M.M マヨイヒツジの果樹園




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 6 4 78 3〜4 2015/7/19
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体験版
フリーゲーム夢現



<この子達がたどり着く本当の幸福を、是非一緒に見届けて欲しいです。>

 この「マヨイヒツジの果樹園」は同人サークルである「Namaage」で制作されたビジュアルノベルです。「Namaage」さんと初めて出会ったのはC86で島サークルを回っている時でして、その時に手にとったのが今回レビューしている「マヨイヒツジの果樹園」です。柔らかいタッチで可愛らしい女の子、そして頭には天使を連想させるワッカが描かれております。ですがそのワッカには意味ありげなナンバーが打たれており、彼女が天使ではないことが分かります。キャッチコピーは「幸福は義務です」。何やら人間性や人生観に訴える、決して軽くはないシナリオが待っていそうな予感がしました。

 舞台は日本のどこにあるかも分からない孤島に存在する小さな女学園。主人公である山田一郎はこの学園の新任教師として務めることになります。この学園には他にはない幾つかの特別なルールがありました。そのうちの1つが生徒に対して担当教師が付くという事、そして担当教師は自分が担当した生徒について定期的に学園長に経過を報告するという事です。山田一郎が担当につく生徒は、同時期に入学してきたキャセロール。性善説を唱え幸福になる事を第一に掲げているこの箱庭の学園で、キャセロールを始めとした生徒達や教師たちとの関わりを通して山田一郎は自分自身がなぜこの学園に赴任したのかについて自問自答することになります。

 幸福は義務と唄っている社会、なんて幸せな事でしょう。世界には幸福も勿論ありますがそれと同じ位い不幸も溢れております。むしろ殆どの人間にとってみれば厳密に今幸福なのか不幸なのかすら考える事もあまりないと思います。お金を稼ぐために仕事を行い、生きるために食事をとり、翌日に備えて睡眠をとり、ちょっとした時間で趣味を娯楽を嗜む。時には不幸と感じることもあり幸福と感じることもあるでしょうが、そんな事を繰り返しながらいつの間にか時が経過していくのだと思います。ですがこの学園ではそんな不幸は決して許されません。生徒たちが卒業するまで安全を確保し身体と精神の健康を保証するのは学園の義務であり、生徒たちを卒業させるのは国の義務となっております。事実生徒たちは決してストレスを抱えることなく、雄大な自然と箱庭のような学園内で自由奔放に過ごしております。羨ましいですよね。何も悩みが無さそうです。そして、そんな幸せな世界のまま物語が終わると思っている人は、ここにはいないと思います。なぜこの学園が存在するのか、なぜ彼女たちはこの学園にいるのか、なぜ山田一郎はこの学園に赴任したのか、卒業したらどうなるのか、様々な事を想像しながら読み進めていって欲しいですね。

 最大の魅力はやはりその人物描写にあると思います。箱庭のような世界にいる女の子はみな純粋で素直であり、その性格は人物の描かれ方から容易に想像できます。水彩画のような透明感の溢れる絵柄はそれだけで惹かれるものが有り、誰でも心安らかになってしまいます。そして人物のみならず背景画も透明感にあふれており、ここが箱庭の学園である事を証明しております。BGMもピアノを中心としたオリジナル楽曲であり、朝・昼・夕方・夜の風景を演出してくれます。パッケージやHPを見て少しでも気に入るようでしたら是非プレイして欲しいですね。この子達がたどり着く本当の幸福を、是非一緒に見届けて欲しいです。

 プレイ時間は私で3時間程度掛かりました。この作品は途中チャプターに分かれておりまして、区切りの良いところで小休止を挟むことが出来ます。私の場合は、始めこそはマッタリと始まりましたが時間とともにどんどん明かされていく展開にクリックする手が止まりませんでした。小休止は2時間後の1度だけで、基本最後までモチベーションを保ちながら読み切ってしまいました。長くもなく短くもないボリュームのシナリオです。お休みの日のちょっとした時間潰しに最適です。是非、彼女たちと一緒に自分の幸福について考えてみては如何でしょうか。

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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<禁断の果実は迷い羊になる為の道具ではない。大事なのは禁断の果実の虜になってしまう事。>

「人格や知性こそ人らしさであり、決して機械には出せない。」

 特A級の犯罪者に残酷なまでの絶望を与えるために用意された拘置所。苦痛を与えるのではなく幸福を与える事によって、それを失う時の恐怖を持たせながら死刑を執行する。よくもまあこんな不条理で恐ろしい事を考えるものです。そしてそんな事実を知りながらもマツリの指示でこの学園の教師になった山田一郎もまたかなり壊れてますよね。彼には余りにも自分らしさというものが欠如しておりました。それこそ、政府の指示とは言え実の姉に実弾を打ち込むほどに。彼は自分の事をクズだと言ってましたが、クズですらありません。クズは人間がなるものです。この時の山田一郎は、もはや人間ですらありません。人間のような格好をした人間のようなもの。ただ政府の指示に従う機械のようなものです。

