M.M たまゆらの夜




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 8 7 76 1〜2 2020/10/15
作品ページ サークルページ
フリーゲーム夢現



<誰もが避けて通る事が出来ない孤独、そうであるのならばいっその事深く深くハマってみましょう。>

 この「たまゆらの夜」は同人サークルである「アクアポラリス」で制作されたビジュアルノベルです。アクアポラリスさんの作品をプレイしたのは本作が初めてです。切っ掛けは、私のHPで公募している「プレイして欲しいビジュアルノベル」でリクエストがあった事です。この作品はティラノゲームフェス2019にて佳作を受賞したとの事。柔らかそうな絵柄と1時間というお手軽なプレイ時間に惹かれ、どんなものかプレイしてみたいと思いました。元々アクアポラリスさんはTwitterでフォローさせて頂いている事もあり、今回折角リクエストを頂きましたのでプレイ出来る切っ掛けを頂けてとても嬉しく思っております。

 主人公である秋月響は、人間嫌いで孤独を愛する大学生です。人と会話をするのが嫌いであり、常に一人でありたいと思っておりました。そんな響ですが、何も前触れもなく突然夜が明けない世界に迷い込んでしまいました。いつもの自室でありいつもの街並みなのに、誰もおらず夜が明けないのです。ですが、これは響にとっては願ったり叶ったりな世界でした。何しろ、あれだけ煩わしいと思っていた人間が一人もいないのですから。ずっとこの世界で生活していたい、そう思っていた響ですが、神社にて一人の孤独な神さまと出会う事になります。名前は玉響姫、ずっとこの街に語り継がれている神様でした。この夜が明けない世界は、玉響姫が作った鳥籠の事。似たような境遇を持つ神様に何か近しいものを感じた響は、この神様と暫くの間同じ時間を共有します。孤独を愛する人間と孤独な神様の物語は、こうして幕を開けたのです。

 プレイ開始直後、人は孤独に耐えられないというセリフが出て来ました。孤独という物は、人間が人間であるがゆえに生涯かけて向き合わなければいけない事だと思っております。何故なら、人間は社会的な生き物だからです。自分の価値や自分の存在を定義する為に、どうしても他者の存在が必要になります。自分らしさというものは言い換えれば他人との違いを明確化する事です。他人がいなければ、自分らしさもなにも生まれません。だからこそ、人は孤独を恐れ誰でも良いから共感する人を求めます。結婚するのも、人によっては生涯傍にいる人を求めているからかも知れません。ですが、どんな人生だとしても最後に死ぬのは1人です。一緒に死のうと約束してくれる人は滅多にいないと思います。どこかで必ず向き合う物、それが孤独だと思っております。話が大きくなってしまいましたが、この作品ではそうした孤独という物について響は本気で向き合う事になります。現在大学生である響ですが、孤独を愛し人生を悟るには聊か早い気がしてなりません。響が本当に孤独を愛しているのなら、この孤独な神様と関わりを持とうとしない筈です。あなたも是非、響と一緒に孤独になる事の意味を考えてみて下さい。人によっては心を掻きむしられるかも知れません。

 その他の点について、個人的にBGMが大変印象に残りました。使用しているのは恐らくフリー素材かと思いますが、その全てが幻想的と言いますか癒し的なサウンドばかりで使い方に一貫性があります。夜が明けない世界に、これ程相応しい使い方は無いと思いました。私もずっとこのBGMに触れていたいとすら思いましたね。そして、この作品はOPとEDにボーカル曲を使用しております。これもまたフリー素材、正直なところボーカル曲でもこういったフリー素材があったんだなって少し驚きました。勿論、作品の雰囲気やテーマに合っているのは言うまでもありません。全体的に暗く単調としておりますので変化を求めたい人にとっては退屈かも知れませんが、この作品に限ってはそうした要求は無粋です。ひたすらBGMにハマり雰囲気にハマり、深く深くこの世界と主人公とテーマにハマっていきましょう。

 プレイ時間は私で約1時間30分程度掛かりました。それ程ゆっくり読んだ訳ではありませんが、サークルさん想定のプレイ時間である1時間より大幅に超過してました。理由ですが、メモを沢山取ったからかなと思っております。意識的に沢山取ろうとしておりません、気が付いたらかなりのボリュームになっていたのです。そして、その多くが登場人物のセリフでした。それ程特別な名言が沢山あったとは思っておりません。それでもメモってしまったのは、自分の中に相当響いてしまったからなのかなと思っております。これからネタバレ有りのレビューを書きますが、良い意味で嫌な予感がしますね。孤独という誰もが向かい合わなければいけないテーマを扱った作品です。必ずや、何かしら心に突き刺さると思います。是非人生を考える1時間を過ごしてみて下さい。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<可哀想とは思われたくありません、でも信頼している人に可哀想と言って貰いたいです。>

