M.M 片輪車と雪女




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 8 7 82 2〜3 2017/3/21
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<「障害」と「同性愛」というテーマを、水彩画とクラシックで飾り柔らかい雰囲気を作り出した作品です。>

 この「片輪車と雪女」は同人サークルである「活動漫画屋」で制作されたビジュアルノベルです。「活動漫画屋」さんの作品はこれまで「百鬼社中」、「柊鰯」、「あまいしる」、「よつどもえ」とプレイさせて頂きました。実際に小説を読んでいるかのような縦書きの描写と出典を丁寧に説明するテキストが活動漫画屋さんの特徴であり、場面場面の描写をしっかりと説明してシナリオを進めていく作り込みが魅力ですね。今回レビューしている「片輪車と雪女」は過去にプレイした4作よりも過去作です。そして、この作品をもって私が活動漫画屋さんに持っているイメージを少し修正しなければいけないのかなと思いました。具体的には後述しますが、人の感情といいますか心理描写が波のように押し寄せてそのまま押し切るテキストはこれまでにない印象でした。

 主人公である難波深雪は高校三年生です。学生でありながら障害者向けのデリヘル嬢を行っており、椰子の実クラブのなつめ嬢として日々仕事をしております。彼女が障害者向けのデリヘル嬢をしている理由は、もちろんそう単純なものではありません。彼女が学校で「雪女」と呼ばれているのもそれなりの関わりがあります。雪女、日本の妖怪の中では比較的ポピュラーな存在だと思います。冷たい女、相手を凍らせる、そんなイメージが先行しておりますが、物語の中では人間に擬態し人間との愛情に飢えた様子も描かれております。表向きのクールな姿と裏のデリヘル嬢としての顔、どちらが彼女の素顔なのか、またどちらでもないのか。そんな点に注目して頂ければと思います。

 ヒロインである大江麻子は14歳の女の子です。彼女は小学生の時に不慮の事故で下半身不随になってしまった身体障害者であり、車椅子無しでは生活できません。一日の殆どの家の中で過ごしている彼女ですが、障害者向けのデリヘルを知り男性ではなく女性の難波を指名した事が2人の出会いでした。大江は自分の事を「片輪車」と揶揄しておりました。片輪車もまた日本の妖怪です。炎に包まれた片側の車輪に鬼のような形相の男の顔が描かれているのが一般的であり、姿を見た物を食べちぎると言われております。片輪車に共通しているのは、姿を覗き見した人間を食らうという事。それはまるで自分の障害者としての姿を覗き見する人間に対する恨みに思えます。大人しそうな彼女のどこに片輪車な雰囲気があるのか、その点に注目して頂ければと思います。

 この作品で扱っているテーマは「障害」と「同性愛」です。一般的にはマイノリティーな存在であり、健常者や異性愛者にとって簡単に触れられるものではありません。もちろんそのように始めから距離を作ってしまう事そのものが差別的という考えもありますが、前提として日々の生活環境や将来子孫を残すという点を考えると決して気持ちだけで納得できる事柄ではないのです。実際に社会の中で生きていかなければならない、そんな現実的な姿をこの作品の中で見ることが出来ます。障害者向けのデリヘル嬢とは具体的にどのように仕事をするのか。家族や近親者は障害者や同性愛者に対してどのように接しているのか。同性愛者である事によって人間関係の構築にどのような影響があるのか。私にはどうしても想像する事しか出来ませんので、この作品の中から少しでもそうした実態を垣間見れればと思っております。

 シナリオ以外の特徴としまして水彩画のような柔らかい人物画ですね。肌の触感や髪の質感などが淡い色合いで表現されており、繊細な心理描写を表現するに良く合っていると思いました。表情差分やCGの枚数も比較的多く、刻々と変化する場面と心理を上手く追いかけて欲しいですね。また背景は基本全て実写です。大江麻子が住んでいる家、通学途中の地下鉄、学校などが全て現実に即したものであり、製作者の生活圏を伺う事が出来ます。そしてこの作品でもやはり出典を大切にしております。上でも書いた片輪車や雪女をはじめとして、普段聞きなれない言葉は別に解説を付けておりますので理解が進みます。BGMも特徴的だと思いました。基本はクラシックであり、荒れる場面ではバイオリンの不協和音を、不穏な場面では低音木管楽器を使いドラマチックに仕上げております。シナリオ以外の部分も全て活かした作りであり、ビジュアルノベルの魅力に溢れた内容になっております。