 迷い羊とは、群れに同調できずに独り者になってしまった羊のことを差します。それは決して群れに対して劣っているからではありません。劣っていても秀でていても独り者になってしまうのです。この作品に登場する人物は、ある意味全員が迷い羊のようなものですね。生徒たちは全員特A級の犯罪者。山田一郎は機械。姉の彩は天才的頭脳の持ち主。リャンは反乱分子。そしてマツリは実在する神様であるマート2号L型そのものです。ですが彼らは好き好んで迷い羊になった訳ではありませんでした。気が付けば迷い羊になっていたのです。この作品のテーマは、そんな彼ら彼女らがどうやって迷い羊から群れに戻れるのかを描いているのかなと思いました。

 ですがそんな迷い羊の中でも山田一郎とマツリは次元が違ってました。何故なら山田一郎は人間という群れから迷い、マツリは機械という群れから迷ったからです。人間らしさ、これはある意味人生において究極の問題なのかも知れません。作中で「人間に人権はあっても人格に人権はない」と言ってました。私はこの作品をプレイしてこれは間違いだと思いました。何故なら、人間の魅力は見た目ではなくその中身にあるからです。事実、学園にいる生徒たちはみな純粋無垢でとても犯罪を犯すような性格ではありません。確かに彼女たちは過去にその手で犯罪を行いました。ですが、同じ体を持っているからとって今の彼女たちにその記憶はないのです。それでも彼女たちは罪人でしょうか?大事なのは、人格ではなく人間としての器でしょうか?山田一郎もリャンもこのことにずっと悩んでおりました。

 ですが山田一郎とリャンがとった行動は真逆でした。リャンはどうしても自分を誤魔化す事が出来ず、この学園の歪んだ仕組みに風穴を開ける事にしました。傍から見てばとても愚かな行動ですが、それは余りにも人間らしい行動でした。そんな人間らしいリャンを打った山田一郎。余りにも合理的で、余りにも機械的な行動でした。正直、私はあの時山田一郎は撃てないと思いました。唯一自分を友人と言ってくれた存在です。たとえ姉を撃った過去があったとしても、この学園の真実を知り絶望した山田一郎であれば撃たないと思いましたし、撃ったら完全に終わると思いました。ですが撃ちました。この時思いました、結局のところ山田一郎は政府の命令であれば手を下すのだと。そこまで壊れてしまったかと思いました。

 そんな山田一郎に対する罪を描いたのがミンサーとの最後を書いたルートだと思います。散々機械的な行動をとってきたのに、せめてリャンの気持ちだけは汲み取ろうとか甘いことを考えるからあんな結末になったのです。その気持ちは否定しませんが余りにも中途半端。ミンサーの記憶を残すことが贖罪?ミンサーはそれで苦しむのです。だからこそミンサーとの幸せな未来は有り得ないのです。それが山田一郎への罪。自分が死のうが死ぬまいが、ミンサーには消えてもらうのです。気づいたときにはもう遅い、そんな後悔に埋め尽くされた山田一郎らしいEDだったと思います。

 逆にそんな山田一郎に救いを与えたのが姉を選択したルートだと思います。正直な話甘いと思いました。姉を撃っておいてその姉にすがるなんて、虫がいいにも程があると思いました。ですが、この時初めて山田一郎は泣いたんですよね。姉を撃ってもピーラーが死んでもリャンを撃っても泣かなかった彼が初めて泣いたのです。この時気がつきました。山田一郎は完全に機械になったんじゃない、十分人間らしさを持っていると。そしてそんな山田一郎だからこそマート2号L型の欠陥に気づけました。同じ迷い羊だからこそ気づけた欠陥、一度人間らしさを捨てその後取り戻したからこそたどり着けました。この時やっと、山田一郎は迷い羊から群れの中に戻れたのかもしれません。その後超法的な措置で自由の身を手にした山田一郎と彩とキャセロール。マート2号L型の支配という歪な世界は変わりませんが、少なくとも山田一郎は最悪の間違いは犯さないでしょうね。最後の最後で人間らしい決断を下せるのかなと思います。禁断の果実は迷い羊になる為の道具ではない。大事なのは禁断の果実の虜になってしまう事、そんな事を最後に思いました。ありがとうございました。

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