M.M 学級日誌
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
7 | 6 | - | 79 | 3〜4 | 2018/8/4 |
作品ページ | サークルページ |
<丁寧なテキストと淡い雰囲気を印象付ける世界観の中で、精一杯生きる登場人物達からのメッセージを受け取って下さい。>
この「学級日誌」という作品は、同人サークルである「KITY」で制作されたビジュアルノベルです。KITYさんの作品をプレイするのは今作が初めてでした。手に取った切っ掛けは、コミックマーケットで同人ゲームの島サークルを周っていた時です。シンプルなタイトルに緑が一面に広がったジャケット、さぞ牧歌的で穏やかな作品なんだろうなという印象を受けました。ですが、パッケージを開けて裏側に書かれていたのは「ーーあと、どれくらい生きていくのーー」というセリフでした。この作品は何を目指しているのだろう、何をテーマにしているのだろうと逆に気になってしまいました。学級日誌に書かれたもの、それを探すたびに出て現在のレビューに至っております。
主人公である杉本涼一は、ある日西端の島にある学校へと転入してきました。その学校には学年が無く、あるのは1組と2組という2つの組だけでした。1組には、涼一を含めて全部で5人のクラスメイトしかいません。そして、そのクラスメイト達はそれぞれ何らかのほつれ(精神的・身体的な弱さ)を持っていたのです。突然発狂し性格が180度変わる人がいます。自傷行為に走る人もいます。幼児退行する人もいます。そんなまとまりのないクラスで、彼らは何を目指して生きていくのでしょうか。そして彼らがいつか学校を卒業する時、その先には何が待っているのでしょうか。人生観、幸福観、死生観に溢れたシナリオが、この西端の島の学校から始まるのです。
この作品の特徴は、小説のようであり詩的のようなテキストにあると思いました。その時その時の場面が客観的なテキストで書かれ、それを追いかけるかのように登場人物達の会話が展開されていきます。その為プレイヤーの皆さんは場面状況を丁寧に理解でき、登場人物達の心理描写に集中する事が出来ます。むしろ、この作品は登場人物の性格や習性をきっちりと確認していく事が肝要になります。彼らが持つほつれとは何か、そのほつれがもたらす死生観とは何か、それを考えていかないとどんどん登場人物だけが先に進んでいってしまうのです。時々口に出すセリフにも印象的な物が沢山あります。是非それら一つ一つを胸に刻みながら読んでみる事をオススメします。
その他の点ですが、この作品は背景・立ち絵はフリー素材を使用しております。同人ビジュアルノベルに慣れ親しんだ人であればどこかで見た事がある場面かと思います。この点については、サークルさんの忙しさもあるのでしょうが是非実際に思い描いている場面を描いて欲しかったなと思いました。テキストでかなり綿密に場面を描写しております。ですがそれは裏を返せば、背景を必要としないという事です。この作品はビジュアルノベルですので、是非背景があるという強みを活かした表現があると嬉しかったです。BGMですが、半分はフリー素材で半分はオリジナルです。そしてこのオリジナル楽曲が、まさにこの作品の雰囲気を作っていると言っても言い過ぎではありません。ピアノを中心としたBGMとなっており、それはシナリオとも組み合わさり作品全体にどこか淡い印象を与えてくれます。この西端の学校がやや現実離れしている舞台であるというイメージを沸かせ、着地点が見えにくくしております。BGMに耳をすませ、その裏側にある登場人物の声にも耳をすましてみて下さい。
プレイ時間は私で3時間20分程度でした。この作品には選択肢はありません。幾つかの章に分かれており、それぞれで副題が出ますので良い休憩のタイミングだと思います。一気に読むには割と情報量が多いですので、この章の切り替わりのタイミングでお茶でも飲みながら一息つくと良いかも知れません。人によっては、頭を掻きむしりたくなるようなシナリオが待っているかも知れません。それでも、登場人物達は全員真剣に悩み葛藤して、そして生きております。是非彼らの心の底と世界の真実を掴み、学級日誌に残した言葉を噛み締めて下さい。オススメです。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<自分に、友達に、そして人生に本気で向き合う。その軌跡は、学級日誌として確かに次代に繋がったと思います。>
