M.M ニルハナ




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
8 8 7 85 6〜7 2018/6/3
作品ページ(R-18注意) サークルページ(R-18注意)



<ゆにっとちーずさんの最終作品です。是非狂気の裏側にあるテーマを、自分なりに考えてみて下さい。>

 この「ニルハナ」という作品は同人サークルである「ゆにっとちーず」で制作されたビジュアルノベルです。ゆにっとちーずさんの作品は、これまで「夏のさざんか」「パコられ」「アメトカゲ」とプレイさせて頂きました。特徴は一言で言えば狂気です。登場人物は誰もが心に闇を抱えており、それが牙となって自分と相手に噛みついてきます。誰もが目を背けたくなるような残酷な描写、見たくない描写が沢山あり、一般的にオススメ出来るサークルさんではないかも知れません。ですが、皆さん分かっていると思いますが、人間ほど綺麗好きでありながら何を考えているか分からない存在はありません。ある意味ゆにっとちーずさんの作品を真正面から見れないという事は、少しでも自分と共感できる部分がある証拠なのではないでしょうか。この狂気が癖になった時、いつの間にかあなたもゆにっとちーずさんのファンになっていると思います。

 今回レビューしている「ニルハナ」ですが、サークルロゴに「Last Presents」とあります通りゆにっとちーずさんの最後の作品のようです。自身のサークルのみならず様々なサークルさんの作品も手掛けている代表の山野氏の、果たして最後の読み物になるのでしょうか。実は、このニルハナが最後の作品になる事を存じてませんでした。C93で普通にサークル参加するんだなーってくらいの感覚でした。ですが、C93当日に私のお知り合いの方が皆一様に注目しており、訊いてみたところ最終作品であるという事を知りました。私自身、宣伝の段階で最終作品と銘打っている作品を殆ど知りません。自分のサークルさんを畳む覚悟を持っているという事です。多くのサークルさんが作品を完成させる事無くフェードアウトしてしまうのが良くある同人ビジュアルノベル界隈において、敢えて最終作品と言い切る決断に痺れましたね。これまで発表してきたどの作品もアクが強かったので、果たしてどのような世界が待っているのか楽しみにプレイ始めました。

 タイトルである「ニルハナ」ですが、皆さんはどういう意味を持った言葉だと思っていますか?。公式HPには日本人を中心に多くの登場人物がいる事が分かるのですが、その最後に「ニルハ」と「ナーム」という女の子が紹介されております。ニルハナとは彼女達の事でしょうか?だとしたら、主人公は彼女達2人の事でしょうか。もちろん、そんな単純なはずがありませんね。ですが、純粋無垢に見えるニルハと、体に呪いを宿しているというナーム、この対照的な彼女達からこのニルハナという物語が始まるのは間違いなさそうです。他にも、ニルハナ=似る花とも読めるでしょうか。主人公である宮森タツヤは訳アリの女の子しか愛せない性格であり、ヒロインである津摘ユウは歯に衣着せぬ物言いをする性格です。一癖も二癖もある性格は、ある意味似ているとも言えるかも知れません。その他の登場人物も、どうやら普通の生い立ちの人物は一人として居なさそうです。家庭環境に問題がある人、病気を患っている人、重度のシスコン、様々です。これらの登場人物がクロスオーバーする時、そこにはきっと18禁を超えた生々しい姿が現れるかも知れません。

 最大の特徴は、人が目を背けたくなるような生々しい心の裏側です。上記の通り、普通ではない登場人物だらけですので一般的な感覚のシナリオが待っているはずがありません。これまでのゆにっとちーずさんの作風からも、それなりの覚悟を持ってプレイ始める事をオススメします。それでも、初めから終わりまで狂気満載という訳ではありません。公式HPをご覧になれば分かりますが、一見すればとても美しいような風景が広がっております。狂気であるという事は汚いという事ではありません。そもそも、狂気と綺麗汚いは特に関係がありません。自分がこれまで生きてきた軌跡を顧みて、そして今生きている現代社会の常識と照らし合わせてみて、その時代時代で狂気もまた変わるのです。何が狂気なのか、そしてその狂気の原点になっているものは何なのか、登場人物達はただ狂気に呑まれてしまうだけなのか、それを是非自分の目で確かめてみて下さい。

