M.M DDRと私 〜DDR稼働20周年に寄せて〜


 このページでは、私がこれまでDDRとどのように関わってきたかを書いております。DanceDanceRevolutionは今年で稼働20周年を迎えました。そして、私の人生においてもDDRとの関係は切っても切れないものとなっております。それをこの機会に文字としてまとめようと思います。完全に自伝ですが、興味のある方は是非ご覧になって下さい。



・はじめに


 2018年9月26日を持ちまして、KONAMIが提供しているアーケードゲームであるDanceDanceRevoutionが稼働20周年を迎えました。稼働当初は社会現象にもなったDDRですが、私の趣味生活においてもそのウェイトの多くを占めており個人的にも大変うれしく思っております。DDRはダンスシミュレーションゲームとして生まれましたが、その後ゲーム性を追求した高難易度譜面の登場や他のBEMANI機種の楽曲、アニメの主題歌、東方シリーズの楽曲など流行りの楽曲が増えていき、現在はダンスシミュレーションゲームとしての役割は薄れつつあり「足でプレイする音ゲー」としての側面のみ残っている印象です。それでも未だにこのゲームに惚れ込みプレイしている理由を、自分自身のDDRとの歴史を振り返る事で辿ってみようと思います。DDRはその性質上体力が物を言うゲームです。それでも、現在30歳半ばの自分でも楽しめる理由を解き明かしてみようと思います。


・初めてのDDR


 私が初めてDDRに触れたのは中学三年の時でした。当時は1999年という事で、まさに社会現象としてのDDRが騒がれていた時代でした。ですが、同時にゲームセンターの雰囲気は今のそれとは違い不良が行くような場所というイメージが根強い時代でもありました。DDRをする為にゲーセンに行くという発想はこれっぽっちも無かったのです。そんな時、友達が家庭用DanceDanceRevolution 2ndMIXを購入し、同時に足プレイ用マットも買っておりました。この時一緒に遊んだ事が私にとっての初めてのDDRでした。初めてですので当然下手くそで、Lv2のBoomBoomDorrerですらやっとの想いでクリアしたのを今でも印象に残っております。そしてLv5のIF YOU WERE HEARという曲が好きだったのですが、同時踏みと8分が踏めなくて手も足も出ない悔しさもありました。

この時特に好きだった曲:IF YOU WERE HEAR(YouTubeに飛びます)


・妹がDDRを買ってもらった


 その後高校に進学し、当時の家庭用DDRを持っている友達と会わなくなると同時にDDRとは疎遠になってました。そんな時に、妹が誕生日プレゼントでダンスダンスレボリューション ベストヒッツという家庭用タイトルを買ってもらったのです。気が付いたら自分の方がハマっていたというオチですね。このベストヒッツですが、1stから3rdまでの楽曲のうち何曲かをセレクトした構成となっております。私はこの時に初めてButterflyという曲に出会いました。以降、私の人生においてButterflyという曲の立ち位置はとても大切なものになっております。「アイヤイヤ!」という象徴的なフレーズとバブルガムダンスというジャンルは、あっという間にダンスミュージックにハマらせてくれました。

この時特に好きだった曲:Butterfly(YouTubeに飛びます)


・高校時代の友達との絡み


 その後、高校のクラスメイトの中でもやはりDDRが好きな人がいる事が分かりました。そして、それぞれがそれぞれの家庭用DDRを持っておりました。まだ高校生でありお小遣いも少ないので、皆が全てのシリーズの家庭用DDR持っている訳ではありません。その為、お互いにディスクを貸し借りしたり家庭用コントローラーを持ち寄ったり対戦したりと遊んでました。他にもEDITを作って見せ合ったりと、色々な方向からDDRを楽しんでいた気がします。この時点で昔クリア出来なかったLv5のIF YOU WERE HEARもクリア出来るようになってました。少しずつ自分のスキルも上がっている実感があり、一番夢中になっていた時間だったかもしれません。それでも、MANIACなどの高難易度の曲はまだまだとてもクリア出来るレベルではありませんでした。

この時特に好きだった曲:HEROPink Dinosaur(YouTubeに飛びます)