自分の弱さに向き合うって、そう簡単にできる事ではないと思います。誰もが目を背けたくなると思いますし、直視してそれが解決される保証もありません。ましてや、自分の弱さと向き合う事で自分の命が脅かされるとなれば、自分だけではなく他人もまた干渉する事は無くなると思います。それでも、彼らはクラスメイトだから一緒に生きる道を選んだんですね。自分の命を顧みず弱さと向き合う、彼らの意志は間違いなく次の世代へ繋がったと思っております。
最後までプレイして1つ疑問がありました。MOD患者は、MODだから精神的な弱さを持ってしまったのでしょうか?それとも、精神的に弱いものに敏感になってしまったからMODになってしまったのでしょうか?悲しいのは、それを確かめる方法が無いという事で。MODは、発症したらそのまま自分の命を脅かす者です。試しに実験してみようかという事が出来ないのです。自分がいくらMODだと診断されでも、それを簡単に受け入れる事は出来ないと思います。かといって、それが間違いかどうかを確かめる術もないのです。こんなジレンマ、自分だったら抱えるだけで頭がいっぱいになってしまいます。そんなありもしないかもしれない疾患に怯えて生活する、果たしてそこに生きる意味はあるのでしょうか。
特に主人公である杉本涼一は深刻でした。他のクラスメイトは仮発症という段階を踏みますので、最悪死ぬ事は免れます。ですが涼一はそれが無いのです。発症したらもう終わり、一発アウトです。だからこそ、涼一には知らされてなかったのかも知れませんね。自分がMOD患者であるという事、この西端の学校の存在意義、そして自分達の大凡想像できる末路。逆に、涼一はこれらの事を知らされていなかったからこそ、物事に本気で取り組めたのかも知れません。本気で取り組む、これもまたこの作品を語るうえで欠かせない要素でした。
第二章で初めて缶けりをやるとき、中司航は「後がありません、本気でやりつくしましょう」と言いました。また、双葉若菜は「思い出すと、嬉しくなるような時間は、大事……」と言っておりました。このどちらのセリフも、物事に本気で取り組んだからこそ出てくるものです。何となく日々漫然と過ごす、見たくないものから目を背けて過ごす、そのような日々に大切なものは無いのかも知れません。勿論、彼らはMODですのでそうした本気になれない事を責めることは出来ません。だからこそ、MODに関係無さそうな事については本気で取り組むのです。双葉若菜の紙芝居もまた、そうした本気の行動の1つだったように思えます。
涼一は保険医である坂本先生に「この島の人間は、人にきちんと説明するという習慣が足りない」と言いました。これこそが、この島に連れてこられるMOD患者を束縛し、また守るものでありました。人にきちんと説明すると、心の弱い部分に触れる可能性があるのです。そうであるのなら、きちんと説明する必要なんてありません。そこに踏み込んだ涼一、この事が学級日誌を完成される切っ掛けになりました。第二章の缶けりとは根本的に目的が違う第五章の缶けり。その結果から、涼一は若菜の願いを叶えようと決意しました。そして、そんな軌跡を一ページ一ページしっかりと学級日誌に記述していったのです。MODに本気で向き合い、そして命を散らした人達の生きた軌跡です。涼一は、自分の命を引き換えに未来のMOD患者へメッセージを残したんですね。
正直、細かい設定まで説明出来るかと言えば自信がある訳ではありません。それでも、彼ら5人が余命短い中で必死に生きる意味に向き合った事は伝わりました。表題となっている「ーーあと、どれくらい生きていくのーー」という質問、これの答えはきっと「生きれるまで生きる」なのだと思います。最終章でクラスメイトが浮かべた生き終えることを全うした笑顔、これが答えを如実に示しておりました。そして、これからMODを発症してしまう全ての人間が、この学級日誌を参考にせめて末期間違いだけは犯さないように願うばかりです。人生を本気で生きる事の意味と大切さを教えて頂きました。ありがとうございました。