 システム周りですが、今作は登場人物全員フルボイスです。これだけで素晴らしいのですが、その演技もまた手に汗握るものとなっております。これはボイスの有り無しで印象が大きく変わりますね。主要な場面は久しぶりに飛ばさないでセリフを聞いてました。背景は一部フリー素材をしようしておりますが、特に気になる事はありません。BGMは全てオリジナルです。穏やかな場面、オリエンタルな場面など、複数のコンポーザーによる場面に合った音楽を聴く事が出来ます。少し気掛かりを上げるとすれば、バックログの表示が遅いくらいですかね。バックログを表示しようとするだけで間が開き、そこから遡ろうとすると動作が鈍ります。大事な場面は目を皿のようにして読み、出来るだけ見逃さないようにする事が大切かも知れません。

 プレイ時間は私で6時間10分でした。この作品は選択肢があり、どれも真面目に考えないと簡単にBAD ENDに行ってしまいます。セーブスロットは潤沢にありますので選択肢ごとにセーブ&ロードすれば分岐を検証するのは問題ないと思います。ですが、ニルハナはそんな風に選択肢を振り返ろうといった心持でプレイしない事です。プレイヤーであるあなたも、是非真剣に考えて選択肢を選んで下さい。正直、一癖も二癖もある登場人物達ですので彼らの心理状態に共感するのは難しいかも知れません。それでも、ちゃんとテキストを読めば誰でもTRUE ENDにたどり着く事が出来ます。選択肢の検証やスチル回収は、その後にじっくり行いましょう。何よりもニルハナに真正面から向き合う事です。ゆにっとちーずさんの最終作品ですからね。ただ狂気な世界を作りたかっただけなのか、それとも美しいものを伝えたかったのか、是非狂気の裏側に隠されたテーマを自分なりに考えてみて下さい。素晴らしい作品でした。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<純粋さ、美しさに決まりなんてない。大切なのは、純粋であろうとする心と自分の中の美しさを確立している事。>

 最後までプレイして、私はなんて美しい作品なんだと思いました。とても読み終わった後の爽快感が気持ち良い、大変スッキリしたテキストだと思いました。もちろん、綺麗な作品かと言われたらそんな事はありません。ですけど、このニルハナという作品から「純粋であるという事」「美しいという事」について強く考えさせられました。現代社会で生きている人であれば、誰もがどこかしらで頷く場面があるシナリオだったと思っております。

 始めに「純粋であるという事」について書こうと思います。ニルハナの登場人物は、その誰もが自分は穢れているからせめて目の前の人くらいには純粋であって欲しいという気持ちを持っていたように思えます。情緒不安定で自分の事を制御できないカスリ、ですがそんなカスリの不甲斐なさを全く気にせずタツヤは介抱してくれました。この人だったらどれだけ甘えても大丈夫、この人だったら何を言ってもきっと受け入れてくれる、この人がいるから自分は安心して生きていける、無意識にそんな事を思ってました。ですが、そんな事はありませんでしたね。タツヤがカスリから見て純粋に見えた理由、それはタツヤが裏でちゃんと自分の毒素を吐き出していたからでした。自分がこれだけ献身しているのに家族の事を優先するカスリに、尋常ではない苛立ちを持っておりました。それでも、タツヤはカスリを愛し続けました。その愛の先に、カスリとの生活は待っていなかったのです。

 毎日誰かしら男を連れ込み、夜な夜なセックスをする母親の姿を見続けなければいけなかったマユ、そしてその手はついに自分のところにも迫ってきました。そんなマユが唯一頼れたのはお兄ちゃんであるリュウヤだけでした。リュウヤもまた、生き難い世界の中でマユだけは純粋でいて欲しいという気持ちを持っておりました。ですが、お互いがお互いに自分が理想とする純粋さを持ち合わせているという事が、一番の不幸だったのかも知れません。汚れて欲しくないからマユを犯そうとした男を殺したリュウヤ、その行動そのものは尊いのに、マユはそんなリュウヤを怖がってしまいました。そこから長い長い時間が掛かりました。再会し再び生活するようになって、それでも相手の本当の姿を見る事が出来ず鏡の中の純粋さを求め続けたのです。そして降りかかった呪い、次々と死んでいく周りの人たち、そんな呪いが弾けて残ったのは、抜け殻になったマユとナミダ・ユウという存在でした。