・初めてのアーケード


 上でも書きましたが、私が高校生の時代はゲームセンター=不良の溜まり場というイメージがあり、とても1人で行ける場所ではありませんでした。カツアゲでもされたらたまったものではありませんからね。ですけど、当然家庭用よりもアーケードの方が新しいバージョンが稼働しておりますし、何よりも家庭用コントローラー特有のビニールの質感に限界を感じておりました。そして、ついに高校二年の時に初めて1人でアーケードでプレイしました。当時稼働していたのはDDRMAX2です。時間制限ある選曲画面などに慣れませんでしたが、音圧の大きさと靴でも踏める感覚が新鮮でした。この時始めてjun作曲のSweet Sweet Love Magicをプレイしました。これも私にとってとても印象的な曲です。4thや5thで既にDancemaniaのSpeedと呼ばれるバージョンからBPM170という速い楽曲が数多く収録されてました。ですが、Sweet Sweet Love Magicはそれらよりも少し速いBPM180だったのです。その上で軽快な雰囲気、世の中にはこんな曲があるんだと驚きました。

この時稼働していたバージョン:DDRMAX2
この時特に好きだった曲:祭 JAPANSweet Sweet Love Magic(YouTubeに飛びます)


・高校卒業まで


 その後高校卒業まで家庭用とアーケードの両方でDDRを楽しんでました。最終的にアーケードはEXTREMEというバージョンになってました。これまでで最大数の収録曲であり、そしてMAX300を始めとしたBPM300群の曲数も増えておりました。この時の私はまだまだLv7くらいが限界でした。MANIAC譜面にも殆ど手を出せていなかったのです。加えて精度というものに全く無頓着でした。ですが、自分の目の前で当時地元で最も上手だった人が簡単にEXTRA STAGEを解禁させる様子は素直に感動でした。リバースの×1.5で振ってくるThe legend of MAXをこなしている姿は、まさに神と呼べる存在でした。あれは自分には絶対にたどり着けない境地なんだろうなと思ってましたね。

この時稼働していたバージョン:DDRMAX2・DDR EXTREME
この時特に好きだった曲:Healing Vision 〜Angelic mix〜Orion.78 Civilization Mix(YouTubeに飛びます)


・大学進学とアーケードDDRの終了


 その後大学進学で地元を離れ新潟に引っ越しました。高校時代に一緒にDDRを遊んだ友達とも別れ、暫くは1人でのDDRでした。そして、そんな中でアーケード版DDRの終了が告知されました。この頃のDDRは稼働当初の熱気も少し冷めてきて、アーケードゲームとして採算が取れなくなってきたのだと思います。新潟に引っ越した当時は割とどのゲームセンターにもDDRがありましたが、1つまた1つとその数を減らしていきました。自分がホームにしようと思っていたゲームセンターが無くなるのは辛かったですね。それでも最後まで残り続けているDDRのあるゲームセンターを梯子して遊んでました。ちなみにこの時はLv8は普通にクリアできるようになってました。単純な8分であれば迷う事はありませんでしたね。ですけど未だにLv9はクリア出来ませんでしたし、Lv10なんて夢のまた夢でした。

この時稼働していたバージョン:DDR EXTREME
この時特に好きだった曲:SO DEEP(PERFECT SPHERE REMIX)WAKA LAKA (E=MC2 Mix)SENORITA(Speedy Mix)(YouTubeに飛びます)


・SuperNOVAの誕生


 ちなみに家庭用DDRはその後も定期的に発表し続けておりました。勿論全て購入してましたね。そして、大学時代に過ごしていた寮のメンバーを巻き込んで、時々一緒に遊ぶといった環境でした。そんな大学時代も終わりに差し掛かった大学四年、ついにDDRのアーケード完全新作が発表されるとの情報が入りました。それがDDR SuperNOVAです。日本で一度終わったDDRがアメリカで人気となり、それが逆輸入という形で復活したのです。もう歓喜でしたね。正直、歓喜という言葉一つでは言い表せない嬉しさがありました。新潟で第一号として稼働開始する黒崎メジャーロードというゲームセンターに、友達と2人で自転車で向かった事を覚えております。当日は全部で20人以上の人が列を成してました。やっぱり皆さん楽しみにしてたんですね。Smile.DKのGolden Sky・TERRAの華爛漫・junのTRUE LOVE、そしてTatshのXepherやNAOKIのFascination MAXXやCHAOSなど、新しい風を感じつつも懐かしい楽曲が多く収録されておりました。

この時稼働していたバージョン:DDR SuperNOVA
この時特に好きだった曲:Golden Sky華爛漫TRUE LOVE(YouTubeに飛びます)


