M.M やがて美は愛と混ざった
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
6 | 7 | - | 73 | 1〜2 | 2019/8/2 |
作品ページ(R-18注意) | サークルページ(R-18注意) |
<作品全体に漂う後悔と劣等感の雰囲気。その原因が分かった時、きっと違う色となってあなたに返ってきます。>
この「やがて美は愛と混ざった」という作品は、同人ゲームサークルである「Noe Sense」で制作されたビジュアルノベルです。Noe Senseさんの作品をプレイしたのは本作が初めてです。サークルの代表である砂流花鈴さんがノベルゲームを制作されている事は知っておりまして、どこかのタイミングでプレイしてみたいと思ったのが切っ掛けでした。同性愛を扱っており、加えて自分に劣等感を持っている主人公という設定に興味を持ちました。サークルさんが表現したい美と愛はどんなものなのだろう。それを探し出そうと思い、今回のレビューに至っております。
主人公であるイム・サランは、1人くらしの大学生です。彼には誰にも言えない秘密がありました。それは過去に美容整形手術を行い、自分の顔を変えているという事です。整形した顔は自分が自分に向き合えなかった証拠、そう思っているサランは美容整形手術を受けた事を後悔しておりました。それでも、友人であるク・ミルナムやファン・イスルと共に慎ましくも平凡な大学生活を送っておりました。ある日、サランは街で歪んだ顔の男性を見かけます。彼の名前はハン・アルムと言い、コミュニケーションが成立しないくらい自分の事を話そうとしませんでした。それでも、サランはアルムの事を凛々しいと思ったのです。その事が切っ掛けで関係を持つようになった2人。その先に待っているのは、果たしてどのような美とどのような愛なのでしょうか。
この作品全体に漂っているのは、後悔の念と劣等感です。自分に自信がない主人公サランと歪んだ顔になってしまったアルム、これまで生きてきた軌跡もあり、どうしても物事を真っ直ぐに見る事が出来ません。また、自分を過小評価してしまう傾向にあり誰かの言葉に対して素直に受け取る事が出来ません。ですが、こういった気持ちは多かれ少なかれ誰もが持っているのではないでしょうか。仕事やプライベートで辛い事があった時、普段は自信を持てている事に対して少し懐疑的になってしまう事は無いでしょうか。サランとアルムの行動は、もしかしたら一般的な人と比べて違っているのかも知れません。ですが、何も間違った事はしておりません。この作品は、どれだけサランとアルムに寄り添えるかで受ける印象が変わってくると思います。
また、この作品は同性愛を扱っております。平たく言えば、普通の男同士でセックスをします。同性でセックスする人は間違いなくマイノリティです。ですが、それはマイノリティというだけであって正しい間違っているという話にはなりません。あくまで存在するのは、相手に対する気持ち一つです。男女でも男同士でも、好きならセックスしますし気持ち良くなりたければセックスします。嫌いなら嫌悪感を持ちます。それだけだと思っております。ヘテロな男性が普通に女性の事を好きになるように、ホモが普通に男性を好きになるだけです。そんな当たり前の姿を真正面から見せてくれます。同性愛に嫌悪感を持っている方はプレイを避けた方が良いと思いますが、そうではない方には是非プレイして欲しいです。
プレイ時間ですが私で1時間30分程度でした。選択肢があり、それによって2つのエンディングに分岐します。深く考えさせる選択肢ではなく、あくまで物語の分岐の為の選択肢ですので悩ます選んで頂いて良いと思います。ちなみに、2つのエンディングは必ずどちらも確認してください。両方確認する事で、登場人物達の心情や生い立ちなどが全て分かる仕掛けとなっております。始めは後悔と劣等感という暗い印象しかなかったはずの作品が、きっと違う色になって返ってくる事と思っております。劣等感と同性愛、そして自分らしさを見つめる事が出来る作品です。是非多くの方にプレイして頂きたいですね。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<サランとアルムという対称的な美の形、それが愛に昇華した姿に戦慄すら覚えました。>
