M.M 黄昏の君 ヴォルフィーネ〜真昼の国と月の国〜




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 7 - 79 1〜2 2016/8/16
作品ページ サークルページ

体験版
フリーゲーム夢現



<徹底的に描かれた世界観の中で、是非フィモシーが持つ信念の強さとその先の結末を見届けて欲しいですね。>

 この「黄昏の君 ヴォルフィーネ〜真昼の国と月の国〜(以下黄昏の君)」という作品は同人サークルである「ときてっと」で制作されたビジュアルノベルです。ときてっとさんの作品では過去に「リズベルルの魔」をプレイさせて頂きました。非常に美しく繊細なグラフィックと多彩なキャラクター描写、そして何よりもヌルヌル動くCGで描かれるロボットなどの演出が素晴らしく、ファンタジーな世界観を彩り鮮やかに表現しております。リズベルルの魔や今回レビューしている黄昏の君は全てときてっとさんで展開している「ほんとうの物語」シリーズのタイトルでして、”ここ”ではない”どこか”、”いま”ではない”いつか”の世界を見せてくれます。剣と魔法、そして伝説や伝承などのファンタジーの魅力に溢れ、そして登場人物たちのまっすぐな感情を表現したテキストが心揺さぶってくれます。

 舞台は真昼の国と月の国という2つの大国が争っている世界。その世界にはかつて天から与えられた「太陽球」と呼ばれる至宝が存在し、真昼の国が持てば世界は昼に、月の国が持てば世界は夜になります。主人公であるフィモシーはそんな真昼の国の王女です。親愛なる母上や父上、侍女であるリルレーナや料理長であるガイエンに囲まれたっぷりと愛情を注がれて育った天真爛漫な少女は調度10歳を迎えようとしたある日、突如月の国の部隊が真昼の国に奇襲をかけます。その事により太陽球は失われ、世界は闇に包まれました。真昼の国でただ一人生き残ったフィモシーは、旅の吟遊詩人であるヴィルヘムと共に再び太陽を取り戻すために旅に出ます。これが今まで籠の中で育ってきたフィモシーに突如降りかかってきた試練の始まりだったのです。

 ファンタジーにとって大切なものは何か、それは徹底的に裏打ちされた設定と描写の緻密さをちゃんと説明する事にあると思っております。現実世界を舞台にした作品であれば、多少説明を省いても周りの状況や登場人物の心理描写を想像することが出来ます。例えば「サラリーマンが朝電車に乗って出勤する」というテキストがあれば、私たちはこのサラリーマンは満員電車に押し込められて上司に怒られて残業して帰る大変な生活をしているのだろうかと想像できます。勿論そうではないかも知れませんが、そうであるならちゃんとテキストで書いてくれます。ですがファンタジーにはそういった想像の余地は殆ど期待できません。世界が違いますし文化が違いますし価値観が違うのです。ちゃんとどういう世界なのか、主人公はどういう身分なのか、文明はどこまで発達してるのかなどを説明する必要があります。今回プレイした黄昏の君が素晴らしいと思うのはそうした説明をテキスト、絵、音を使って緻密に表現しているという事です。開始15分くらいは世界観の理解に時間を費やし中々クリックが進まないかも知れません。つまり、世界観を理解してしまえばもうすんなりとテキストが頭の中に入り、どっぷりと物語に浸かる事が出来ます。

 最大の魅力は主人公でありヒロインであるフィモシーです。真昼の国の王女であり間もなく10歳を迎える彼女はまだまだ甘えたがりで、色々な事を両親や侍女に頼んでしまいます。それでも人に対する愛情や素直な心は誰にも負けないものを持っており、過酷な旅の中でも人を疑う事なく場を明るくしてくれます。何よりも信念があるんですよね。突如失ってしまった日常。それでも自分が頑張れば取り戻す事が出来る。であるならばどんなに困難でも乗り越えてみせる。まだ10歳にもなっていない女の子がこれだけ頑張っているのですから、私たちはその結末を最後まで見届けなければいけませんね。果たして真昼の国は蘇るのか、悪いのは誰なのか、そしてフィモシーの旅の行方はどうなるのか。是非娘を見守る気持ちで読んでみて下さい。

