M.M 灰に咲く




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 7 - 71 〜1 2025/11/23
作品ページ(なし) サークルページ



<効率を求め無駄を省く、現代社会が求めている事が本当に幸せに繋がるのかを考えてみて下さい。>

 この「灰に咲く」は同人ゲームサークルである「人工心象」で制作されたビジュアルノベルです。人工心象さんの作品は、過去に「I AM」「生まれたせいにして生きていく」という作品をプレイさせて頂きました。これまでプレイさせて頂いた人工心象さんの作品はどちらも「哲学」を題材としており、そこから人間というものを描いている点が印象に残っております。ただシナリオを読んで終わりではない、そこから自分自身どう生きるかを考えさせられる内容が特徴です。今回プレイしている「灰に咲く」は、私にとって約6年半振りの人工心象さんの作品となります。久しぶりにあのキレのあるテキストが読めるのかなと楽しみにプレイし始めました。

 舞台はヘルプストンという灰色の街です。ここでは個人の主張は黙殺され、街が機能的に動く事が大切という価値観が蔓延しております。如何に効率的に動くか、如何に無駄を省くか、その事を如何に突き詰められるか、それがこの街に住む人の「幸福」とされております。主人公であるアレク・ターナーは、この街で郵便配達員として仕事をしております。毎日決まった時間に起き、完璧に栄養バランスが考えられた食事をとり、決まったコースで配達を行い、そして一日が終わるのです。一切の無駄がなく効率的な行動、それが幸せの筈なのになぜか空虚な気持ちになってしまうのです。そんなアレクが配達中に、一輪の花を見つけました。それは赤いゼラニウムの花、この灰色の街にとってあまりにも異質な存在でした。この花を見つけたことが、アレクの人生にとって大きな転機となるのです。

 効率を求める事、それはもはや現代社会にとっても当たり前の価値観となっていると思っております。いわゆるタイパやコスパといった言葉が常識となり、ホワイトカラーな仕事は場所を選ばず出来るようになり、フルーカラーの仕事にはAIが搭載された最新の機械が導入されつつあります。まだまだ道半ばではありますが、確実に世界は効率的な方向に向かっているのです。同じ作業をするなら、時間が短い方が余剰時間が増えるのですからそれを求めるのは当然かもしれませんね。では、より効率的にすることで皆さんは幸せになっているでしょうか?この作品を通して、また自分自身の人生を通して、是非効率化と幸せの関係を考えてみて下さい。一度きりの人生です、効率化が自然と推し進めらる現代社会に生きる自分たちにとって避けては通れない命題だと思っております。

 この作品の魅力として、背景描写とBGMが挙げられます。背景は、灰色の街という設定そのもので当たり前ですが色がありません。そしてそれは、空など自然物にたいしても同様でした。風景に色があっても、見る人の心が曇っていれば色褪せてしまうものです。そんな人間の感情を照らした背景が印象的でした。そしてBGMは、数こそ少ないものの端的に主人公の心理描写を表現しております。むしろ、数を制限しているからこそより効果的に表現出来ているのかも知れませんね。使い方が非常に上手でした。そして、やはりテキストが一番の魅力ですね。豊富な語彙で的確に現在の状況を示しておりますし、空白や三点リーダーを使った間の取り方も絶妙です。あとは、クリックがとてもし易いんですよね。場面転換の際は余計に1クリックする必要があるのですが、それが読み飛ばす事故を防いでくれております。どこまで想定していたのか分かりませんが、自分としては大変助かりました。

 プレイ時間は私で40分くらいでした。選択肢はなく、一本道でエンディングまでたどり着く事が出来ます。灰色の街というディストピアに咲く赤いゼラニウムの花、ちゃんと統治された街であればこのような異質な存在が当たり前に存在している筈がありません。誰かがこのゼラニウムの花を育てているという事であり、それには必ず理由があります。そして、冒頭から既に問題提起はされております。効率的で無駄のない世界が幸福なのか、非効率で無駄のある世界が幸福なのか、それともどちらでもないのか、そんなことを考えながら読んで頂ければと思います。人生観に訴える素敵な作品でした。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<もしかしたら、既に自分たちはタイパやコスパの考えに染まりきっているのかも知れませんよ?>

