M.M narcissu 3rd -Die Dritte Welt-


<多角的に見た死生観の姿>

 いよいよnarcissuも「3rd」となりました。第一作である「Narcissu」が発表されて5年程度になりますのである程度知名度も上がったのではないでしょうか。この「narcissu 3rd -Die Dritte Welt-」というゲーム、タイトルにもあります通り「Narcissu」シリーズの3番目として発表されたものです。前作と前々作はその非常に短いプレイ時間とフリーダウンロードという手軽さ、そして「死生観」という明確なテーマで多くのプレイヤーの心をつかみましたが、今作もそういった基本コンセプトは変わらない感じでした。

 今作の特徴としては、前作前々作と違い「シナリオライターが複数存在する」という事です。ですがそれは、一つのシナリオを複数のライターで書いているという意味ではなく、それぞれのライターが一つのシナリオを書きそれを寄せ集めたという意味です。つまり、この「narcissu 3rd -Die Dritte Welt-」は言わばこれまでのNarcissuシリーズの外伝のようなものであり、基本的に短めのシナリオを詰め合わせたようなものです。そういう意味で全部のシナリオを読むとなるとそれなりの時間がかかりますが、一つ一つのシナリオは2時間程度ですのでそこで区切ってじっくりとプレイすることが出来ます。

 そして、シナリオライターが複数人いるということで当然それぞれのライターば持つ「死生観の違い」がよく読み取れました。もちろんシナリオの登場人物や設定はバラバラなのですが、シナリオの中で言わんとしている事も違いますので非常に考えさせられました。それにプラスして文章表現のしかたや言葉のニュアンスも様々でしたので、1つのゲームではなく4つのゲームを一度に購入した感じです。時代背景や舞台などで幾つかシンクロしている部分もあるのですが、殆ど意味を成さない感じで純粋に一つずつの物語として読むことが出来ます。

 その他システム面ですが、まずは画面に表示される文章量が比較的少ないことがポイントです。最大で3行までしか表示されませんので一度に目に入る文章量が少なく、クリックでテンポよく読み進めることが出来ます。そして、前作前々作と同様に絵は最低限しか用意されてません。これも片岡ともの思想である「想像性へのこだわり」が反映された形だと思います。そしてBGMですが、やはり「ねこねこソフト」で使用されたBGMのアレンジが多く収録された感じでした。もちろんオリジナルの曲もあるのですが、結構知っている曲が多かった気がします。それでもあくまで文章の引き立て役としての立ち位置は変わらず、静かに雰囲気を作っています。

 という訳で、結局はいつものNarcissuと同じ感じでした。むしろ複数ライターによる複数のシナリオという事で実に読み応えがあります。その中でシナリオ以外の雰囲気作りは全て統一されてますので、そのあたりはいつものNarcissuと同じです。値段も安いですし、短い時間で読み応えのあるゲームをプレイしたいという方にオススメです。肝心なことを言ってませんでしたが、なんとこの「narcissu 3rd -Die Dritte Welt-」には前作前々作である「Narcissu」「Narcissu SIDE2nd」も合わせて収録されています。まだ未プレイの方も安心して買えます。最終的に全てプレイすると13〜14時間でしょうか。興味をもって頂いたら是非買って見てください。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<去りゆく者と残される者>

 この「narcissu 3rd -Die Dritte Welt-」は4人のライターという事で本来はレビューも4つに分けて行うのがやりやすいのですが、基本的には「去りゆく者と残される者」という絶対的な立場の違いについてどのように考えたかという共通点がありますので、それを考慮して総合的なレビューにしようと思います。

 結局のところ去りゆく者と残される者の「溝」は埋まらないのでしょうか。私はそんな事はないと思っています。とはいえ自分ではない相手の本当の幸せは何かという事は分かり得ません。何故なら絶対的に立場が違うからです。相手の気持ちを「分かったつもり」になることは出来ますが、それは本質的ではなくかえって二人の溝を産んでしまうことになります(第一章「死神の花嫁」)。そういう意味で、本当の幸せというのはやはり自分で見つけるしか無いのかと思いました。

 ですが共有する思い出は作ることが出来ます。たとえ残された時間は違っても最後に死ぬことに変わりはありませんので、最後の瞬間まで友達でいることは出来ます(第三章「メサイア」)。大事なのは「余命が3ヶ月でも3年でも30年でもいつか死ぬことに代わりはない」という事です。ましてや不幸な事故が起きれば余命3ヶ月の人よりも先に死ぬこともあり得るわけです。大事なことは、生きている時間に何が出来るかとも思いました。

 そして、立場は違えど相手の事を本気で思って最後まで人間らしく自分を成長させていくことも出来ます。自分は死にゆく存在だからと諦めて偽りの笑顔を振りまいてきた人生だったとしても、第3者の協力で本当の自分を表に出すことが出来ます(第二章「-Ci- シーラスの高さへ」)。要は去りゆく者と残される者という立場の違いはちょっと生きる時間が違うだけで本質的には何も代わりはないということです。去りゆく者と残される者として立場が違うとお互いに平行線だと思っていても、付き合っていくうちに気がつけばそんな平行線も混じってしまうものです、まるで飛行機雲のように。人間らしく生きたいのは誰も同じです。後は、去りゆく者と残される者の二人の間で決めていけば良いと思いました。

 さて、ここまでは去りゆく者と残される者の立場でしたが、最終章である「小さなイリス」は今までと立場が違いました。それは「生き抜く者と死にゆく者」です。どんな事をしても生き抜く精神と理想の死に場所を求める精神ですが、実際この2つは同じなのではないかと思いました。ただ、人を切るということは自分の心を切るということです。たとえそれが生き抜くためでも、それはもはや死んでいるも同然。だからこそ、傷ついた自分の心を癒す存在が必要でした。それもやはり立場は違えど二人の心の触れ合いでしか成されませんでした。結局、一度関係を持ってしまえばどうしても離れられないのが人間です。その気持に気づければ、本当の意味で生き抜くことが出来ます。最後にイリスは麦を育てながら慎ましい生活を営みますが、これもヨハンと触れ合えたからこそだと思います。

 結局のところ、冒頭でも書きましたが「去りゆく者と残される者」の二者でどのように触れ合うかが全ての物語のテーマというか課題でした。そして結論ですが、「自分の幸せは自分でしかつかめない、それでも人とふれあうことで幸せを掴みとることが出来る」だと思いました。人なんていつ死ぬか分かりませんから、それまでに後悔しない人生を歩むことが大事だと思いました。

 余談ですが、複数ライターという事でやはり文章の読みやすさも結構違いましたね。個人的には「第四章>第一章>>第三章>>>第二章」でした。それぞれの章でプレイ時間は同じくらいなのでしょうけど、第一章と第四章は一気に読み進められましたけど第二章と第三章はどうしても途中休憩を挟まないと読めませんでした。これもライターとの相性なのかも知れませんね。


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