M.M 君と歩んだ最後の一歩




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 5 2 61 4〜5 2018/5/13
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<単調とも言える当たり前の日常の中から、何かこそばゆく淡いものを見つけてみて下さい。>

 この「君と歩んだ最後の一歩」という作品は同人サークルである「みるみるそふと」で制作されたビジュアルノベルです。みるみるそふとさんの作品はこれまで「夢の中の私」「悪魔がくれたモノ」「Psyche Girls」をプレイさせて頂きました。みるみるそふとさんが描く女の子は、とにかく可愛くて角砂糖の様な甘酸っぱさを感じます。これまでも学生、悪魔、魔法少女と様々な女の子が登場してきまして、どちらかと言えば主人公よりもヒロインの方が力強さがあり物語を引っ張る印象がありました。そんなキャラクターの魅力が印象的なみるみるそふとさんの、貴重な18禁作品が今回レビューしている「君と歩んだ最後の一歩」です。頒布されたのはC87の時という事で時間は空いてしまいましたが、COMITIA124で何とか入手出来ましたので早速プレイさせて頂きました。

 主人公である桂木翔はどこにでもいる普通の男子学生です。3年生という事で最後の1年を送っており、このまま何事もなく人生は進んでいくのかなと漠然とした気持ちを持っておりました。それでも友人である花房、幼馴染である櫻井杏、委員長である有河悠里達に囲まれた生活は充実しており、十分満足した生活を送っておりました。夏休みが終わり2学期が始まる前の最終日、屋上で転寝をしていた翔ですが、気が付けば目の前に女の子がいました。その名前は京山佳奈。破天荒で騒がしい性格の彼女がクラスのメンバーに加わった事で、普通に終わるはずの日常は普通ではない日常に変わるのです。思い出を残したい京山佳奈の気持ちに、皆が応える物語が幕を開けます。

 この作品の魅力は、学生らしい当たり前の日常生活です。基本的には美少女ゲームの形態を取っており、主人公とヒロイン達に囲まれた学園生活を送ります。ですが、この学園生活ですが一般的な美少女ゲームのそれとは大きく異なっております。言ってしまえば、単調過ぎるんです。どうでもいいような会話がずっと続いたり、脱線ばかりで中々物語が進まなかったり、優柔不断で決断しなかったり、といった感じです。もしかしてずっとこんな感じで話が進むのか?と思いました。そして実際そうでした。ですが、私はこれを敢えて魅力と称したいと思います。何故なら、そんな当たり前の代わり映えしない日常の積み重ねがあるからこそ、それを振り返った時に感慨深く思えるのです。こればっかりは時間を掛けてこの単調な日常を見るしかありません。レビューでコンパクトにまとめて紹介する事に、何も意味は無いのです。とにかくEDまでプレイしてみて下さい。何か淡い気持ちが湧いてくるのではないかと思います。

 その他の点について、まずはプレイ開始時に公式HPからパッチを充てて下さい。パッチを充てる事でBGMの種類が増え、また立ち絵の間違いなどが修正されております。最新パッチでもまた多少のミスはありましたが、気になる程ではありませんでした。後はシステム面で注意が必要です。この作品には既読スキップがありません。上でも書きましたがこの作品の魅力は単調な日常です。ですが、流石にその単調な日常を何度も読むのは骨が折れるというものです。幾つかの選択肢が登場しますので、分岐を検証する際はEnterキーを押しっぱなしにするなどの工夫が必要です。その際は未読テキストを飛ばさないよう注意深く背景を観察した方が良いです。

 プレイ時間は私で4時間20分程度でした。2時間30分位が共通ルートであり、残り1時間50分で分岐の検証と個別ルートといった感じでした。上でも書きましたが、既読スキップがありませんので2週目は注意深く分岐を検証してました。ですが3、4週目になるにつれ何となく分かってきましたので一気に飛ばしながらプレイしてました。明らかに別ルートに入ったなと分かれば、その前の選択肢に戻りそこから通常プレイをするだけですからね。体感よりも長く感じましたが、それが当たり前の日常が持つ力なのかも知れません。是非リアルな学生生活を思い出して見て下さい。そしてEDから何かを感じてみては如何でしょうか。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<俎板の魚、それは主人公から攻略される事を待つしかないヒロインの姿そのものだったんですね。>

 ネタバレ無しのレビューの中で、私はこの作品を「美少女ゲーム的だ」と称しました。それは主人公とヒロインという構図だからという理由もそうですが、それ以上に作中に夏樹柚子が呟いたセリフに全てが込められているからです。それは「俎板の魚」。これこそが美少女ゲームが美少女ゲームたる所以なんだなと、改めて思いました。

 俎板の魚とは、「まな板の上に載せられ、じっと料理されるのを待つしかない運命におかれた魚」を意味します。自分の力ではどうする事も出来ず、相手のなすが儘になるしかないという事です。他にも「俎板の鯉」と称されますね。実際の生活の中でも、どうしようもない事ってあると思います。天災や人の命などは、自分の力ではどうしても変える事は出来ません。そうであるのなら、その運命を受け入れて自分の中でどうやって解釈していくかを考えていくのです。それが人生という物であり運命というものかも知れません。そんな中ででも、足掻いて前に進もうとする姿に人は心を動かされるのだと信じております。

 ですが、これは立場を変えれば相手を生かすも殺すも自分の心一つという事になります。自分がどのような選択をしてどのような決断をするかだけで、相手の運命を自由にする事が出来るのです。こんな事、現実世界では絶対に起こりませんね。それこそ、決まった選択肢さえ選べば確実に攻略できる美少女ゲームのようなものでなければ体験出来ません。俎板の魚とは美少女ゲーム的なものである。自分で言っておきながら言い得て妙だなと思いました。ある意味メタ的な発言だったんですね。だからこそヒロイン達は待つしかないのです。自分が主人公から選ばれる事を信じて。

 今作の主人公である桂木翔は、その鈍感なところやモテモテなところから見ても実に美少女ゲーム的であり主人公的です。自分の手でヒロインの事をどうとでも出来るのに、そしてその事におぼろげながら気付いているのに、もしかしたら違うかも知れないと言って気付かない振りをし続けるのです。ですが、俎板の魚は時間が経てば鮮度が落ちてしまいやがて腐ってしまいます。選択すれば自由にできるとは言いながら、そのタイミングだけは的確にしないとみすみす取りこぼしてしまうのです。まあ、そんなギリギリのタイミングでちゃんとヒロインをつかみ取るからこそ主人公なんですけどね。私が男だからかも知れませんけど、いやーイライラしましたね。それでも最後は結ばれるのが分かっているからこそ、なおの事イライラしたのかも知れません。

 この作品を単調な当たり前の日常を描いた作品と言いながら、実際は点と点を繋ぎ合わせた様に日常のある特定の一コマ一コマを切り取って描かれておりました。映像を作る技術的部分や、旅行を段取りする場面、試験勉強など、美少女ゲーム的ではない部分はカットしてあるのです。キャラクターの描き方や会話の組み立て方こそが当たり前の日常な作品でした。主人公は包丁を持った料理人です。俎板には身動き取れない魚がいるだけです。それ以外の、余計なものは必要ないんですね。美少女ゲーム的とはどういったものなのか、そのエッセンスを感じる事が出来たように思えました。ありがとうございました。


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