M.M 春の日に道が続く




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 5 - 73 〜1 2015/8/17
作品ページ サークルページ



<是非自身の中学校生活や故郷の風景を思い出しながら、昇の行動に自分を重ねてみては如何でしょうか。>

 この「春の日に道が続く」は同人サークルである「SEAWEST」で制作されたビジュアルノベルです。「SEAWEST」さんの作品はC86の時に入手した「春のうらら」をプレイさせて頂きました。この「春のうらら」という作品ですが、私にとって大変大きな衝撃となって心に深く刻まれたものとなっております。思春期のもどかしい想いを断ち切りたい、それでもそんなモヤモヤの中にかけがえのない物がある。そんな誰もが一度は通りすぎたはずの想いを蘇らせるような物語にすっかり心を奪われてしまいました。その後何度かSEAWESTさんとお話する機会があり、多くの事を意見交換させて頂きました。そんなSEAWESTさんのC88の新作が今回レビューしている「春の日に道が続く」であり、春のうらら同様、子供と大人の狭間の悩みをテーマにしたシナリオで興味深く読ませて頂きました。

 主人公である昇は中学一年生です。中学一年生と言えばもう一番人生を舐めている時期かもしれませんね。小学生のような可愛げもないし高校生のような大人っぷりもありません。思春期の始まりの時期でもあり心身ともに不安定になりだず時期です。そんな時期だからこそ、大人から見ればどうでもいいような悩みを気にしてつまらない事に意地を張ってしまいます。ですがそんなどうでもよくつまらない事が彼らの全て。どうやって解決すればいいか分からず誤魔化しながら成長していきます。そんな昇の元に、小学校の時に転校してきた友人である馬太郎がやってきます。「おい昇、冒険いこうぜ!」その言葉は、昇にとってとても魅力的に聞こえてしまいました。

 率直な感想としましては、とても爽やかです。昇が突然馬太郎に誘われて魅惑の女子大学を目指して冒険するシナリオなのですが、そのノリは中学生そのものでどこかこそばゆいような感覚に襲われます。でもだからこそ誰でも共感できるものであり、そもそもこれから冒険しようという少年たちを見るのは大人でもワクワクするものです。そして普通の中学生ですので、斜に構えた様子すら滑稽であり胸糞悪くなるような描写はありません。何が言いたいのかといいますと、童心を思い出すような行動一つ一つが純粋であり、それを見守る親のような気持ちで読むことが出来るという事です。

 後は演出やシステム周りもとても使いやすいものでした。画面は大きくテキストボックスがありませんので背景が大きく見えます。テキストボックスはありませんがテキストの背景がちょっと影になっており、出来るだけ背景を綺麗に見せたい製作者の意図を感じました。そしてその背景ですが、実際の風景写真を加工して作られております。本当にその風景が実在し、同じ場所をきっと昇も走ったのだろうと思わせます。聖地巡礼したくなる演出でした。後は光の描写も綺麗でしたね。春と言えば木漏れ日。それは光の描き方一つで印象が決まってしまいます。そんな光の演出は割と動的であり、試行錯誤の末この演出に決まったのだろうなと思いました。このあたりも含めて全体として爽やかにまとまっております。

 プレイ時間は私で45分程度掛かりました。選択肢もありませんのであっという間に終わってしまいます。昇が冒険の果てに見つけたものは何なのか、そんなちょっとした一日の出来事を描いたシナリオです。是非自身の中学校生活や故郷の風景を思い出しながら、昇の行動に自分を重ねてみては如何でしょうか。こそばゆい気持ちがプレイ後にどのような形で昇華するかは一人一人で違ってくると思います。それでもきっとその形に歪なものは無いと思います。何故ならその昇華した先に春の日が待っているのですから。


→Game Review
→Main


以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<見えないものを恐れないのは愚か、恐れて動けないのは臆病、そして両方を知って前に進めるのが大人。>

 私も昔はそうだったのですが、小学生って基本的に怖いもの知らずなんですよね。気になるものがあれば何でも手を出しますし、好奇心があれば知らない山の中や見ず知らずの土地にだって突っ込んでいきます。それはまるで暗闇を恐れずにどんどん前に突き進むことに似ています。ですがそれは決して勇気なんでものではありません。唯の世間知らずであり愚かな行動です。だから大人は無計画に暗闇の中に足を踏み入れ無いのです。足を踏み入れるときはライトを付けるのです。その見えない暗闇の先にある恐怖を知っているからです。

 そしてそんな見えない恐怖を肌で実感し出す時期こそが中学生なんじゃないかと思います。作中も昇は変わってしまった兄や裏切った孝光に対して壁を作ってました。唯一の親友だと思っていた馬太郎も実は女の子だったと知って裏切りと思いました。壁を作って「自分はあんな奴とは違う!間違ってない!」って主張していました。ですが、実はその行為は先の見えないものに対する恐怖の現れだったんです。気づいてますか?暗闇の先は確かに見えないですけど、逆に光に包まれるとそれはそれで目がくらんで見えなくなるんです。見えなくなるという点で暗闇も光も実は同じなんですね。今回の見えない恐怖は、暗闇ではなく光だったんです。

 ですが、光って暫くその場にいると目が慣れて見えるようになるんですね。見えるようになれば平気で外を歩く事が出来るようになります。なんだ、眩しくて見えない世界の先なんて実際は大したことなかったんじゃないか!光に慣れて改めてその姿を見たときに、初めて真実に気づくんです。ですが光に慣れるためには暫くその場にいなければなりません。薄目を開けて少しずつ慣らしていくんです。それができない人はとても耐えれませんね。また暗闇に戻るしかありません。それでも、光の先を見るには痛くてもその場から前に進まなければいけないのです。その為には自分で少しずつ目を開けて薄目から光に慣れる事。つまり自分自身を知って出来る範囲で現状を変える努力が必要なんです。

 昇は光に対する見えない恐怖から逃げました。ですがその先に待っていたのは真の暗闇でした。いよいよ光が一筋も無くなった時、初めてその光を見なければいけないことに気がつきました。そして自分自身の行動を省みて思ったのは、まずは小真に謝ること、そして小真と一緒に洞窟から脱出することです。プライドの塊である中学生には勇気ある決断ですね。それでも昇は小真に「ごめん!」と言いました。それが出来ればもう怖くはないですね。さあ、後は道を恐れず外の世界へ、光溢れる世界へ進むだけです。その先にはきっと素敵な景色が待っているのですから。

 今回「春の日に道が続く」をプレイして思ったのは、光の演出に対する拘りでした。ですがそれこそが今回SEAWESTさんが言いたかったことなんだろうなと思います。光の先に待っていたのは満開の桜でした。もう冬は終わって春はすぐそこに迫っているんですね。勇気を出して光で見えない世界へ足を踏み出して、3人はようやく目的地にたどり着きました。4年もかかりました。それでもたどり着きました。おめでとう。もう昇は光の先への進み方が分かったのですから、これから困難が待っていても昇なりのペースで少しずつ、でも確実に攻略出来ると思います。馬太郎と小真との出会いと今回の出来事は、そんな昇を一歩大人に近づける為のステップアップだったのかなと思いました。ありがとうございました。


→Game Review
→Main