M.M デイグラシアの羅針盤


<是非深海での恐怖とそれに抗う登場人物たちの姿を肌で感じてください。そして最後まで見届けて下さい。>


(2014/12/22 作成)


 この「デイグラシアの羅針盤」という作品は同人サークルである「カタリスト」で制作されたビジュアルノベルです。カタリストさんに初めて出会ったのはC86で同人ゲームサークルを回っている時でして、深海をテーマにした設定とサスペンスというジャンルに否応なくときめいた事が印象に残っております。C86の後は暫くは他のビジュアルノベルをプレイしていたのですが、ネットやSNS等の中で徐々に「デイグラシアの羅針盤」をプレイした記事が確認できまして、どうやらかなり読み応えのある作品である事が伝わってきました。C87も始まりますし、まずは年内にプレイしてみようと思い今回のレビューに至っております。感想ですが、深海という極限の環境で起こる様々な出来事にドキドキし、そんな環境で混乱し変化していく登場人物達の人間模様が大変面白かったです。

 この作品はその性質上ネタバレ無しでは多くを語ることは出来ません。あらすじについては是非公式HPに書かれている情報のみを持ってプレイして頂きたいです。サスペンスの楽しみ方はそれぞれの情報を的確なタイミングで開示してそのタイミングの都度考察する事にあると思っております。この作品はそんなサスペンスの醍醐味を十二分に持ち合わせており、徐々に明らかになっていく事実とそれによって新たに生まれる謎のバランスが絶妙です。私は普段ビジュアルノベルをプレイするときはメモを取るようにしているのですが、この作品については是非全ての方に気になる点をメモしながら読んで頂きキーポイントで一度振り返るという事をして欲しいですね。

 最大の魅力は深海という極限状態とそこで変化する状況に耐えられなくなりながらも懸命に脱出を模索する登場人物の描写ですね。現代の最新の技術力を搭載して完成した深海遊覧船、その処女航海で謎のトラブルで沈没してしまってはパニックになるのは間違いないですね。そして深海という環境は未だに謎を多く秘めた場所です。太陽の光が決して届かない暗闇の世界です。謎の深海生物がいるかも知れませんし想像を超える水圧と気温がトラブルを加速させるかも知れません。それでも何もしなければ唯死ぬだけです。絶望的な状況でもそれぞれの持ち味を生かして懸命に生きようとする描写がとても印象的でした。登場人物のキャラクターを大切にしている事が伝わりました。

 そしてビジュアルやBGM、システム回りについても大変時間をかけている事が伝わります。深海という世界の描写や深海遊覧船内の機械的な背景など臨場感にあふれており、私もその場にいるかのように思いました。そしてBGMは深海らしい透明感あふれるもの、圧倒的に不安を煽るものが良い効果を生み出しておりましたが、コミカルな場面ではガラっとその印象を変え場面転換を演出してくれます。プレイ後はBGMモードが解禁されますが、改めてじっくりと聴きたくなると思います。そしてシステム回りはプレイヤーにストレスなく読ませてくれる事を一番に考えていることが伝わりました。それはヌルヌル動くという事だけではなく、今登場人物たちがどこにいるのかが一目で分かるのです。初めてプレイする方には全容がわかっていない深海遊覧船という事で、自分がどのエリアの何階にいるかが常に表示されております。是非この位置情報も活用して物語の真相に迫って欲しいですね。

 プレイ時間は私で約10時間掛かりました。この作品は5〜10分程度の感覚で章が分かれており、一休みを置くタイミングが図りやすくなっております。まあ、謎だらけの深海での出来事にクリックする手が止まるとはそうそう思えませんね。私も2〜3時間くらいは一直線に休むことなくプレイしてました。後は情報が多すぎてオーバーヒートしそうになったら長めの休憩を取ることも良いかもしれません。私がそうでしたが、一日単位で間を開けでそれまでの出来事を整理してリスタートしてました。それなりに効果があったと思っております。

 そして最後に、この作品には正解がありません。どういう意味かは最後までプレイすれば自ずと分かると思います。大事なことはプレイヤー一人一人が納得したものを腹に持つことです。きっとこれはこういう事なんだろうなという自分だけの結論を是非持ってください。それが持てずモヤモヤしたままでしたら、是非何度でもプレイして情報を精査して欲しいですね。それだけの魅力がこの作品にはあります。是非この「デイグラシアの羅針盤」の全てを剥がして欲しいですね。


