M.M 百鬼社中




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 7 8 78 3〜4 2017/3/20
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<積み木を積み重ねるような展開と出典を重視したテキストが活動漫画屋さんらしい魅力ですね。>

 この「百鬼社中」は同人サークルである「活動漫画屋」で制作されたビジュアルノベルです。「活動漫画屋」さんの作品はこれまでも「柊鰯」、「あまいしる」、「よつどもえ」をプレイさせて頂き、実際に小説を読んでいるかのような縦書きの描写と出典を丁寧に説明するテキストが印象に残っております。大きなうねりは無くても場面場面をしっかりと説明してシナリオを進めていく、まるで積み木を積み重ねるかのような作り込みが魅力ですね。今回レビューしている「百鬼社中」は、過去にプレイした3作よりも過去作です。それでも私の持っている活動漫画屋さんのイメージそのままであり、幾つもの実績の結果として今の雰囲気を作っているのだなと思いました。

 主人公である野田充は人には言えない秘密がありました。彼は算置きによって物事を解き伏せる事が出来るのです。算置きとは、中世時代から日本に存在した占いの手法です。算木と呼ばれる計算用具を用いて与えられた情報を元に算木を組み立てる様子から「算木を置く」→「算を置く」→「算置き」として言葉が生まれました。そのような歴史から、中世時代はそれこそ魔法の様な存在として人々に親しまれ陰陽道の系譜でなければ扱えないものとしての地位を持っておりました。ですが時代が過ぎ算置きは徐々に興業的なものへと変化していき、もはや占い程度の認識しか持たれなくなりました。ですが野田充の行う算置きは物事をピタリと言い当てることが出来るのです。その理由は、野田充に異能の力が生まれてしまったからです。

 タイトルにある百鬼社中とは、物語に登場する伊勢大神楽の社中たちの事を示します。彼らは昼間に家々を周り、神楽というお祓いと言祝を行ないます。その様子は陽気な獅子舞や天狗、太鼓のリズムなどもあり大道芸として人々に親しまれておりました。ですが夜になるとその意味は一変します。文字通り百鬼夜行を祓う為の存在として街を回るのです。百鬼夜行は妖怪の類。当然人ならざる異能を持っております。ですがそれに対抗する彼らもまた異能を持っているのです。この作品は異能を持ったが故に少なからず人生を歪められた野田充を始めとした百鬼社中の人間模様を描いた物語であり、百鬼社中として生きる事の意味を一人一人が考える物語となっております。

 異能が登場するという前情報から命の削り合いや辛辣な言い合いなどが展開される波風が強い作品と思っておりました。ですが実際にプレイしてみて、そのような様子は殆ど存在せずむしろコミカルな場面が印象に残りました。それも単に登場人物たちの陽気さと活動漫画屋さんの組み立てるようなシナリオ展開によるものだと思っております。百鬼社中のメンバーは確かに異能を持っておりますが、基本は大道芸で人を笑わせるのが得意です。その為物事を必要以上に深刻に考えず切り替えが早いのです。加えて活動漫画屋さんお得意の出典を重視したテキストがプレイヤーの状況整理を手伝っており、シナリオを切り刻むように整理して読む事が出来ます。感情のうねりや勢いではない積み木を積み上げる様なテキストがこの作品の最大の魅力です。

 また背景描写は一部フリー素材を使っておりますが要所の場面は繊細に描かれた水彩画の様な景色を作っております。また自分で撮影された写真も使っており、今自分がどこにいるかを明確にしております。この作品、積み木のようにシナリオを消化する事が出来ますが場面転換はやや唐突です。それを背景で補ってくれます。そして音楽ですが、神楽で鳴らされる太鼓や笛といった自然音源を多用しており、BGMというよりは効果音が多い印象でした。これもまた感情のうねりをBGMに任せない活動漫画屋さんなりの拘りだと思わせます。それでもBGMの数は10以上と多く、その全てがオリジナルですので聴き応え抜群です。

 プレイ時間は私で3時間10分程度掛かりました。上でも少し書きましたが劇的な展開はそこまでなく確実にステップを踏んでいくかの様なテキストです。その為長時間プレイし続けると単調に感じてしまい飽きが来てしまうかも知れません。逆にどこでも簡単に小休止をとれるというメリットもありますので、是非自分のテンポで読み進めて頂ければと思います。そしてこの作品がテーマとして掲げている物は現代のどんどん変化していく情報化社会にこそ大切なもの。是非それを噛み締めて欲しいですね。最後までプレイした後の余韻は鳥肌ものでした。オススメです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<変わらないものなどない。それでも前に進む人を見守り「おかえり」といってくれる人がいる事の何という温かさよ。>


