M.M 素晴らしき日々 〜不連続存在〜




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
9 10 8 91 22〜26 2013/4/21
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<是非諦めず最後までプレイして作品に込められたテーマを感じて欲しいですね>

 この「素晴らしき日々 〜不連続存在〜」というタイトルは2010年に老舗のブランドである「ケロQ」から発売されたサウンドノベルです。「ケロQ」としては2003年に発売された「モエかん」(姉妹ブランドである「枕」を含めれば2008年に発売された「しゅぷれ〜むキャンディ」)以来の新作であり、シナリオライターである「SCA-自(読み方はすかぢ)」が作り出す独特の世界観に結構多くのファンがこの作品を待ち望んだのではないでしょうか。2010年に発売されたタイトルの中でもシナリオについてピカ1の人気を誇っており、萌えゲーアワード2010では大賞部門銅賞・シナリオ賞部門金賞受賞を獲得しております。比較的最近発売されたタイトルであるという事もあり、シナリオに重きを置いている私にとっても是非プレイしておきたいタイトルとしてチェックしておりました。感想ですが、とにかくシナリオライターである「SCA-自」の魂が込められた大作であり人生観を考えさせられる作品でした。

 この作品について前評判で聞いていた事として「電波系」であるという事がありました。電波系とはサブカルチャーの中で生まれた言葉であり、簡単に言い換えれば「妄想」と言えるかもしれません。そもそもサウンドノベルという時点で大なり小なり「電波系」な要素は含んでいるものですが、そんな中でなおこの作品について「電波系」であると世間で言われているという事はそれなりの威力があるのだろうと思いました。そしてこの「電波系」の部分がこの作品の評価を完全に分けておりまして、極端に言えば「この電波系について行けるかどうか」でそっくりそのまま100点か0点かという話になるみたいです。そういう意味で私もある程度の覚悟をもってプレイ開始したのですが、成程確かに前評判通りとんでもない「電波系」でした。

 まずは開始早々から登場するキャラクター達が何を言っているか意味が分からないのです。それは哲学書の引用であったり本当に各キャラクターの妄想の言葉だったりとその辺りも統一性があるとはとても思えないものばかりで、シナリオを丁寧に読み進めていこうというプレイヤーの心を打ち砕くには十分な「電波系」です。それに加えて物語の時間軸と各キャラクターの整合性がとれないのです。こういうシナリオ重視の作品は物語のありとあらゆる場所に散りばめられた伏線を覚えておきながら最終的にそれらが繋がるところに面白さがあると思うのですが、その伏線と思われる場面やセリフそのものが「電波系」ですのでそもそも伏線を覚えておくこと自体に意味があるのか?とプレイヤーは思う事になります。何が言いたいのかと言いますと、登場人物や世界観の「電波系」にプレイ開始時点では多くのプレイヤーはついていけないという事です。

 ですが最後までそんな「電波系」であるならばこの作品がここまで高い評価を得られるはずがありません。ここまでとんでもない「電波系」を見せておきながらそれを放置するシナリオではありませんでした。ネタバレになりますので内容については言えませんが、辛抱強く伏線を回収していって1つ1つの事象を繋げていくことで最後には全ての謎が解決するようになっております。というよりも、シナリオ全体で表現しようとしているテーマを理解する事が出来れば無理にでも細かい事象1つ1つを確認する必要は無いのかも知れません。まずは最後までプレイする事、当たり前のようですがそれがこの作品を理解する上で一番大切だったりする訳です。

 そしてこの作品にはもう1つ特徴があります。それは「狂気」を連想させるようなシーンが割と多いという事です。具体的に言えば「暴力」の様な血を見るシーン、「厨二病」の様な痛々しいシーンです。これもこれで「電波系」ではあるのですが、人によってはどうしても不快に感じてしまう部分でありますので、「電波系」かどうかに関わらず合わない人には合わない作品なのかも知れません。ですがそれは逆に言えば18禁だからこそ表現できる手法であり、私はこれについてはシナリオライターである「SCA-自」の魂が込められているからこそだと思っております。シナリオ上これらの「狂気」なシーンが必要か不必要かと言えば間違いなく必要ですし、「狂気」であるからこそ最終的に感動できる作品になっているのではないかと思っております。

 という訳で良くも悪くも非常に癖の強い作品となっております。間違いなく人を選びますし不快に思うシーンもありますのでプレイして終始楽しい気分で進める事が出来ないと思います。ですがこの癖の強い作品に込められたテーマを理解した時、それまで理解できなかった「電波系」な部分が繋がる感覚はかなり爽快なものがあると思います。同時にシナリオライターである「SCA-自」が表現したかった人生観というものについて恐らくプレイヤー自身も振り返る事になると思いますし、1周では飽き足らず2周3周とプレイしたくなる作品になっている事と思います。是非諦めず最後までプレイして頂いて、この作品に込められたテーマを感じて欲しいと思いました。私にとっては間違いなく名作です。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」は自分自身が手に入れようとする事で初めて認知できる>