・Lv10とDOUBLEとAA判定


 SuperNOVAが稼働開始してから、新潟のゲームセンターで一度は消えたDDRが少しずつ復活してきました。またDDRに浸かれる日々が帰ってくるんだなと喜びました。この時はLv9も幾つかクリア出来るようになっており、選曲も幅が広がってました。そして、自分が一番成長を実感出来たのもこの時期だったかも知れません。第一に、初めてMAX300のExpertをクリアしました。DDRMAXで登場したBPM300群最初の楽曲であり、誰にとっても壁であったこの曲がクリア出来るようになるとは思ってもみませんでした。第二に、Doubleプレイを始めました。今でこそ私はDoubleしかプレイしてませんが、当時は8枚のパネルを踏む感覚が新鮮で戸惑いながらもとても楽しかった事を覚えております。暫くはSingleとDoubleの両方をプレイしてました。第三に、AA判定が出るようになりました。AA判定を出すには9,500,000点以上必要です。全体の95%踏めていないと出せないスコアでした。それが低難易度であれば安定して出せるようになっておりました。そしてこれは同時にEXTRA STAGEへの進出条件ともなっておりますので、数字以上に意味のあるスコアでした。

この時稼働していたバージョン:DDR SuperNOVA
この時特に好きだった曲:No.13AAXepher(YouTubeに飛びます)


・大学院進学と新しい出会い


 その後大学院に進学し、仙台へと引っ越しました。大学院は本当に研究一本でしたので、新しく友達を作るとかそういった事は一切ありませんでした。その為DDRも一人でゲームセンターに行って遊んで帰ってくるといった感じでした。ですが、この時よく遊びに行ったBiVi仙台駅東口で自然と何人かの知り合いが出来ました。皆さんいずれも仙台在住の方々で、何度も通っているうちに顔なじみになり、時々一緒に踏んだりするようになってました。ちなみに皆さんとてもお上手で、自分が逆に教わる形でしたね。ですけど、研究一本だった自分の生活にとってこのBiVi仙台駅東口での出会いと絡みはとても大切な物でした。ちなみにDDRはSuperNOVA2全盛期で、Baby's Tear・SUNKiSS DROP・Poseidonがお気に入りでした。後はArrabbiata・Pluto・Pluto Relinquishにも挑戦してましたね。

この時稼働していたバージョン:DDR SuperNOVA・DDR SuperNOVA2
この時特に好きだった曲:Baby's TearSUNKiSS DROPPoseidon(YouTubeに飛びます)


・BEMANIトップランカー決定戦2008


 そして、この仙台時代にいわゆるトップランカーという人たちの存在も知りました。仙台にも当時4名ほど異次元の実力を持つ方がいて、見ているだけで感動するステップでした。何しろLv10を簡単にAA・フルコンしてしまうんですもの。そして、同時期に開催されたBEMANIトップランカー決定戦2008というイベントに行く機会に恵まれました。これはその名の通りBEMANI機種のトップを決める大会で、DDRも対象機種でした。始めオンライン予選が行われ、その後地方大会を勝ち進んだ方が決勝戦の会場である中野サンプラザへと集合しました。上で書いた4名の方も地方大会で順当に勝ち上がり、そのうち1人が決勝に進みました。自分とは全く縁も何もありませんでしたが、自分の事のように嬉しかったことを覚えております。

この時稼働していたバージョン:DDR SuperNOVA2・DDR X
この時特に好きだった曲:MAXIMIZERPlutoShades of Grey(YouTubeに飛びます)


・就職と埼玉へ引っ越し


 そして大学院生活の後に就職で埼玉に引っ越しました。いわゆる上京という奴ですね。そして、関東という事でDDRの台数もゲームセンターの数も桁違いでした。DDRがないという事なんてありませんでしたもの。暫くは秋葉原にある東京レジャーランド2というゲームセンターに通ってました。ここ、DDRが5台も稼働してるんですよ!その光景だけで感動してました。当時はDDR XやDDR X2当たりのバージョンでしたね。Lvも18段階になり、楽曲もどんどん増えてそれらを埋める日々でした。併せてAOUというアーケードゲームのゲームショウに行くようになりました。この頃からいわゆるBEMANIアーティストという存在も知るようになりましたね。DDR以外のBEMANI機種との連動も始まったり、アーティストの楽曲に興味を持つようになったり、別の角度からDDRに触れていった気がします。

この時稼働していたバージョン:DDR X・DDR X2・DDR X3 VS 2ndMIX
この時特に好きだった曲:Dream MachineLOVING YOU (Epidemik remix)KIMONO PRINCESS(YouTubeに飛びます)


