救済しようとする事ももちろん当たり前です。両者の生き方は違えど共通点は何らかの形で人と接しようとするという事です。これが人間としての最低限のラインであり、これを失ったら本当に人ではなくなってしまうでしょうね。まあその心配はありませんけどね。何故なら人はどんな状況になっても1人では生きてはいけないのですから。


→Game Review
→Main