(2015/11/14 追記)


 上記のレビューを書いた後に知ったのですが、C86で発表された「デイグラシアの羅針盤」はまだ全容ではなく<本編+α>版でありました。デイグラシアの羅針盤という作品の全てを記述していたという事ではなかったのです。そしてC86から1年後のC88でついに完成版がお披露目となり、あれだけ私をモヤモヤさせた作品という事で是非その後の展開が読みたくて早速プレイさせて頂きました。

 C86で発表された<本編+α>版でも十分に深海という未知への恐怖とそれに対して懸命に脱出を模索する登場人物達の姿を感じましたが、それ以上に数多くの伏線と残された謎に悶々とした事の方が印象的であったろうと思います。それこそ「正解のないノベルゲーム」と銘打っただけの事があります。私もメモを取りながらプレイさせて頂き、ネタバレ有りで自分なりの回答を書かせて頂きました。もちろん正解はありませんので答えもないのですが、自分なりの回答を用意できる事がこの作品に対する正解なのだと思います。そして今回発表された完全版ですが、しっかりと解答を用意してくれました。自分が想像した回答は正しかったのか、そしてそれを踏まえてこの物語のゴールは何処へ向かうのか、とにかく結末が見たくてクリックする手を早めました。

 トータルのプレイ時間は私で約18時間でした。改めて<本編+α>版分を読み直して9時間30分。そこから完全版分を読んで8時間30分という配分です。まさか<本編+α>版と同等のテキスト量が待っているとは思いませんでした。それでもこの追加エピソードはこのデイグラシアの羅針盤という作品を語る上で必ず読まなければいけない要素です。解答が用意されているだけではなく、深海で戦った彼らの結末を見届けられるのです。これを見届けるのはプレイヤーの義務。<本編+α>版をプレイされた方は勿論、初めてプレイされる方も是非最後まで彼らの頑張りを見届けてください。そしてその際は是非自分も一緒に深海にいる気持ちでプレイするのが良いですね。最高峰のシナリオとトリックを是非お楽しみ下さい。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<生物は、ただ生きているだけで尊いのです。>


(2014/12/22 作成)


※このネタバレ有りのレビューは<本編+α>版をプレイしての内容となっております。


 ネタバレ無しでも書きましたが、最後の最後まで結末が見えない物語にドキドキしながら読み進めることが出来ました。そして最後のムービー、生存者リストの名前を見て「西芳寺ときわ」の名前があったときは思わず「はっ!?」って声が出てしまいましたね。犠牲者は出ましたけどそれぞれが死力を尽くして深海からの脱出を目指した物語、その着地点がこのような形になるなんて思いもしませんでした。という訳で以下この作品の私なりの考察と感想について徒然なく書こうと思います。

 結局最後まで語られることのなかった<アリス>という存在ですが、恐らくこれは光理の事なのかなと思っております。<アリス>と<COOS>は間違いなく密接な関係があり、<アリス>は<SHEEPIII>の中にいる事が語られております。そのような重要人物でありながら物語後半ではもはや意味を持たなくなっていた<アリス>、これらの点から勝手に<アリス>=光理と仮定してみました。では<アリス>とは何者なのでしょうか。光理という存在は何なのでしょうか。光理は沈没した際に深海鮫に食われております。そしてそれは偶然にも捕獲ユニットで捕まえた魚の胃袋に指として残っておりました(マリアの指)。気になったのは<COOS>が猛威を振るいだしたのはこの時からだという事です。<COOS>は宿主のDNAに情報を埋め込む細菌です。きっと光理は初めから<COOS>のキャリアだったのでしょうね。それが光理→深海鮫→魚→<SHEEPIII>の中と伝わったのだと思っております。もちろん海水にも<COOS>はいたのでしょうが、それ以上に魚が大きなトリガーだったのだと思います。

