M.M 沙耶の唄
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
8 | 9 | 7 | 79 | 5〜10 | 2006/5/31 |
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<グロいからこそ表現できる物がある>
始めに断っておきますが、このゲームには普通の方だったら吐き気がするほどのグロい演出が含まれています。例えば、「血」や「臓器」などと言ったものを直視できないようでしたらこのゲームをする事を強く反対します。その点だけはとりあえず了解してください。
この「沙耶の唄」というゲーム、今まで私がやったゲームの中でも明らかに異質な物に入りました。と言うのもこのゲーム、ヒロインを始め登場人物や背景など、全ての描写がまともに表現されていません。実際の世界観や人間関係などは普通の日常生活そのものなのに、まるでプレイヤーだけが置き去りにされた感覚を受けるのです。しかし、このトリップするような感覚はある意味新鮮でしたし、そういった演出だからこそこのゲームが目指すテーマと言うものがはっきりと表現できたのだと思います。
このゲームの目指すテーマはずばり「愛」です。「愛」といってもあまりに幅のある言葉ですので、これだけ聴いても何を表現したいのかは全く分からないと思いますが、「愛」というものをこういった形で表現したゲームはおそらく他に無いと思います。そしてそれは、シナリオが素晴らしいとか、感動したとか、そういった風に簡単に頭の中で処理出来る様なものではありません。要するに難しいのです。エンディングまでの時間は非常に短いのですが、専門的な語句や説明が多々ありますので、それらをしっかりと消化していかないと置いてけぼりを食らいます。しかし、内容をしっかりと噛み砕いて改めてシナリオを見返してみると、このゲームで言わんとしている「愛」の形が見えてくると思います。人によってどういった印象を持つかは分かりませんが、私の中では間違いなく名作の域に達しています。
次にその他の面についてですが、始めに断ったとおりとにかくグロいです。それは、グラフィックという面だけではなく、音声からBGMから全ての要素がそのグロさを引き立てるために存在しています。人によっては本当に吐くかもしれませんが、逆にここまで徹底的にやってくれた方が今となっては良かったのではないかと思います。しかし、全てがグロイというわけではありません。当然全くの日常という世界も普通に存在します。私のレビューを読むと勘違いされる方もいらっしゃるかと思いますが、このゲームのテーマは決して「グロさ」ではないので、当然グロいだけのゲームに終わりません。そして、その日常の部分も見事に良い雰囲気を出しています。この「グロさ」と「日常」の対比が絶妙にマッチしています。
そしてもう一つ素晴らしい点をあげると、人間の感情と言うものの表現力です。このシナリオライターの虚淵玄ですが、人間の感情の表現力と場面の説明力のバランスが非常に良いのです。実際文章を読んでみないと良さは伝わらないと思いますが、全く飽きが来ないのです。私がこの「沙耶の唄」をプレイする切欠になったのも、シナリオライターが虚淵玄だと知ったからというのもあります。これは是非皆さんに読んでもらいたいです。
最後に思ったことは、「愛」と言う物を表現するためにこんなやり方があるとは思いもしませんでした。人を選ぶ作品であるという事は否めませんが、間違いなくプレイ後には何かしら心に残る物があると思います。プレイ時間も短めですし、時間の無い方で何か面白い物をやりたいと思っている方に強くオススメです。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<沙耶の望みはどこに行ったか>
全てのシナリオを終えてみて、結局のところ沙耶は自分の思いを成就できたのでしょうか。と言うのも、もともと沙耶の目的は地球で最も反映している「人間」という種族を乗っ取る事でした。その為に沙耶は、自分が持っている知能を総動員して人間と言う物を探ろうとします。しかし、その先に行き着いたものは自分では決してかなられない事、即ち人間に恋をする事でした。それを知った沙耶は、人間を乗っ取ろうとする意欲を無くしてしまいます。やがて奥涯教授も死んでしまい、沙耶は奥涯教授が所属していたT大学に住むことになります。
そこで出会ったのが「郁紀」です。始め沙耶は、おそらく郁紀の事をそんなに特別視してなく、ただ今までと反応が違うという理由だけで着いていったのだと思います。郁紀とセックスしたいと思うのも、あくまで人間の設計図を手に入れるためだけだったと思います。言ってしまえば、沙耶はあくまで郁紀を利用するためだけの存在としてしか認識していなかったのです。
しかし、後に沙耶は郁紀が自分のことを大切に思っているという思いに気づきます。そして、それからはお互いがお互いを本当の意味で愛することが出来たのです。傍から見たら郁紀が簡単に友人を殺そうとしたり、沙耶との生活に完全になれて、もはや人間としての生活をあきらめたように見えますが、それは大きな誤解でした。これは、二人が愛し合うことが出来たからたどり着けた境地だったのです。
この時果たして沙耶は気づいていたのでしょうか?自分が郁紀という人間に恋をしたという事実に、そしてそれは同時に自分と言う種の繁栄が約束されたという事実に。もし沙耶がその事実に気づいていたら、いやたとえ気づいていなくても二人には残酷な運命しか待っていなかったという事になります。結果はどうあれ、もう二人きりの世界は待っていないのです。ここで言う二人きりとは「世界中に繁栄した沙耶」と「郁紀」という意味ではなく、あくまで「今まで一緒に生活してきた沙耶」と「郁紀」という意味です。これを残酷として他にどう説明したらいいのでしょうか。
こうなってくると、いったい沙耶は何のために地球に来たのかという気持ちになります。果たして沙耶は本当に幸せになれたのでしょうか。愛と幸せという物とは何なのだろうと考えさせられる作品でした。