 プレイ時間は私で2時間15分程度掛かりました。冒頭書きましたが、これまでプレイしてきた作品と違い登場人物達の感情のうねりがそのまま反映されたテキストとなっております。彼女たちの気持ちを汲み取りながらプレイしていたらいつの間にかエンディングにたどり着いてました。自分自身の感念を見直す場面もあり、彼女達の生き様に感服する場面もあり、非常に読後感の良い作品でした。決して楽しい作品ではないと思います。それでも、必ずやあなたの心に何か一つ感じるものを残してくれると思います。そんな作品です。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<自分の気持ちに正直に生きる。そんな簡単な筈の事が、どうしてこんなにも難しいのでしょうね。>

 ネタバレ無しのレビューを書いてからこのネタバレ有りのレビューに手を付けるまで、実は結構時間が掛かってしまいました。それだけこの作品に登場する人たちの生と性に対する気持ちと、それを詩的に描くテキストに圧倒されてました。結局のところ、私には彼女たちの気持ちは分かりませんでした。ですがそれで構わないのかも知れませんね。それが片輪車と雪女の関係なのですから。

 自分がビアンなのかヘテロなのか分からない、それでもこの人の事は愛おしく感じる。これってよく考えれば何も特別なことではないなと思いました。彼女らは中学高校というまさに思春期ど真ん中を生きております。性の目覚めの時期であり、それには当然個人差があり人の数だけ好きの形もあります。その時愛しいと思った人がたまたま男だった、たまたま女だった。その違いだけです。でも彼女たちには自信がなかったんですね。本当に自分はこの人のことが好きなのか。自分は今後ずっとこの人のことを好きでいられるのか。周りから何を言われても挫けない自信があるか。そして、障害を持ったあなたを最後まで支えていけるのか。

 この作品の中で割と印象的な言葉に「障害者の中にも階層がある」がありました。健常者から見れば障害者は誰も障害者です。ですが障害者の中でも麻子の様に下半身不随で済んでいる人もいれば、住田さんの様に言葉も話せず体も動かせず目の動きでしか会話ができない人もいます。麻子も言ってましたが、彼女はまだマシな方なんです。車椅子を使えば自分の意志で動けますし、普通に会話もできます。移動の制限以外なら健常者と何も変わりはありません。それでも健常者はどうしても麻子の事をチラチラと盗み見してしまいます。何が言いたいのかといいますと、人は自分の存在価値を守るためにどうしてもマイノリティーなものを探してしまうという事です。

 健常者の数に対して障害者の数は圧倒的に少ないです。同様にヘテロの数に対してホモの数は圧倒的に少ないです。これってただ数が多い少ないだけであって、良い悪いの話は一切ありません。それでも、この違いにに対してどうしても人は優劣をつけたがるんですね。ビアンの事をレズと馬鹿にしていた深雪のクラスメイト、車椅子の麻子に対して物を投げつけたクラスメイト、障害者向けのデリヘル嬢をやっている深雪に対して蔑むような視線を注ぐ教員たち。でも彼らも心の中では分かっているんです。そうしたマイノリティーに対する気持ちが実に醜いものであるという事に。ただ自分と違うだけで彼らは何も悪くなないという事に。

 物語後半、深雪が声高らかに麻子に対する愛の告白を告げました。その瞬間、麻子のクラスメイトは歓喜の声を上げ彼女を祝福しました。同時に麻子をビアンだと馬鹿にしていた中之島が完全に孤立しました。現金と言えばそれまでですが、人を好きになるという人間として当たり前の事をしっかりと口に出した姿に共感した結果でした。自分に自信があるだけでこれだけ見える景色が変わるんですね。他人の視線なんて気にせず自分の気持ちに正直に生きる、アイデンティティの確立という事です。好きなものを好きだと言える、なんて素晴らしいことなのでしょうね。

 片輪車は自分の事を覗き見した人を襲う妖怪です。雪女は自分の正体を知られたら消えてしまう妖怪です。どちらも他人に対してすごく臆病といいますか、警戒心が強いという点で同じですね。麻子と深雪は確かに片輪車と雪女でした。最期屋上で放火騒ぎを起こした麻子とそれを庇った深雪、その時点でもう2人っきりで生きようって決めてました。片輪車と雪女らしい最後だと思いました。でも彼女たちは帰ってきました。彼女たちは人間です。妖怪ではありません。深雪は障害者向けデリヘル嬢の経験を活かして介護士になる事を夢見ました。麻子はそんな彼女を支えてあげられるよう調理師になる夢を目指しました。夢への障害は多いでしょう。ですが、そんな障害なんてあってあたりまえですね。雪女は温められると溶けるんです。きっと片輪車の炎も雪女の溶けた水で消えた事でしょう。片輪車と雪女は、本当の意味で一緒になることで人間になれたのかも知れませんね。ありがとうございました。


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