 そしてそんな仮説から勝手に導き出した<アリス>という存在の答え、それはきっと<COOS>に抗体を持つ存在ですね。全ての生物にとって脅威である<COOS>、それに抗体を持てる存在はもはや<アリス>として崇められるだけの価値があります。まだまだ研究段階であった<COOS>の存在、ましてやそれに抗体のある<アリス>という存在はROMLESにとって何としても保護するべき存在だったのだと思います。航海開始冒頭、ROMLESの集団がやってきたのはこの為ですね。始めから目的は光理の確保だったのだろうと思います。ほかの乗客なんてどうでも良かったんです。だからこそむしろROMLES自身が意図的に内部からディスプレイを破壊したのかも知れませんね。通常の沈没やメタンハイドレートでは絶対に割れないディスプレイです。人の手で意図的に割ったとしか思えません。だとしたら、何と無慈悲で酷い事なのでしょうね。

 それでも生き残ってしまった人がいました。それが片桐一瀬と百井縁でした。ですがきっと片桐一瀬は地上に戻った瞬間<COOS>に食われたのだと思います。地上に居る”彼”にあった連絡通りに<風の島>に4:00に2人は帰ってきました。ですがその直後、片桐一瀬の体は光に包まれました。これは間違いなく<COOS>の光、きっと一瀬もときわを地上に送り出したあと何らかの経路から<COOS>に感染したのだと思います。真の生還者は百井縁唯1人、それは最後の最後に語られた一文「また、あなただけが生き残った」からもユニークです。

 そしてこの一文の主語は誰なのでしょうか。私がこの作品を読んでいてずっと心に抱えていた最大の疑問、それは片桐一瀬の姉である一葉は結局どうなったのかという事でした。思えば冒頭”彼”に情報を送ったのは誰なのでしょうか。通信機器が完全に破壊されたのにも関わらず情報送ることが出来る存在なんて居るのでしょうか。恐らくこれが一葉なのだろうなと思っております。物語の中で時々何度も登場した一瀬の独り言である「POLの声に聞き覚えがある」、これはきっと一葉の声ですね。一葉は確かに7年前に死んだのかも知れませんが、その意志はずっと残り続けました。もしかしたら<COOS>の力でずっと深海に残っていたかもしれません。<COOS>は種を進化させることができます。人一人の意志くらいDNAの中に組み込めるのかも知れません。「見えたよ、真夏の雪」、書いたのは間違いなく一葉、しかもそれは<COOS>によって進化した一葉かも知れません。そして冒頭”彼”に情報を送り続けたのはPOLとなった一葉ですね。通信機器が壊れた状態で、地上に情報を送れるのはもはや<SHEEPIII>しかいませんからね。「また、あなただけが生き残った」、またとは第四の日の事、あなたとは一緒に搭乗した縁ですね。

 思えば冒頭光理は誰かを探していました。その相手はてっきり灯理だと思ってましたが違ってました。改めて読み返して気がついたのですが、光理と一瀬が話をした後に誰かを探すと言って光理はロビーを離れました。もしその誰かが灯理だったらこんなセリフを言いません。そして停電後にバッタリあった光理は「姉を知りませんか」と言いました。この姉は灯理ではない誰かですね。では誰なのでしょうか。光理は<COOS>のキャリアです。そして第四の日に一葉は<COOS>によって進化しております。光理にとって、そんな一葉は血は繋がってなくても<COOS>として見れば姉妹なのかも知れません。初めて光理と一瀬が会ったときに姉と言った存在はきっとPOLですね。今の自分という存在を作った張本人である一葉に会うこと、それが光理の目的だったのかもしれません。

 一葉は一瀬にブローチを渡しました。そのブローチに組み込まれていたのはフローリン銀貨、書かれていない文字は「DEI GRATIA」、タイトルにある「デイグラシアの羅針盤」とは、文字通り一葉の意志そのものだったのだと思います。書かれていない「DEI GRATIA」を求め、羅針盤に従って行動することで縁だけ生き残ることが出来ました。ですがこんな結末、一葉は望んでなかったのだと思っております。「また、あなただけが生き残った」、私には一葉の憎しみを感じました。本当に生き残って欲しかったのは一瀬でしょうし、縁には寧ろ生き残ったことを恨んでいる事も想像できます。最愛の一瀬が死に<COOS>の光が地上で放たれました。もう<アリス>もいません。きっとこの後は一葉の叶えられなかった意志が世界を覆うのでしょうね。どれだけ覆ってももう一瀬は帰ってこないのに。