 私もそうですが、皆さんも「人間は純粋なんかじゃない」と分かっていると思います。それでも、どこかで「この人は優秀だ」「この人は凄い」と根拠のない理想を見てしまった経験はありませんか?結局のところ、人間は純粋である事を本質的に求めているのだと思いました。綺麗な物はいつまでも綺麗でいて欲しい、そんな事があるはずがありません。それでも…それでも…と想像し続けるのです。想像するだけなら自由ですからね。妄想と言っていいですね。大切なのは、「純粋であって欲しい」という気持ちそのものなのではないかと思います。純粋な物はありません。それでも、人は他人から期待されたらそれに応えようとするのです。例えそれがハリポテでも偽物でも、それで相手が喜んでくれるのなら幾らでも純粋の仮面を被るものです。例え純粋だと思っていたものが純粋でなかったとバレてしまっても、純粋でありたいという気持ちまで無くなる訳ではありませんからね。それを不器用ながらも何とか形作ろうとしている姿が印象的でした。

 次に「美しいという事」についてです。ネタバレ無しで、私はこの作品は狂気ですが綺麗とか汚いとかとは関係ないと書きました。何故でしょうか、それは人によっては突き抜けた狂気こそに美しさを感じるからです。また他の人にとっては狂気など美しさの欠片も無いと思っているからです。物語後半、マユが自分を裏切ったリュウヤに対して散々に罵倒しておりました。自分が2回も妊娠して2回も流産したという話もありました。私、あの場面を見て美しいと思ったのです。綺麗汚いではありません。あそこまで突き抜けてマユというキャラクターをどん底に落としたその落とし具合が美しいと思ったのです。そしてその美しさを広げるボイス、見事でした。汚すぎる、やりすぎ、だからこそ美しいと思いました。何が言いたいのかと言いますと、美しさの基準は人間の数だけ存在しており正しい美しさの姿など存在しないという事です。

 そして、自分が何を美しいかと思う事柄の波長が合ったのが、リュウヤとタツヤでした。汚れているもの、影があるもの、依存しているもの、そういったものに美しさを見出すのはきっとマイノリティなのでしょう。整列しているもの、汚れていないもの、綺麗なもの、そういったものがマジョリティです。たまたま、リュウヤとタツヤがマイノリティ同士で一致していただけでした。勿論、2人が完全一致している訳ではありません。そして、2人の求める美しさが許される社会ではありません。それでも、それが美しいのだからしょうがないのです。セックスは愛のあるものが美しい。では、愛のあるセックスって何でしょうか?愛ってなんですか?人によって愛の形がある通り、美しさも人の数だけ存在するんですね。

 このニルハナという作品を美しいと思った人、必ずいると思います。ですが、その美しいと思った人でもきっとどこに美しさを感じたかはバラバラな気がします。そして、それで良いんですね。物語最後でそれを象徴するセリフがありました。それが「美しくないものを美しいと思うのが人間」でした。矛盾してるように見えて、きっとこれで良いんだと思います。私は、カスリが残した一冊のノートを美しいと思います。異国の地の文明が発達していない孤児院、マユは離れたくないと言っていました。美しかったからですね。ニルハナを通して、皆さんも是非自分にと手の美しさとは何かという事を考えてみては如何でしょうか。カスリのように全部書き出してみてもいいかも知れませんね。思いもよらない自分の姿が見つかるかも知れません。

 ゆにっとちーずさんの作品は、そのどれもが狂気をテーマとしており一般的に受けがいいとは思っておりません。ですけど、作品として非常にまとまっているんですよね。私は、そんなゆにっとちーずさんの一貫性が美しいと思いますし純粋だなと思うんです。そして、ゆにっとちーずさんが表現したい純粋さ、それを不器用ながらも作品として発表する行為、美しいと思っております。今回最終作品として銘打った、その行為だけで純粋ですし美しいと思ってしまいましたからね。大切なのは、自分とどれだけ向き合いどれだけ吐き出せるのかなのかも知れません。その結果がどれだけ綺麗でもどれだけ汚くても、それが純粋であり美しいんですね。今回のレビューは美しいでしょうか?そう思ってくれる人がいたら嬉しいです。純粋でしょうか?それは人に訊く事ではありませんね。自分は、少なくとも純粋な物を書けたと思っております。ありがとうございました。


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