・宇都宮への異動とゆにぞう


 その後3年程度秋葉原に通う日々を経て、異動の関係で宇都宮に引っ越しました。流石に宇都宮となると埼玉や東京と比べDDRの台数は減りましたが、自転車圏内にありましたので不便はしませんでした。この時はDDR X3 VS 2ndMIXやDDR2013などでしたね。楽曲のジャンルも種類もかなり増えて、BEMANI全体としても割と詳しくなっていた気がします。そして、この時に初めてゆにぞうを経験しました。ゆにぞうとは、2人ないし3人で筐体の上を行ったり来たりしながら踏むという、パフォーマンス色が強いステップです。たまたま知り合いになった人に誘われてやってみました。私もこの頃はもうDouble一本でしたので、すぐにゆにぞうに慣れる事が出来ましたね。実力が近い人や上の人とただ一緒に踏むだけではない感覚はかなり新鮮でした。

この時稼働していたバージョン:DDR X3 VS 2ndMIX・DDR2013
この時特に好きだった曲:POSSESSIONアルストロメリア (walk with you remix)REBORN MAGIC(YouTubeに飛びます)


・足龍、足鳳凰、足紙さま?


 この頃の自分は、低レベルの曲であればPFCは割と簡単に出せるようになってました。PFCとは全てPerfect以上で踏めるという事、SuperNOVA時代であれば10,000,000点です。そして、高レベルもLv15までは安定してクリア出来るようになってました。曲によっては950,000点以上出せるようになってました。Lv15は昔で言えばLv10です。昔手が届くと思っていなかったMAX300でAAが出せるようになっていたんです。そして、そんな自分の実力の指標としてMYグルーブレーダーという物がありました。これは楽曲ごとに定められている5つの要素に基づき、自分の5つの要素の実力を数字化するものです。そして、その値によって称号が与えられ、これが一つの目安になります。全ての値が100を超えたら足龍、120を超えたら足鳳凰、そして140を超えたら足紙さま?です。自分は足紙さま?まで行く事が出来ました。足紙さま?になる為に欠かせない要素として、Pluto RelinquishのDIFFICULTのフルコンボと、PARANOIA survivor MAXのCHALLENGEの773,000点以上があります。昔であれば絶対に出来ない領域に、ついにたどり着いたんだなと懐かしさすら感じてますね。

この時稼働していたバージョン:DDR2013・DDR2014
この時特に好きだった曲:Another PhaseBeautiful Dreamヤマトなでなでかぐや姫(YouTubeに飛びます)


・再び埼玉への異動とKONAMI Arcade Championship


 そして宇都宮で踏む事約3年半、異動で再び埼玉に帰ってきました。その頃はDDR2014を経てDDR Aが稼働しており、現在へと至っております。DDRを取り巻く環境もやはり変わっていき、日本を超えて世界中の人と対戦する事が当たり前になっておりました。KONAMIの公式大会として統一されたArcade Championshipでも、海外勢の強力なプレイヤーが来日しそのパフォーマンスを見る事が出来るようになっておりました。もうね、どんどん世の中のDDRのレベルが上がっていくんですよね。それに合わせて楽曲のレベルも上がっていってますけどね。Lv19も現在Doubleで6曲でしょうか。数年前では考えられない世界だと思います。自分にはとてもたどり着けません。今の自分はLv16が何とかクリア出来、Lv17に時々手が届きそうというレベルです。年齢も30歳半ばに差し掛かろうとしており、これ以上の飛躍は難しいのかも知れません。それでも、新しい楽曲に胸を躍らせながら今もゲームセンターに足を運んでおります。

この時稼働していたバージョン:DDR2014・DDR A
この時特に好きだった曲:Come to LifeStrayedCatzReach The Sky, Without you(YouTubeに飛びます)


・終わりに


 という訳で、DDR稼働20周年を記念して自分とDDRとの関係を書いてみました。どのシーンを切り取っても自分にとっては大切な思い出ばかりです。初めて触れてから約18年経過しております。人生の半分以上をDDRと共に過ごしてきたという事です。その中で、住んでいる土地も変わっていき、一緒に遊ぶ人も変わっていきました。かつて遊んだゲームセンターが今もあるのか分かりません。一緒に遊んだ人はきっともうほとんど辞めてしまっているでしょう。それでも、自分はどうしてもDDRをやめる事は出来ないようです。足が動かなくなるまで、もしくはDDRの更新が止まるまで、きっと踏み続けるのだと思います。若い人もどんどん増えて、自分なんかあっという間に抜かされております。ですけど、それでいいのだと思います。若い人がプレイしているという事は、その先が続くという事ですから。次の10年に向けてまた時を刻み始めました。次はどんな楽曲を聴かせてくれるのでしょうか。今はただそれが楽しみです。これからも、末永くよろしくお願いします。




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