M.M SWAN SONG




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
9 7 6 86 10〜12 2018/9/22
作品ページ(R-18注意) ブランドページ(R-18注意)



<大震災という極限状態で露わになる、人間の本質を群像劇という演出から堪能してみて下さい。>

 この「SWAN SONG」という作品は美少女ゲームブランドである「Le.Chocolat」で制作されたビジュアルノベルです。発売されたのは2005年で、この年は私の中では現在に通じる様々な属性が生まれた年という印象を持っております。ツンデレをメインテーマに扱った「つよきす」やその起爆剤となった「処女はお姉さまに恋してる」、もはやヤンデレの教科書的な存在である「School Days」、メインヒロインが複数ヒロイン中一番の巨乳という当時としては珍しいキャラ設定の「はぴねす!」、同人ゲームでも選択肢や立ち絵が殆どない演出で話題となった「narcissu」や、現在でも多くの人気を誇る「車輪の国、向日葵の少女」やその前身となった「A Profile ア・プロフィール」など、数多くの有名作品が発売されました。今回レビューしている「SWAN SONG」もまた、そうした作品群に埋もれる事のない存在感がありました。プレイした切っ掛けは、ずばり私の知り合いの方から指定された事です。有名作品でありましたので、プレイする非常に良い機会を得る事が出来ました。

 プレイ前ですが、私はこの「SWAN SONG」という作品について殆ど情報を持っておりませんでした。ライターである「瀬戸口廉也氏」が狂気をテーマにしたシナリオを描く傾向にあるという事、開発元である「FlyingShine」で2003年に「CROSS†CHANNEL」というゲームが出てたという事、精々この程度です。それでも、裸の女の子が雪原に仰向けで横たわっているパッケージ絵だけで充分狂気な印象が伝わりました。この子がメインヒロインなんだな、何を考えて横たわっているのかな、なんて事を思ってました。まさか、ここまで直接的に震災を設定にした作品だとは思いませんでした。このレビューを公開した2018年は、9月22日現在で「島根県西部地震」「大阪府北部地震」「北海道胆振東部地震」の3度の大地震が発生し、通称「西日本豪雨」と呼ばれる7月の大雨や「台風21号」による近畿地方を中心とした水害も発生しました。個人的にも世の中的にも災害に対して敏感だった時期に、何も前情報も無しにプレイし始めたという事です。特にプレイ開始時は「北海道胆振東部地震」発生からまだ4日しか経過していないタイミングであり、Twitterでもタイトル画面を公開し「プレイ始めます」と言ったのですが、もしかしたら気を悪くされた方も多かったかも知れません。勿論、現実の状況で作品の価値が前後する事があってはならないと思っております。プレイ開始15分位は正直動揺してしまいましたが、そこからは気分を持ち直し最後までプレイし終わりました。

 主人公である尼子司はピアノを生業としている大学生です。感情的になる事があまりなく常に冷静な性格で、それが故に周囲からは掴みにくい性格だと思われております。物語は、そんな司が夜道を歩いている時に地震に遭遇するところから始まります。住んでいるアパートは倒壊し、夜という事もあり街の被害も把握出来ないまま人を求めておりました。そこで出会った少女八坂あろえ、彼女は自閉症スペクトラム障害を持っておりコミュニケーションは殆ど出来ません。それでも彼女を連れ、とある教会へとたどり着く事が出来ました。そこで出会った佐々木柚香・川瀬雲雀・田能村慎・鍬形拓馬、彼らと切磋琢磨してこの世界を生き残るための物語が幕を開けます。復興は出来るのか、この雪深い季節を乗り越えられるのか、街はどうなっているのか、人間のリアルな状況がむき出しになるシナリオが待っております。

 特徴は、人間の本質を嫌でもむき出しにする設定とシナリオ、そしてそれを群像劇という手法で描いているという事です。人の考えている事って、ほぼ間違いなく自分の思っている事と違っているものです。そしてそれは、本人になってみないと正直分かりません。その為、この作品では定期的に視点が変わりそれぞれの視点でこの大震災への気持ちや周りの人への気持ちなどを描いております。始めはワガママなど言わず一致協力していた彼ら、ですが時が経ち物資が不足し先が見えなくなる閉塞感に包まれていく中で、徐々に気持ちのずれを誤魔化しきれなくなる様子が上手いと思いました。なる程、これが瀬戸口廉也氏のテキストなんだなと思いました。私も正直このレベルの震災は経験した事がありませんのでリアルさについては言及出来ません。それでも、何も疑う事なくあり得そうな物語展開だと思いました。

 そして、その中でカギを握るのがパッケージにも描かれている八坂あろえです。自閉症スペクトラム障害を抱えれておりますので会話が全く出来ません。常に自分の欲望のまま、テンションのまま行動しますので、チームにおいて最も注意を払わなければいけないのです。言ってしまえばお荷物です。ですが、震災から時間が経過していく中で全く変わらない彼女の振る舞いが、少しずつチームの中で意味を持って行くのです。具体的に語る事はネタバレになりますので割愛しますが、そうしたキャラクター設定もまたシナリオとよくリンクしており面白いと思いました。18禁作品ですので勿論Hシーンもあります。むしろ、こういった極限状態の中で性欲を無視することは出来ませんので18禁でない訳にはいきませんね。是非抜きの為だけではない描写にも注目してみて下さい。