 物語の最後、アレクが描いた絵が人々の目に触れた時にアレクは「この絵の役目は終わった!」と言いました。大切なのは、絵が残る事ではなく世の中に波紋が広がる事だと理解しました。今生きている世界に対して、思考停止になっていないか?考える事を放棄していないか?そんな事を言われた気がします。その小さなざわめきが生まれた事で、メアリーとアレクの小さな革命は成功したのです。

 歴史を振り返っても、表現の自由というものは都度脅かされてきました。国家の運営に都合の悪いものに対して、何かしら理由をつけて排除するという行為は何度も行われております。そしてそんな大きな力に個人で出来る事は何もなく、唯々粛清されるだけなのです。恐ろしいのは、そうした社会からのストレスを受けて個人個人が自分の意見をいう事を諦めてしまう事です。社会に対しての言論の自由が無くても、心の中に想いが燻っていればまだ良いと思います。ですがそれすら無くなってしまったら、もはや尊厳というものは消えてしまいます。諦めとも言えるかもしれません。そのような社会は、一部の人間の主張や考えに偏り必ず歪みを生じます。未来永劫正しいものなど存在しないのですから、様々な人の主張を汲み取るべきだと私自身としても思うんですけどね。

 ヘルプストンの街は、まさにそうした一方的な圧力が極まった世界の縮図でした。個人的な手紙のやり取りすら検閲される世界ですので、もう言葉というものが否定されたと言ってよいと思います。確かに、管理する側としては楽だと思います。争いが無い、犯罪も怒らない、平穏である、これだけ聞けば非常に良い国家に見えます。ですが、つまるところその先に何が待っているか?という事ですね。統制が取れた街を作る事が出来ました、ではそれは果たして「幸せ」なのでしょうか?管理する側にとっては「幸せ」なのでしょう、何故なら自分たちがやりたいことが出来ているからです。ですがそれは、人口の大部分を占める一般人の「幸せ」を犠牲にしたものでした。だから、アレクを始めこの街で生きる人に感情も感慨も無いのです。

 だからこそ、そのような社会に一石を投じる事が如何に尊いかを教えられました。余計な事をした自治組織に拘束される社会です、心の中に想いが燻っていても、リスクを冒してまで外に主張するのは通常であれば出来ません。ですが、それをメアリーとアレクは行いました。結果として2人は拘束されてしまいましたが、2人が残したいろは確実にそこに生きる人達の心を震わせました。あらゆる革命も活動も、1人の力で成し遂げる事は出来ません。その想いに呼応し賛同するものが集まって大きな力になってこそ、達成されるのです。メアリーとアレクは拘束されてしまいましたが、賛同者は増えました。彼らが声を上げるかは分かりませんが、メアリーとアレクの行動はその切っ掛けを作るに十分でした。エンディング直前、道に咲いた赤いゼラニウムの花がいつか大きな花畑になる事を祈らざるを得ません。これが、この作品で言いたかったことなのかなと思っております。

 さてここまで当作品のレビューを書いてきましたが、改めて見返すと非常に壮大なテーマを取り扱っていながら約40分という時間で収めている事実に驚きを隠せません。ディストピアな街の説明、ゼラニウムの花の色という素材からのシナリオ展開、革命から拘束までの展開、全てが非常に「効率的」に描かれておりました。無駄が一切ない効率的な作品、まるで現代のタイパやコスパを求める社会に沿うように作られたかのようです。これもまた計算されて作られているとしたら、現代社会や同人ビジュアルノベルに対するなんという皮肉でしょうか!皆さんは、表現物を読む時に無意識にタイパやコスパを求めていませんか?長いものよりも短いものを選んでいませんか?誰かが良いといったものを優先的に選んでいませんか?自分が心から面白そうと思ったものに触れられていますか?本筋に関係ないテキストを無駄だと思っていませんか?願わくば全ての読み手が無意識のうちにタイパやコスパの考え方に染まらない事を祈り、本レビューの締めとさせて頂きます。ありがとうございました。


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