 プレイ途中、正直言いまして玉響姫にかなりイラっとしましたよ。響は孤独が好きって言っているのに、どうしてここまでお節介してくるんですかね。バドミントンの下りで完全に響は玉響姫を拒否したのに、それに対して「あなたは、生きていて楽しいですか?」ですからね。煽りと言われても仕方がないと思います。まあ、現実は煽りでも何でもなくただ真実を突いただけでしたけどね。何故ならこの世界は、世の中に何も不満が無い人は来ることが出来ないのですから。

 思うに、人はもしかしたら孤独になる事を恐れているのではなく「孤独なんだなと可哀相な目で見られる事」を恐れているのかも知れないと思いました。私、人に対して可哀相という気持ちを持つ事はとても失礼な事だと思っております。可哀相って、明確に自分と相手の間に線を引く感情です。あなたは可哀想、この瞬間に相手を対等に見る事を放棄し加えて積極的に関わろうとする事も放棄しているからです。そもそも、相手の事を100%理解していないのに可哀想と思う根拠が分からないです。相手の全てを理解する事などてきません。人間誰しもその人しか持っていない完成や感情があり、それは唯一無二で掛け替えのないものです。可哀想という言葉はそうした物を全て塗りつぶす言葉だと思っております。それを潜在的に理解しているから、人は人から可哀相と思われる事を恐れ嫌うのだと思います。

 とはいえ、人間は社会的な動物でありどうしても他人と関わって生きていきます。そして、人生において普通の人間であれば通るステージというものがあるのも事実です。例えば高校大学に進学する、仕事を行う、友達と遊ぶ、結婚する、子供を作る、といった事柄です。これらの事柄が出来るのは特別な事ではなく普通の事、それが世の中の常識というものです。そして、この常識が出来ない人に対して多かれ少なかれ可哀相と思ってしまいます。世間体という奴ですね。きっと、世の中には愛しているからでもなく孤独になりたくないからでもなく、可哀相と思われたくないから結婚した人もいるのではないでしょうか。そして、周りと同じ事が出来ているから自分は可哀想ではない、自分は幸せだと思っているのではないでしょうか。それもまた人生であり、きっと普通の価値観なんだと思います。そうでないマイノリティな人たちは、勝手に可哀想って思われるんでしょうね。

 響もまたそうした気持ちを持っておりました。自分は孤独が好きなんだ、人と関わるのが面倒くさいから一人でいるんだと思っているのは、可哀想と思われたくない気持ちの裏返しでした。だから、玉響姫からバドミントンで手を抜かれたり「あなたは、生きていて楽しいですか?」と言われた時に酷く憤慨したのだと思います。玉響姫が多かれ少なかれ自分を可哀想と思ったと思ったからです。私も、人に対して可哀想という時は明確に敵意を持っている人か嫌いな人にしか言いませんからね。そんな可哀想という言葉を無垢にぶつけられた響、もう二度とこんな惨めな思いはしたくないと思い玉響姫から離れました。ですが、それと同時に自分の本心に気が付いたんですね。本当は孤独が好きなのではない、人との関わり方が分からないから距離を置くしかなかったんだと。そして、それを教えてくれた玉響姫に謝ろうと思いました。そして、友だちになりたいと思いました。自分と向き合い本心と向き合う事、これが出来た時が物語終了の時でした。

 今の世の中は、自分の価値感を押し付ける事を悪だとする風潮にあると思います。大切なのは個であり、誰もが尊重されるべきであるという論調になっております。これは一部の普通の事が出来ない人にとっては救いになると思います。ですが、この風潮の行きつく究極的な先は絶対的な孤独です。隣に人がいるのに何も関わって来ない、会話も事務的なものばかり、これってもはや孤独だと思います。隣の人の気持ちが知りたい、気になる人の気持ちが知りたい、自分がどう思われているか知りたい、これこそが人間であり社会的な動物である事の証だと思います。可哀想と線を引くのは嫌いですが、もしあなたが信頼している人であればきっとその可哀想という言葉にも真摯に向き合ってくれるかも知れませんね。誰もが響と玉響姫の様になることは出来ないと思いますが、せめて1人でも信頼できる人がいて何でも言い合える人がいればそれが幸せな事なんだなと思いました。ありがとうございました。


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