「毎年、同じ日に、同じ場所に、伊勢大神楽はやってくる。」


 現代社会、とりわけビジネスにおいて変化していく事は大変重要な事です。世の中の経済の変化を見極め、ニーズが求めるビジネスを展開していかなければ企業は成長していく事は出来ません。そしてそんな経済の変化は現代社会で生きる個人の生き方にそのまま直結しており、常に新しい何かを生み出そうと必死になっている雰囲気を感じさせます。成長していく事は大切ですが、どこか忙しなく落ち着きがない日々の中でふと足を止めたいと思う事もあると思います。そんな心の疲れを癒すために、百鬼社中は存在するのかなと思っております。

 百鬼社中が生業としている総舞は中世の時代から脈々を息づいてきた文化であり、変化していくものではありませんでした。和太鼓、笛、獅子舞、天狗、河童、そして算置き、そのどれもが現代社会で必須かといえば決してそんな事はなく、完全に道楽としての意味しか持ち合わせておりません。ですがその音色や雰囲気は人々を笑顔にさせてくれます。そして毎回変わらないという事が安心感を与え、長い時間を掛けて沢山の信頼を得てきました。かつでは総舞がビジネスとして社会的な意味を持っていた時代もありました。ですがそうではなくなっても生きている理由、それが変わらず継続しているという事だと思っております。

 百鬼社中には裏の目的がありました。それは自分たちの家族をバラバラにした左手子の正体を突き止め復讐するという事です。現代でも決して滅びる事なく行き続いている異能の力。むしろ滅びるどころかここ最近でも異能による事件が多発しておりました。そして野田充という新たな戦力が加わり、全ての黒幕が酒呑童子によるものだと分かり、ついに正体である北野白鷺を追い詰め目的を達成する事に成功しました。そして同時に百鬼社中は解散してしまいました。目的があり達成されるという事は変化するという事。それは確実に百鬼社中のあり方を覆すものであり、悲しい結末になった事もあり解散は必然でした。

 ですが百鬼社中は終わりませんでした。百鬼社中は異能を祓う役割として結成されました。ですが総舞により人々を楽しませる役割もまた百鬼社中の大切な姿でした。目的が達成されもはや総舞を続ける必要が無くなった百鬼社中。それを楽しみにしていた人達もまた。自然と百鬼社中の事を忘れていくのだろうと思っておりました。変わらないものがひっそりと無くなる、そして現代社会の中で風化され人々の記憶から消え去る。本当であれば百鬼社中もそうなる運命でした。ですがそうはなりませんでした。切っ掛けは東日本大震災。声を上げたのは、野田充でした。

 東日本大震災はこれまでの生活のあり方を全て変えるものでした。それは変化を望む望まないに関わらず全ての人に降りかかりました。強制的にこれまでの生活をリセットさせられたのです。誰もが新しい道を自分で歩まなければいけないのです。ですが新しい道を歩む事は大変疲れること。時に拠り所で休まないと倒れてしまいます。ですが、東日本大震災はそんな拠り所すら奪ってしまいました。見慣れた景色や大切な人は、もうそこにはいないのです。そんな被災地に鳴り響いいた和太鼓と笛の音色。毎年変わらずやってくる百鬼社中による慣れ親しんだ音色でした。

 作中で「繰り返し同じ事をやり続ける事は不滅である」と言っておりました。世の中不滅なものは決してありません。諸行無常という事です。それでも、変化しようとせず今あるものを続けていこうとする人たちの気持ちは強いものです。上でも書きましたが、長い間継続しているものに人は安心感を覚えます。ずっと続いているという事はこれからも続いていくという事、そうした信頼感があるのです。東日本大震災は不滅と思っていたものを全て変えてしまいました。世の中諸行無常である事をまざまざと見せつけてくれたのです。だからこそ、変わらないものが変わらずやってきた姿に、人は安心するのだと思います。

 エンディングで突然ボーカル曲が流れてきました。「おかえり」という曲です。哀愁漂う寂しい曲という印象でしたが、人の持つ何かを失ってもまた立ち直れる力の大きさと、そんな人におかえりと言ってくれる言葉の有り難さを表現した希望あふれる曲でした。失ったものは帰ってきません。変わらないものなどありません。それでも時間は流れますのでどこかで決断して前に進まなければいけません。百喜社中はそんな前に進む人の背中を押す存在としてきっと残り続けるのだと思います。変わらない彼らが有り続ける限り、前に進む人は彼らの「おかえり」という言葉を信じて前に進めるのだと思います。

「妖怪に復讐する百鬼社中は解散したけど、喜びを振りまく百喜社中として出直しませんか」

目的を達成し生まれ変わった百喜社中。それでもやっている事はなんら昔と変わっていない百喜社中です。彼らはその命が続く限り、いつまでも誰かに「おかえり」と言い続ける存在として残り続けるのだと思います。ありがとうございました。


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