 プレイ時間は私で10時間45分程度掛かりました。選択肢も普通にあり、簡単にBADENDに行ってしまいます。極限状態ですからね、生き残った人が無条件で生き続ける事なんで出来るはずがありませんからね。その緊張感を表現した選択ばかりでした。テキストですが、割とドバっと画面全体に一気に表示されたりします。クリックのリズムが掴みにくいですので、急がず丁寧に読み進める事が大切です。他にも立ち絵が無い代わりにカットインを使うなど、いわゆる「プレイヤーを投影した登場人物」ではない演出が印象的でした。私で約11時間ですが人によっては20時間くらい平気で行くかもしれませんね。それでも、先の展開が気になりそんな時間経過など意識することなく読めると思います。是非瀬戸口廉也氏のテキストを堪能してみて下さい。面白かったです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<あろえが作り上げたキリスト像、そこにセッションするピアノは、もう存在しない。>


  僕のピアノは、みんなを幸せにする
  最高のピアノを弾いてあげたい
  でもここにはピアノはない


 大震災の中でも懸命に生きていこうとする人々、それでも先の見えない未来に徐々に周りを信頼する余裕がなくなっていき、殺人が正当化される様子は極限状態だからこその描写でした。他にも、司と柚香が突然セックスする描写や病院や学校の空き部屋で当たり前のようにセックスする記述など、性に対しても偏見などなく真っ直ぐに書ききった描写が見事でした。

 ですが、この作品はそんな瀬戸口廉也氏のテキストを堪能するだけの作品でしょうか?私は違うと思いました。何故なら、そうであるのなら八坂あろえが何故自閉症スペクトラム障害なのか説明が付かないからです。多くの人が自分の生き方や人生観と照らし合わせ、自分の中の暗い部分を認めつつも行動に出ておりました。そんな彼らの気持ちなどお構いなしのあろえです。好きな物にしか興味がなく、彼女の行動や言葉に何も意味はありません。唯一彼女が持つ「物を観察し記憶する能力」が目立っていただけでした。始めは作中に漂う閉塞感を緩和する存在なのかなと思いました。ですが、よくよく考えれば閉塞感を緩和する意味すらありません。彼女が存在する意義はどこにあるのか、その答えは最後の最後で待っておりました。

 人間は知性を持つ動物ですので、唯々生きる為や種を残す為だけに生きる事はありません。何か文化的だと信じている物・価値があると信じているものに触れ、未来永劫残すことから逃れる事が出来ないのです。そしてそれは、この大震災の場でも同様でした。まずは生きる事が最優先です。ですがそれだけではやはりダメなんですね。飛騨さんと田能村さんで、チームをまとめる方針はほとんど同じでした。ですが、少しだけ違ってました。それは自警団を結成する辺りで表面化しました。これもまた、彼らにおける一つの価値があるものなんだと思います。余所者は排除するべき、これは思想であって生きる為に論理的に考え出された結論ではありません。何が言いたいのかと言いますと、自警団を結成したという出来事を通して、自分の価値を周りに誇示したかったのです。

 その際たる例が鍬形の間違いなく狂気と形容出来る殺人衝動でした。普通であれば絶対に認められない行動です。それでも、周りは鍬形の姿勢に対して消極的ながらも肯定し共に行動しておりました。この一連の姿勢そのものが鍬形の価値であり、人間らしさだと思いました。他にも、大智の会という存在も同様だと思いました。竜華樹という存在を祭り上げ、彼女を中心に生き延びていく。まさに大智の会というものに価値を見出す為の行動です。人間は、もしかしたら価値を見出す為に生きるのかも知れません。自分の中でたどり着くものが見つかりそこにたどり着いたら、もうその命は要らないのかも知れませんね。

 自閉症スペクトラム障害を抱えた八坂あろえ、殆ど自我が存在しない彼女ですが、1つだけ価値のあると信じている物を残す事が出来ました。それが、EPILOGOの教会でくみ上げられたキリスト像です。瓦礫と化した教会でキリスト像の破片を識別する、そしてそれら全てを集める、そしてそれらを全て組み上げる、こんな芸当は八坂あろえでしか出来ません。勿論、周りから見た何も知らない人は、唯の出来損ないの銅像にしか思わないでしょう。ですが、それが八坂あろえという自閉症スペクトラム障害を抱えた人間が作りあげたという情報が付加された瞬間、突然価値のあるものに変貌するのです。このキリスト像を作りあげた、これでやっと八坂あろえの存在意義は満たされました。だから、八坂あろえは死んだのだと思います。

 それでは最後に尼子司です。司はそんなあろえの成果物を見て、価値のない人間なんて存在しないという事に気付きました。そして、自分にはピアノという価値がある事に気付きました。幼少の頃からピアノに才能を見出した司、本人に自覚は無くともその実力は柚香や父親に影響を与えておりました。きっと、それ以上の多くの人にも影響を与えた事と思います。司が自覚するしないに関わらず、既に司という人間の価値は周りに認められていたのです。大震災が起きた後も、学校に残されたピアノでリハビリをしていた司。本人は価値なんてないと思っていたかも知れません。ですがそんな事はありませんね。きっと、多くの人が司のピアノを楽しみにしていたのではないかと思います。

 最後の最後で自分の価値に気付いた司。ですが、その自分の価値を証明するピアノは、もうここにはないのです。太陽が降り注ぎ、雪が解け、そんな白の世界に佇むあろえのキリスト像、その場面に、司のピアノは鳴らないのです。この無常観のなんと尊い事か!私は、この瞬間を描く為のSWAN SONGという作品だと思いました。気付いた時にはもう遅い、その何と侘しい事か!別に、全ての価値に蓋をしても良いのかも知れません。それがもう1つのEPILOGOですね。誰も死なず、常識的な展開で幕を下ろす、十分幸せだと思います。この対極的なEPILOGOだからこそ、尚あろえのキリスト像は輝くのだと思います。大震災という舞台、極限状態の人間模様、それでも自分の価値を残そうとする人々、達成できたあろえ、出来なかった司、人生観というものに真っ直ぐに訴えかける物語を楽しませていただきました。ありがとうございました。


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