最後までプレイして、私自身どうしても自信を持ってこうだと言えない事があります。それは、サランがアルムとセックスする時にアルムの顔が元々の美しい顔に見えた理由です。自分に自信がなく劣等感を持っているサラン。そんなサランだからこそ、始めアルムを助けたのは自分よりの歪んだ顔を持っているからだと思いました。自分もたいがいだけど下には下がいる、アルムを助ける事で優越感に浸りたいのかと思ってしまいました。ですが実際は違ってました。むしろ、歪んだ顔のまま生きているアルムに凛々しさすら覚えました。自分の顔を整形したサランにとって、もはや誰もが羨ましい存在なのだろうと思っております。
そして、アルム自身は父親であるバンドに可愛がられた過去を持っておりました。その可愛がりは、アルムを家の外に一切出させないという異質なものでした。ですが、アルムにとってはそれが当たり前であり常識でした。少なくとも、愛情をたっぷり貰ったのは間違いありませんでした。だからこそ、アルムを初めて見たアムンはその顔立ちに言葉を失ったのだと思います。美しすぎて無垢、ちょっとでも傷つければ壊れてしまいそうな存在、そう思ったと思います。だからこそアルムは儚すぎて危うい、そう思ったアムンはアルムを助けようと行動を起こしました。そしてその結果待っていたのは、実の母親との永遠の離別とハン家の全てを失うという結末でした。純粋無垢なまま育ったアルムは、その心そのままに顔だけ歪められて世の中に放り出されたのです。
この作品において、美しさというものがとても鮮やかに対比されている事が分かりました。顔を整形しイケメンになり美しさを手に入れたサラン、父親からの過剰なまでの愛情を貰い純粋で美しい心を持ったままのアルム、形は違えど美しさを持っているという事は共通でした。その美しさに気が付けば、それ以外の部分はもしかしたら見えなくなるのかも知れません。もしかしたら、これがサランがアルムの顔が元々も美しい顔に見えた理由でしょうか。劣等感を持った自分を慕い信じてくれるアルムの心に、サランの心が応えたのかも知れません。もしアルムの顔が歪んでなかったら、2人で一緒に大学に通う未来もあったのでしょうか。
サランとアルムの対比は他にもあります。それは、サランは後天的に美しい顔を手に入れて、アルムは先天的に美しい顔を持っていたという事です。アルムは美しい顔を失いましたが、代わりにサランは美しい顔を手に入れました。まるで、共依存の様な関係ですね。ちなみに、劣等感は同じように見えました。サランは何故アルムを手助けしたのか良く分かってませんでした。アルムもまた何故サランが自分を手助けしてくれるのか分かってませんでした。それは、自分は人を助けるような人間ではないし自分は人から助けられるような人間ではないと思っているからだと思います。そんな、赤裸々な感情がハッキリと見えたからお互いを信頼しようと思ったのかも知れません。
最後、サランとアルムは一緒に食品工場にある大型チョッパーの中に飛び込みました。チョッパーによってすり潰され挽肉になった2人、ついに本当の意味で2人は一緒になる事が出来ました。これを、皆さんは愛と呼ぶでしょうか?私は、正直2人が羨ましいと思いました。好きな人と一緒に死ぬ事が出来る、個人的に私はこれこそが真実の愛だと思っております。「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。」、中原中也の詩集にもこのような言葉があります。死がふたりを分かつまで一緒に居る、それをサランとアルムは実現したのです。2人の持つ美の形は正反対でした。ですがそれが、やっと愛として混ざったのです。よくもまあここまで美しい世界を作り出せるなと、感動すら覚えました。
この作品を通して、改めて美しさというものについて考えさせられました。美しさとは人の数だけあると、私はいつも思っております。誰かが醜いと思っても、別の誰かが美しいと思えばそれは美しいのです。そして、愛の形も人の数だけ存在します。本人たちが納得していれば、それが真実の愛だと思います。例え自分に自信がなく劣等感を持っていたとしても、そんな姿すら美しいと思う人がいるかも知れません。そんな姿だからこそ愛おしいと思う人がいるかも知れません。自分らしさを大切にして、自分が美しいと思った物を信じて人生を歩んでいこうと思いました。ありがとうございました。