M.M I AM




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 7 - 80 2〜3 2018/1/5
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体験版



<作り手や読み手、そんな創作に関わっている世の中全ての方に読んで考えて頂きたい作品です。>

 この「I AM」は同人ゲームサークルである「人工心象」で制作されたビジュアルノベルです。人工心象さんの作品をプレイしたのは今作が初めてでして、切っ掛けはC93で島サークルを回った事です。私の話ですが、C93からは意識的に体験版の購入を控える事にしました。私は体験版を購入してその内容を元に完成版を購入するというプロセスを踏みません。これまでは体験版でもお布施で購入しておりましたが、いい加減数が増えすぎてしまいますのでやめにしております。その分完成版の方は積極的に買うようにしました。今回レビューしている「I AM」もそんな完成版なタイトルの1つです。夕焼けを思わせるオレンジ色の背景に「I AM」というタイトルだけが記載された非常にシンプルなパッケージです。情報も何もなく、どのようなシナリオなのか想像つきません。だからこそ、逆に想像力を掻き立てられやる気が溢れてきます。先入観なしでありのままにテキストを読もうと思いプレイし始めました。

 主人公である伏見誠は文芸部に所属する高校2年生です。伏見は孤独を愛しております。それは決して人間嫌いが煩わしいとか過去に辛い経験をしたとかいう後ろめたい理由ではなく、積極的に孤独を愛しているのです。この作品のタイトルにもなっている「I AM」、これはイギリスの詩人であるジョン・クレアの作品であり、伏見はこの作品のテーマである孤独を貫くという内容を非常にリスペクトしております。ですが、そんな文芸部に新入部員が2人増えました。網野凛と園部優美です。そして生徒会から伏見はこの2人の面倒をしっかり見るようにと命令されます。孤独を愛する伏見にとって非常に重荷になる2人の存在。彼の孤独を愛する気持ちはどうなるのでしょうか。

 この作品が作り出す雰囲気、それはとても静かで穏やかなものです。主人公である伏見が孤独を愛するという点もそうですが、本が好きで博識である伏見からは様々な言葉が登場します。それは物語を紡ぎ私たちプレイヤーに紹介するかのようです。重荷になっていながら、なんだかんだで先輩が出来ているのです。そして、そんな文芸部らしい穏やかな日常はピアノを中心としたBGMでも彩られます。背景や人物絵はフリー素材ですしBGMも素材ではありますが、テキストとマッチするように選択された曲はそのどれもが雰囲気に合っており作品を彩っていきます。孤高を愛するという、ある意味マジョリティに反する伏見の行動に高貴さを印象付けるのです。

 そしてこの作品が伝えたい事は様々ありました。まずは孤独について。これは公式HPでも書いてあります通り主人公のキャラクターに直接関わってきますので分かり易いです。私はこれを表のテーマとしました。そして、ここで表のテーマと書きましたので、裏のテーマもあると考えました。裏のテーマは創作論です。この作品の中で、伏見はI AMという詩を自分なりに解釈しそのテーマを汲み取るという行動をしております。これは、言ってしまえば私がビジュアルノベルをプレイしそれをレビューするのと同じ行為です。作者の心理、受け手の心理、その駆け引きと葛藤も見る事が出来ました。どちらも表現物を作られている方、創作活動を行っている方にとって無視する事が出来ない事柄であると思います。製作者とプレイヤー、その両者に是非読んで頂きたいです。

 プレイ時間は私で2時間30分くらいでした。この作品には選択肢が存在します。そして正しく選択肢を選んでいかないと最後のEDにたどり着かないでしょう。それだけ意味のある選択肢であり、作品を注意深く読み進めていけば誰でもたどり着けるものです。プレイヤーを誘導しようとしておきながら、むしろ最後のEDにたどり着いて欲しいという願いすら感じるものでした。読み進めていくに連れ明らかになる真実にきっと心を奪われると思います。気が付けば2時間30分経過していた、そんな感覚を味わってみてください。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<自分の作品を誰かキャッチしてそれを語りだす。それは、孤独が孤独でなくなる瞬間。>

 再び私の話ですが、C93の開催中は3日間ともお知り合いの方や創作に関わっているかたと長時間お話させて頂く機会に恵まれました。それはビジュアルノベルのプレイヤーであり、製作者であり、また同人誌を書かれている方と様々でした。そして、全ての会合の中での共通の意見として「製作者は孤独」という事が挙げられました。そんな孤独を晴らすには、同業者と会う事とそして自分の作品が誰かの手に渡ってその人の中に取り込まれる事であると話されておりました。創作は基本的に孤独である、だからこそ誰かと繋がった時の喜びは計り知れない。まるでこの作品の中の伏見の様だと思いました。