 という訳で細かいところではまだ謎が残っておりますが、これが私の中での結論です。正解はありませんので色々とツッコミどころ満載でしょうが、そこは是非温かい目で見ていただければと思います。そしてこのような膨大な設定によって描きたかったテーマはときわのセリフにあった「生物は、ただ生きているだけで尊いのです」だと思いました。一葉と縁が地上に帰って来れた最大の功労者は間違いなくときわです。彼女の一貫した信念が全員を動かし状況を一つずつ解決してくれました。それは科学者だからこそ持っていた論理的思考と生物に対する価値観、誰が悪いとかそんな事は無かったのですね。確かに<COOS>は驚異ですが、<COOS>も生き物ですからね。きっと痛いときは痛いし嬉しい時は嬉しいのだと思います。それはときわだからこそ持つことが出来た想い、もしかしたらときわの目には<COOS>の感情が見えていたのかも知れませんね。今となってはその真実は海の中、それでも生命は尊いと思い続けたときわの想いはきっと残り続けるのだと思います。

 まとまらなくなりそうですのでこの辺りで失礼しようと思います。膨大な設定でありながら綿密に描かれたシナリオはプレイヤーをのめり込ませ、一緒に深海の中に溶け込んだかのような印象を覚えました。加えて登場人物一人一人のキャラクターを大切にしその時その時で行動するであろう描写がリアルで、大変感情移入することが出来ました。細部にまでプレイヤーを飽きさせない工夫が施されており、きっと製作者の思いもそれぞれのプレイヤーの中に残り続けるのだと思います。ありがとうございました。


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以下は更なるネタバレです。
完全版をプレイされた方のみサポートしておりますので、見たくない方は避難して下さい。








































<生き残ってしまったものは生きなければならない。その意思は贖罪をもって引き継がれる。>


(2015/11/14 作成)


 <本編+α>版をプレイし直して、まず私が行った事はゴールを何処に持っていくのかを考える事でした。自分と百井縁しか生き残ることができなかった結末、ですが片桐一葉はそんな結論を望んではおりませんでした。彼が望んだのは「全員での帰還」。この時私は思いました。ここで言っている全員とは誰なのかと。片瀬一葉、百井縁に加え、野村灯理、野村黎理、西芳寺ときわ、柊乃蒼佑を加えた6人でしょうか?それともこれにリュミエール=光理(仮)を加えた7人でしょうか?それともこれに更に姉である片桐一瀬を加えた8人でしょうか?それとも<SHEEPIII>に同乗した50人全員でしょうか?結果として50人全員を生存させる事は出来ませんでした。それは片岡一葉のみならず、それぞれが自分の信じた行動をとった結果でした。誰か1人が悪いという事ではないのです。ただ、そこには結果が転がっているだけ。だからこそ、自分が50人を殺したと少しでも思うのであれば生きなければいけないのです。最終的に姉である片桐一瀬を含めた8人が死ななかったのは変えられない結末。これが自然の摂理。そして彼らがこれを贖罪を持って受け入れなければいけないのだと思いました。

 まず初めに、上で書いた<本編+α>版ネタバレ有りの答え合わせを簡単にしたいと思います。まず<COOS>のトリガーですがこの昏間湾全体の海水が原因でした。光理とか深海鮫とかそんな個別の要素だけが原因ではありませんでした。それでも<アリス>が<COOS>の抗体というのは割と良い線いってたんじゃないかと思います。事実<アリス>と<COOS>は真逆の特性を持ってましたので、抗体としての効果もありますからね。そして一瀬は生きてました。ですがそれは<COOS>に生かされた訳ではなく、ROMLESに隔離された形でした。それでも彼女の行動が結果として光理を助けることとなり、最終的に彼ら全員を助ける切っ掛けになりました。そしてまさか光理の姉がときわだとは思いませんでした。光理の姉は<アリス>や<COOS>などを総称した象徴的な存在かと思ってました。これにはちょっと鳥肌立ちましたね。皆さん驚いたのではないかと思います。