 最後まで驚かされっぱなしのシナリオでした。各章を進めていく中で各主人公の視点から明らかになっていくそれぞれの事象の真実、それはまさに不連続であったプレイヤーの認知が徐々に連続性を持っていくかのような感覚でした。前半は唯々不快なシーンばかりで本当にこれが世間で人気のある作品なのかと疑いもしましたが、最終的に全ての真実が明らかになったときはバラバラだったパズルのピースが全てはまったかのような爽快感でした。そしてそんな複雑なシナリオを通して「SCA-自」が表現したかったテーマは恐らく「世界は幸福に満ちており、それを認知できるのは自分自身しかいない」という事なのかなと思いました。

 この物語の終着点は全体の主人公である「間宮皆守」が幸福に満ちた世界を見つける事でした。幼いころから父親の体が弱くその為に母親が宗教にはまり腹違いの子供を産んだ事で、間宮皆守の人生は普通とはかけ離れたものなってしまいました。妹である「間宮羽咲」は母親と弟である「間宮卓司」に疎まれ、それを庇うために1人で反抗していた悠木皆守には辛い幼少期だったと思います。その後一端は間宮羽咲と田舎で生活し間宮家の人々や「水上由岐」と触れ合う事で人間らしい生活を取り戻していきました。ですがそれも母親と間宮卓司によって再び壊され、間宮皆守は自分自身に「悠木皆守」「間宮卓司」「水上由岐」の3つの心を内包したまま生きる事になる訳です。唯々不幸としか言いようがありませんね。間宮皆守を含め誰もが悪意で行動した訳ではないのですから。それぞれがそれぞれの信じるやり方で幸福を掴もうとした結果、このような悲劇になってしまったわけです。ですがここで大切なのは、今回の事件は誰がどう見ても悲劇に見えますが本当に悲劇なのかどうかという事は実は実際に体験した本人にしか判断できないという事です。そしてこれがこの作品の肝になる要素でありますし、プレイヤー1人1人が考えるべき要素でもあります。

 今回この作品には何人もの登場人物が現れますが、その殆どは実は最終的には死んでしまいます。それも傍から見たら全て悲劇と思えるようなものばかりです。ですが果たして本人たちは悲劇だと思いながら死んだのでしょうか?そんな事はありませんでした。高島ざくろは確かに同級生からありとあらゆるいじめを受けて自分の処女まで奪われてその時は間違いなく不幸でした。ですがその後同じ想いを共有する仲間と出会え、7/20に訪れる世界の破滅を救うためにエンジェルナイトとして生まれ変わる為にマンションの屋上から飛び降りる訳です。この時の高島ざくろは間違いなく未来への希望を持ってました。間宮卓司の信者たちも7/19に次々と屋上から飛び降りました。ですが彼らの中でそれは飛び降りたのではなく空に帰る儀式であった訳で、非常に強い幸福感を持っておりました。何がいいたのかと言いますと、傍から見れば不幸に見える事柄でも本人にとっては幸せな事であり他人に強制されるものではないという事です。

 ですが最終的なエンディングとしましては間宮皆守は妹である間宮羽咲のヒーローになるという望みを叶え、間宮皆守も死ぬ事無く人格も1つに戻る事で誰が見てもハッピーエンドな内容に仕上がっております。ここまであくの強い作品ならばこのようなハッピーエンドではなく、例えば間宮羽咲を守り間宮皆守が死ぬ様なもっと現実的なエンディングであっても不思議ではありません。これはプレイヤーを納得させる意味も込めてこのような形をとったのでしょうか?答えは違うと思います。何故なら間宮皆守が死ねば間宮羽咲が幸福にならないからです。「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」は確かに自分自身の価値観で決まりますが、自分自身の幸福の為に他人が不幸になるとしたらそれは本当の意味で「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」と思うのです。

 そもそも自分自身の幸福の為に他人を不幸にする事は許されない事です。それを考えずにただ自分自身の幸福だけを考えるのはエゴであり、社会的に裁かれる行為であります。大事なことは、自分の価値観を何でもかんでも世間の常識に当てはめる事は無意味であるという事です。私を含め世の中の人にはそれぞれの趣味がありそれぞれの価値観があります。そしてそれは当然統一されるようなものではなく、何が自分にとって大切で自分にとって幸せなのかを決めるのは自由であり逆に言えば自分自身でなければ認知出来ない事であります。そんな自分にとって「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」を手に入れる為には、自分自身で手に入れようとすることが大事になってくるわけですね。

 自分が幸福かどうかは自分でしか認知できない、ある意味当たり前のように思える事ではありますがその事について極端な事例で表現したのがこの作品なのだと思います。各章で視点が変わる事で同じ事象でも全く違って認知される、そんな不連続な様子はそんな事を端的に表現する上でうってつけだったと思います。そして同時に自分自身が幸せになるだけでは最終的に「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」は訪れず、可能な限り全員が幸せになる道を模索する事が本当の意味での「幸福に満ちた世界=素晴らしき日々」を実現する事になるのではないかと思いました。それはまさに最終章で表現しており、ある意味それまでの章の存在意義を無くするかのようです。それこそがこの作品の最大の伏線であり「SCA-自」が伝えたかったテーマなのかも知れません。何れにしてもプレイヤーに幸福とは何かという非常に重い命題を突き付けた作品でした。それを独特の「電波系」な世界と多重視点で複雑化し、シナリオの面白さも楽しむ事が出来ました。また折を見て再プレイし、改めてこの作品が伝えたかった事を確認する必要があるかも知れませんね。そんな作品でした。


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