M.M パコられ




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 5 - 70 1〜2 2015/8/8
作品ページ(R-18注意) サークルページ(R-18注意)



<彼女が受けた現実を真正面から受け止める覚悟を持った方のみプレイして下さい。>

 この「パコられ」は同人サークルである「ゆにっとちーず」で制作されたビジュアルノベルです。「ゆにっとちーず」さんの作品はC87の時に入手した「アメトカゲ」をプレイしたのが初めてであり、暗澹とした雰囲気の中で自分自身を見つめ直すシナリオにプレイ時間以上の想いを抱いた作品でした。ですが、実はゆにっとちーずさんの作品は今回レビューしている「パコられ」が初めて知った作品であり、アメトカゲはC87の新作ということで真っ先にプレイしたのですが自分が知った切っ掛けとなる作品をプレイしないのはマズイと思い今回のレビューに至っております。

 主人公である紺野惇は人と比べて少しコミュニケーションが苦手な少年でした。その為か小学校の中でも浮いた存在であり、そんな境遇にいつしか諦めの気持ちを抱き社会に壁を作りながら生活することを決めました。ですがそんな主人公の前に同じ雰囲気を感じさせる一人の少女が現れます。それが今作のメインヒロインであり、主人公の初恋の相手である安芸紗倉です。主人公と同じ感情の伝わらない笑顔を振舞う彼女にシンパシーを感じ、自然と二人の距離は近づいていきます。ですがお互いに自分達が社会の爪弾きである事は理解しておりました。そこで二人はいったん距離を置き、再び再開した時に今の自分を克服した姿を見せようと約束します。物語はそんな主人公が再び安芸紗倉と再会するところから始まります。

 公式HPをご覧になれば分かりますが、この作品に基本救いはありません。上でさも希望を持たせるようなあらすじを書きましたが、再び再開した彼女は昔とすっかり様子を変えておりました。何故彼女がこのような風体になってしまったのか、それを主人公が追体験するように知る事になります。それは見知らぬ男からの凌辱と暴力の日々。何故彼女がこのような経験をしなければいけなかったのか、そして主人公は彼女を救うことが出来るのか、そもそも救いとは何なのか。どのような結末になるのか是非目を逸らさずに見届けて欲しいですね。ちなみに凌辱シーンはかなりエグい事になっております。それはシチュエーションだけではなくそのシーンに至るまでのシナリオと彼女の心情によるものが大きいです。苦手な方はプレイしない方が良いですね。彼女が受けた現実を真正面から受け止める覚悟を持った方のみプレイして下さい。

 プレイ時間は私で1時間30分程度掛かりました。選択肢は幾つかありますが基本は一本道となっております。ちなみに選択肢は全て主人公の行動を選ばせるものであり、その選択がそのまま物語の進行に直接影響します。プレイヤーの選択が主人公と彼女の結末を決めるのです。別に難しい選択肢ではありません。自分の思うがままに選んでいただいて大丈夫です。むしろ自分の思うがままに選んでたどり着いた結末、それをありのままに受け止める事ですね。良くも悪くもプレイヤーの深層心理を反映した結末になっていると思います。オススメはしません。それでも確実に心に残るものがある作品でした。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<無償の愛。無償の行動。それが自然と出来る徳の高い人間になりたいものです。>

 果たして悪いのは誰なのでしょうか。彼女を陵辱した男たちでしょうか、彼女の気持ちよりもお金を優先した両親でしょうか、正義の象徴であるはずが彼女の心を踏み躙った警察でしょうか、肝心な時に彼女の傍にいなかった主人公でしょうか、それとも変えようとして変えなくて罪の意識というカタルシスに満足して誰もが当たり前におこなっている努力を行った彼女なのでしょうか。誰が悪いといえばみんな悪いのだと思います。ですがこの作品で言いたいことはそんな短絡的な事ではありません。誰かに関わるという事は良くも悪くも必ず自分に跳ね返るということ、そしてその事による痛みは想像以上のものであるという事です。

 この作品は現代社会の側面を忠実に再現したかのようだと思いました。機械的に仕事をこなす教師や警察、感情面よりも経済面の事を気にしなければいけない家族、世の中理想論だけでは成り立たちませんね。理想論だけを言っている人は、それだけ力がある人か日々の生活に余裕が有る人に多い気がします。本当に苦しい人は目の前の課題をこなすだけで精一杯なのです。目の前の課題をこなしてその上で自分の心の平穏を探さなければいけないのです。他人に構っている余裕はありません。むしろ他人を利用してでも自分の心の平穏を保たなければいけないかもしれません。まずは自分を確立すること、そしてそれが出来るのは他人ではなく自分自身しかいないのです。

 物語後半、榊樹里は「他人の悪意を受け流す事や対等になるために力をつける事は人間としての当たり前の努力」と言ってました。本当に世の中には良いことも悪いことも溢れております。全てに付き合っていたらキリがありません。他人のために行動しようにも、精々自分が処理できる範囲でしか出来ませんからね。容赦なく襲ってくる悪意は立ち向かうのではなく逃げるが勝ちです。誰かと戦うとしたら必ず勝算を見出してからでないと分が悪いです。この社会なんてそんなものだと思います。適度に他人に無関心でないとやっていけないのです。だから、この作品の結末は酷く正解なのです。ここまで磨り減って壊れた歯車の少女なんて、見ない事にしてほうっておくしかないんです。

 だからこそ私は世の中で活動しているボランティアの方々は凄いと思うんです。これだけリスクの大きい社会の中で見ず知らずの他人の為に無償の努力ができる、余りにも徳が高くなければ出来る事ではありません。彼らも人間ですので勿論やってられなくなる事もあるのでしょう。それでも決して折れない精神、他人からのダメージを受けても自分の行動に誇りをもっているからこそ出来るのでしょうね。そういう意味では私のHPも同じかも知れません。今でこそ何人かの方に見て頂いておりますが、始めの頃は全然回らないアクセスカウンターに「このHPを閉鎖しても誰も気にしないんだよな」って思った事もありました。ですがやめませんでした。このHPが自分である事の証明なのですから、たとえ自分しか見なくなったとしてもやめない覚悟はありました。無償の愛。無償の行動。それが自然と出来る徳の高い人間になりたいものです。


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