 プレイ時間は私で1時間50分程度掛かりました。壮大な世界設定と美しいグラフィックみ魅せられていたらいつの間にか終わっておりました。体感的には3時間くらいプレイしていた気持ちでしたがそこまで時計の針は進んでおりませんでした。それだけどっぷり使っていたという事なんだろうと思います。これこそが「ほんとうの物語」シリーズの魅力です。グラフィック、動き、テキストの全てで魅せてくれる、まさにビジュアルノベルの要素を余すことなく活かした作品だと思っております。リズベルルの魔は私で30時間以上かかる程のボリュームですが、こちらは2時間未満ですので初めての方はまずはこちらからプレイして雰囲気を感じて欲しいですね。そしてそのままリズベルルの魔にも進んで欲しいです。きっと素敵な時間を味わえると思います。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<やはり人を動かすのは力ではなく信念なんだなと、彼らの姿を見て強く思いました。>

 とても読後感の良い作品でした。太陽と月を巡って争っていた2つの国。ですが本当は争う必要なんてなかったんですね。太陽もあれば月もある。昼があれば夜もある。どちらが正しくて間違いとか無かったんです。それで良かったんですね。真昼の国の姫と月の国の王が出会ったとき、既に問題は解決していたのかも知れません。

 フィモシーは何も特別な力を持っている訳ではありませんでした。そしてそれは詠み人となる為の試練を乗り越えても変わりませんでした。彼女が持っていたのはみんなを幸せにしたいという信念と、自分の事を信頼してくれた人々だけでした。ですがこれこそが本当の力だったんですね。人は一人で出来る事なんて限られています。得意もあれば不得意もあります。ましてや社会のルールがあり自由に動く事も出来ません。だから人は寄り添い仲間を作り一緒に行動するんですね。そして人は何に寄り添うのか、それは強い信念を持ち信頼できる人に対して寄り添うのです。

 始めはフィモシーを利用して自分を捨てた両親へ復讐しようとしたヴィルヘム、ですが肉親であるフィモシーの死んで欲しくないという気持ちにそんな気持ちは消えてしまいました。また物語冒頭真昼の国の太陽球を奪還しようといきがっていたシェイダもまた、迫り来る闇から敵である自分を庇ったフォルストーの気持ちに応え共に生きる道を模索し始めました。自分が正しいと思っている事って、案外周りの人の意見でコロコロと変わったりするんですよね。でもそれは決して悪い事ではありません。間違っていれば正すだけです。そんな中でどうしても譲れないものがあったとき、それが本当の自分の信念なんだろうと思います。

 フィモシーもシェイダもそんな譲れない信念を持っていたからこそ、最後エルデイルの前の究極の質問の前でも信念を貫き通すことが出来たのだと思います。自己犠牲は一見美しいように見えて余りにも独りよがりな考えです。周りの気持ちを考えてないんですからね。フィモシー自分の価値を知っていました。だからこそ自分が死んだら周りが悲しむから死ねませんと言い切ることが出来ました。シェイダも力で兄弟を退けましたが命を奪うことは良しとしていませんでした。何よりも自分が王であるという事に誇りを持っていました。家族は特別なものだという言葉にその全てがこもっております。やはり人を動かすのは力ではなく信念なんだなと、彼らの姿を見て強く思いました。この2人が結ばれれば、真昼の国と月の国の確執が消えるのも時間の問題ですね。

 黄昏の時間は気が付けば一瞬で過ぎ去ってしまいます。また同じく朝焼けもまたあっという間に終わってしまいます。儚いと同時にとても貴重なものです。だからこそ、昼と夜の狭間である黄昏の君でなければ両方を繋げる事は出来なかったんですね。世の中は全て「はい」か「いいえ」かで割り切る事は出来ません。光が強ければそれだけ影も強くなります。本音と建前を使い分けてこそ社会人です。大切なのはそこに自分の信念を持っているかということ。その上でどれだけ多くの人の言葉を聞いて寄り添えるかということ。彼らの姿を見てそのような事を思いました。ありがとうございました。


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