 この作品は「孤独は寂しいよ」という事を訴えた作品でしょうか?それとも「人は本質的に孤独を乗り越えられる」という事を訴えた作品でしょうか?確かに物語途中、伏見は宇多野から「孤独なんて止めようよ」と言われました。そして伏見自身もまた最後には「自分に孤独は必要ない」と気持ちを新たにしました。ですが、私はそのどちらも作品のテーマとして十分ではないと思っております。伏見やこの作品の登場人物から学ぶこと、それは自分の居場所を見つけた人は強いという事だと思っております。

 真伏琴美は些細な切っ掛けからいじめの対象になってしまいました。始めは小さな事柄でしたが、次第にエスカレートしていきそれはクラス全体に伝播してしまいました。先生も見て見ぬ振り、両親にも言えない、心の拠り所は猫のみ、傍から見て孤独という言葉がピッタリと当てはまります。ですが琴美は孤独なんて望んでませんでした。もし叶うのなら皆と楽しく過ごしたい、そう思っておりました。ですが叶いませんでした。唯一の拠り所である猫も殺されてしまいました。だから琴美は自分と世界の間に壁を作りました。何も感じない振りをしました。そうして、自ら孤独になる事でいじめを克服しようとしたのです。

 ですがその方法は間違っておりました。作中でも言っておりましたが、自分の生き方を自分が否定する事は生きているとは言えません。後ろ向きに孤独になる事、それは自分自信が孤独になる事を望んでいない証拠です。大切なのは、誰に見捨てられても自分だけはその生き方を肯定しなければいけないという事です。これがウィトゲンシュタインの言う幸福な生の実践でした。その後琴美は転校する決意をします。少なくともこの学校では自分の幸福は達成できそうにありませんので、潔く転校の選択を取りました。これは逃げとは違います。まあ、逃げても良いんですけどね。琴美が自分で選択した事、それが尊い事だと思いました。

 さて、それでは伏見はどうだったのでしょうか?伏見は自ら望んで孤独になり孤独を愛しておりました。ですがそれは本当だったのでしょうか?そうではありませんでした。伏見はI AMのテーマを無意識に孤高になる事の尊さだと考えておりました。ですが、伏見は何故かI AMを訳した時の記憶を持っておりません。これって、恐らく自分は孤独を愛してるんだという思い込みがあったからだと思っております。I AMは孤高になる事の貴さを書いているんだ、という願望があったのだと思います。だからこそ、単語の本質的な意味から目を逸らしてしまったのです。目を逸らさせたのは凛、伏見を絶対に肯定してくれる存在でした。

 作中で琴美の存在はアウフヘーベンであると言っておりました。この解釈は人によって分かれると思いますが、私は凛の行動そのものがアウフヘーベンだと思いました。凛は一人で本を読む事を好んでいた伏見に突然現れ、優美と共に伏見とお話しあう日常を演出しました。まさに孤独の反対です。ですが、同時に凛は伏見がI AMの本質に迫ろうとする事を拒みました。まさに孤高そのものです。そんな対立する2つの要素を重ね合わせ統一する、これが凛の役割でした。自分は孤独でないこともない。それに気付けた時、それが伏見が前に進み出す時でもありました。孤独は寂しい、孤独を乗り越えられる。これらは孤独の一方の側面しか見ておりません。裏も表も、両方に触れる事でようやく伏見は孤独から一つ上のスケールにたどり着けたのかなと思っております。

 最後にネタバレ無しで書いた裏のテーマについても触れておきます。伏見達は文芸部の中で優美や凛と好きな作品について語り合っておりました。銀河鉄道の夜や注文の多い料理店の解釈を議論したり、お互いに訳した英詩を評価し合ったりしました。これは本当にレビュアー間の会話そのものです。そうして作品は読み手の物となり、新たな世界を作り出すのだと思います。もしこのような論談で誰かが救われるのであれば、私は幾らでも行いましょう。ここで書いているレビューのように、またプレイヤーの方々との対話のように、幾らでも作品について語り合います。孤独てもいいと思います。それでも孤独になりたくないと思ったのであれば、是非外に何かしらの形で発信し続けてください。辛くても発信し続けてください。必ずや、私はキャッチしますので。そうして作品が広がっていく、孤独が孤独でなくなっていく、そうなったら良いなと思いました。ありがとうございました。


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