M.M 誰そ、彼女
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
4 | 7 | 6 | 71 | 1〜2 | 2017/2/18 |
作品ページ | サークルページ |
<全ての要素が「不気味さ」を演出するエッセンス。是非呑み込まれないよう注意してください。>
この「誰そ、彼女(読み方はタソカノ)」という作品は同人サークルである「Suithanadia」で制作されたビジュアルノベルです。Suithanadiaさんと初めてお会いしたのはCOMITIA119で同人ゲームサークルの島を回っている時でした。元々COMITIA119では同人ノベルゲームのサークルさんが10前後しかありませんでしたので全て見て回ったのですが、その中でも今回レビューしている「誰そ、彼女」は特別異彩を放っているジャケットでした。もの欝げな表情で立っている少女とその後ろに大きく描かれている能面。この組み合わせな何なんだと期待感が高まりましたね。裏を見れば「ーーー私は誰?」というセリフ。ホラーな雰囲気を楽しみにプレイ始めました。
この作品の第一印象は、一言で言えば「不気味」です。プレイ開始冒頭でいきなり登場した能面を被った少女、そしてクラスメイトや教師の姿はまるでパペットマンの様な姿、統一感のないBGM、その全てが何を意味しているのか全く分からず恐いという感想すら浮かびませんでしたね。主人公が抱えているものは何なのか、この世界はどんな構造になっているのか。まともな人間は一人もいないのか。とにかく信じられる情報がなくて全ての要素が不協和音に思えます。まさに不気味という言葉がしっくりきます。そんな世界観だからこそ無性に引き込まれ、なんとしても真実を見つけるために読み進めてしまいましたね。
最大の魅力はBGMを始めとした音全般にあります。この作品には全部で10前後のBGMが存在するのですが、日常を演出するあっさりとした曲、夕焼けを連想させるノスタルジィにあふれた曲、不気味さを表現した無機質な曲などジャンルは様々です。そしてどのBGMも色が濃いといいますか、BGMと言うよりむしろ表に全面的に出ている印象です。時にはクリックが効かずワザとBGMを20秒ほど垂れ流しにする演出もあり、明らかに音楽を表に出す事を意識しておりました。他にもガラスの割れる音、女生徒の悲鳴など効果音も唐突であり、ホラーらしさを演出しております。BGMの切り替わりのタイミングを効果音で教えてくれるイメージですね。中々に安心させてくれません。
その他の要素では、やはり立ち絵が独創的ですね。上でも書きましたがまともな人間の姿をしている人物は僅か数人しかおらず、殆どの人物がパペットマンのような人形の姿をしております。これは唯の手抜きなのでしょうか。もちろんそんな筈はありませんね。人形、これはこの作品を語る上でのキーワードにもなっております。公式HPでも「日本人形をテーマにしたギャルゲ−」と書いてあります。能面を被った少女の姿、これもまた日本人形の様です。果たしてこの人形という言葉がどこまで意味を持ってくるのか、是非皆さんの目で確かめて頂きたいと思っております。
プレイ時間的には私で1時間10分掛かりました。選択肢はなく、一本道で終える事が出来ます。気になる点としてシステム面が挙げられます。この作品はヒロインフルボイスなのですが、BGM、効果音、ボイスの音量初期設定がよくありません。それは構わないのですが、その音量調整がタイトル画面に戻らないと出来ないのです。プレイ中に出来るのはセーブ、ロード、バックログの確認、スキップのみです。文字速度の設定もタイトル画面でないと出来ませんので、プレイ開始時に全て設定し直した方が良いです。折角の独創的な雰囲気ですので、途中システム面で足止めを喰らわない方が楽しめると思います。唯のホラーではない不気味さを持ったシナリオ、クセになると思います。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<私たちが出来る事、それはせめて彼らを否定しないであげる事かも知れませんね。>
あっという間に終わってしまった印象でした。不気味な世界観の中でついに明かされる想介と瑠璃の過去、実際は人形など存在せず自分自身で仮面を被り真実から目を背けていただけでした。ですが結局は最後の最後まで人間になりきる事が出来なかった2人。そんな2人にとって選択できる道は、本当に死ぬ事しかなかったのでしょうか。
「人は皆、生きているだけで誰かを傷つけてしまっている。」物語最後に語られたセリフです。普段特別に意識する事はないかも知れませんけど、実に当り前の事であり仕方がない事だと思っております。ですがここで大切なのは傷つける事が本当に悪いことなのか、そして悪い事だと思っているのは実は自分だけなのではないか、という事です。幼い時から人形のような生活を送ってきた瑠璃。そんな彼女が自分の誕生日の時に言ったたった一つのワガママが物語の起点になってました。その結果父親の運転で交通事故を起こし、想介の友達であるかなめが死んでしまいました。では、かなめが死んだのは瑠璃がワガママを言ったからでしょうか?勿論そんな事はありません。父親が酒気帯び運転したのは父親の責任ですし、交通事故は双方向の問題でもあります。確かに事象の起点にはなっていたのだと思います。ですがこれはあくまで結果論。誰も瑠璃を責める事など出来ないのです。
想介もそんな罪の意識に囚われておりました。幼い時に大切な親友を失った想介はその後周囲の人達に馴染むことが出来ず、自分の事を「群れからはぐれた鶏」と形容しておりました。別にそのこと自体悪いことでもありません、過去のトラウマを勘案すれば仕方がない事であり、性格も人の数だけ存在します。ですがそう簡単に割り切れないのが人間です。学年で一番の成績であった想介ですが、担任の先生から半ば強制的に志望校を書けと言われておりました。どう考えても担任がよくありません。またクラスメイトの聡は想介に勉強を教えてくれと頼んでました。想介は教えるのは苦手だと断ってました。普通の応対です。ですがその後聡は謎の死を遂げてました。そしてその事実を知って想介は「自分が勉強を教えなかったから死んだんだ」と思ってしまいました。そんなはずがありませんね。元々両親からの締めつけが強かった聡、その事を想介が解決できるはずがありません。誰も想介を責める事など出来ないのです。
案外こういうネガティブな気持ちは誰でも持ち合わせているものです。どこか自分に引け目を感じてしまって、自分が悪いんじゃないかって思ってしまう。人間気持ちにムラがあるのは当然ですし思い悩んでしまう事があるのも当然です。ですけど、だからといって論理的に切り替えられないのもまた人間ですね。この物語での瑠璃と想介がまさにそうです。自分を魔女と思いこんだ瑠璃。周りが「そんな事ないよ」と言ったとしても、簡単にその言葉が心の中に入る事はありませんね。交通事故を切っ掛けに心が壊れた想介。周りが「しっかりしろ」と言ったとしても、簡単に切り替える事は出来ませんね。物語最後なんて「バツを受ける事すら我儘」といってましたからね。再会してしまった2人。そうであるなら、もう2人で深淵の中へと落ちていくしか道はありませんでした。
人によっては大変後味の悪いエンディングだと思うと思います。そんなに何を思い悩んでいるのかと疑問に思うと思います。ですが、人にはどうしても譲れないものがあり受け入れられないものがあります。そして唯一お互いの気持ちを理解し合える存在に出会えました。これもまた愛の形なのかなと思います。人形は可愛いですけど言葉を返してくれる事はありません。ただ、傍にいるだけで良いのです。自分が大切にしたかった人形、それを相手に見出しながらも自分も共に落ちていく。これこそこの作品だからこたどり着けたエンディングです。私たちが出来る事、それはせめて彼らを否定しないであげる事かも知れませんね。ありがとうございました。