 それでは、ここからは完全版をプレイし終わって私が感じた事を書こうと思います。最後全員で帰還出来たのは、SHEEPIIIにいた全員が些細な変化も見落とさず全ての真実を明らかにしてきたからだと思いました。初めは縁や黎理を中心に誰もが自分の腹の中を曝け出すことをせず、自分が目指すべき目的に自分だけで向かってました。結果その想いは迷走し、最終的には片瀬一葉と百井縁のみが生き残る結末となりました。ですが自分だけの目的に向かってしまったのには理由がありました。それは全員が何らかの形で罪の意識を持っていた事、そしてそれに対する贖罪の気持ちがどこか自暴自棄にさせてしまった事にあるのだろうと思います。そして私が、この贖罪するという事がこの作品で最も言いたかった事なのではないかと思っております。

 地球が誕生して46億年。そこから今日に至るまで様々な生物が登場しそして消えて行きました。それは偶然も多少あったかも知れませんが全て自然の摂理、なるべくしてなった結果でした。そしてその結果に対して、消えていった生物は言わば負け組であり誰も彼らを省みることはありません。多様な生態系の中からその時の環境に適したもののみが生き残る、何も不思議な事ではないですし決して間違った事ではないのです。ですが、そんな失われた生物を省みることが出来る生物がいました。それが私たち人間です。

 自殺をする生物は人間しかいないという話を聞いた事があります。弱肉強食の世界の中で、あえて自ら命を落とすなど自然の摂理に反しているとしか思えません。ではなぜ人は自殺するのでしょうか。思うに、それもまた自然の摂理なのではないかと思います。作中でも最後「みんな生き残ってしまったものばかり、だから生きなければならない」というセリフがありました。普通に考えれば、生きなければいけない事に理由なんて必要ありません。生きて種を残す事は当たり前の事だからです。ですが、人間は生きる事に理由をつけております。これは変な事なのでしょうか。私は思いました。人間はきっと、理由をつけて生きるから食物連鎖の頂点に立っているのだと。

 作中、水族館で飼われた生き物は野生の生き物と比べて寿命が短いと言ってました。理由は自由がないからです。ですがそれは本当でしょうか?自由がある代わりに危険もあります。危険がない方が長生きできる気はしませんか?ですが真実はそうではありませんでした。危険がないという事は生きようとしなくても生きれるという事、それってきっと生きる事への意味を失うという事なんだろうと思います。生きると生かされるは天と地の違いがあります。生かされるということはただ死んでないということ。きっとそれって「生きてる」って言わないのだと思います。何もしなくても心臓が動いて呼吸ができてご飯もあって怪我もしない。そして気が付いたら死んでいる。そこに特別何も違いはないのです。

 では人間はどのようにして生きる方法を獲得したのでしょうか。それがきっと生きる理由を見つけることなんだろうと思います。作中で「人間は世界でいちばんやさしい生き物だから」という記述があります。やさしいが故に苦しみも多く感じる生き物です。だからなのでしょうね。自分の行動で他者が死んだら、自分も死ななければいけないと思うのは。生きる理由よりも死ぬ理由を見つける方がはるかに楽です。そしてそれはきっと水族館に飼われた魚と同じ。苦しくても死者の事を思って生きなければいけない、そう思えた人間がきっと後世に子孫を残せるのです。全ては結果なのです。自分が最善を尽くしても人は死んでしまいます。取り返しのつかない結果になってしまいます。ですがそれでもそれが結果。後はその重みに耐えて受け入れて、それでも前を向いて生きるしかないのです。これが人間の生きる方法。やさしいからこそ苦しい、そこに生きる理由があるのです。

 メアリー・セレストは羅針盤を失いました。それは船にとっての生きる方法を失ったという事。結果としてメアリー・セレストの乗組員の殆どは命を落としてしまいました。ですがデイ・グラシアの羅針盤がそんなメアリー・セレストを見つけ出しました。それでもデイ・グラシアは後悔しておりました。もっと早く見つけることが出来れば、メアリー・セレストの乗組員は死ななくても済んだかも知れないと。それはまるでSHEEPIIIで死んでしまった50人と生き残った7人のよう。苦しい結末。それでも生きなければいけない。それが羅針盤をもった船の使命。生き残ってしまったものは生きなければならない。その意思は贖罪をもって引き継がれる。この作品は、そんな自然の摂理を描いた物語なのだろうなと思いました。ありがとうございました。


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