M.M ボクはともだち。I am not sweetheart.




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 6 7 79 20〜23 2016/1/7
作品ページ(R-18注意) サークルページ



<日々の学園生活の中から”友達”役としての振る舞いや苦悩をじっくり味わって欲しいですね>

 この「ボクはともだち。I am not sweetheart.」は同人サークルである「はとのす式製作所」で制作されたビジュアルノベルです。はとのす式製作所さんについては実は何度か名前を見た事がありまして、今回レビューしている「ボクはともだち。I am not sweetheart.」についても存じておりました。これまで何本か体験版を出されておりましたが、C88でいよいよ製品版が出されたという事でずっと楽しみにしておりました。主人公がいわゆる「ビジュアルノベルの”友達”役」という今までありそうでなかったプロットがとても印象的で、果たしてどのようなシナリオになるのか期待してプレイし始めました。

 主人公である友近達也は、いわゆるビジュアルノベルの”友達”役として自分の周りにいる”主人公”役の男の子を助ける学園生活を送っております。達也には神様に縛られた幾つかのルールが存在しておりました。それは自分は”友達”役だから決して”ヒロイン”役の女の子と結ばれることはない、自分は”友達”役だから”主人公”と”ヒロイン”の恋路をサポートしなければならない、とまさにビジュアルノベルの脇役。自分が物語の主人公であれば決して目をかけない存在です。何故友近達也は”友達”役を演じなければいけないのか、そしてそんな友近達也の本当の気持ちはどうなのかを想像しながらプレイして欲しいですね。そしてそんな友近達也の元に現れた1人の女の子、彼女の発した言葉から物語が動いていきます。

 最大の魅力はやはり主人公友近達也の徹底した”友達”役っぷりとその合間に見せる素顔のギャップですね。物語開始、友近達也はさっそく「無駄にスカした少年」や「両親が海外出張中の少年」といった”主人公”役の男の子をサポートしております。そして”ヒロイン”役も「見慣れた金髪ツインテ女」や「押しの弱そうな少女」などビジュアルノベルの中ではお馴染みの属性を持った女の子ばかりです。迎えるのは弱気になっている”主人公”を”友達”が鼓舞させる場面。物語のクライマックス的な場面です。そんなイベントを複数のタスクで処理しているからバイタリティがあります。加えて日常生活ではエロネタを呟いたり後先考えなかったりとまさに”友達”役らしい噛ませっぷり。これを自覚的に演じているから凄いですね。ですが友近達也も1人の人間。”主人公”や”ヒロイン”の前では”友達”役を演じていても四六時中そうである訳ではありません。時には息をつきたくなる事もあるでしょう。そんな人間味あふれる友近達也の姿を見守って欲しいですね。

 そしてメインとして登場する”主人公”役の男の子と”ヒロイン”役の3人の女の子ですが、友近達也にとってマニュアル通りに事が進まない存在となっております。彼らとは過去に色々な繋がりがあるのですが、それを差し置いても基本的には”主人公”と”ヒロイン”ですので本来であれば誰かと結ばれて”友達”はサヨナラのはずです。ですがそうはなりません。何故彼らは神様の決めたルールに乗っ取らないのか。神様の決めたルールに例外は存在するのか。彼らには普通の”主人公”と”ヒロイン”にはない特別な力があるのか。この辺りを睨みながらプレイすると面白いかも知れません。果たして友近達也に春はやってくるのか。やってくるとしたらどのような結末なのか。ビジュアルノベルのメタ設定をついておりますので、色々と妄想しながら読んでみては如何でしょうか。

 プレイ時間は私で21時間40分程度掛かりました。この作品は2/14のバレンタインデーからスタートするのですが、1日1日の出来事を細かく描いておりますので結構なテキスト数になっております。その中で交差する登場人物たちの思惑、そして”主人公”と”ヒロイン”にまつわるイベント、是非結末を急ごうとせず自分自身も学園生活を送っている感覚でじっくりとプレイすると良いと思います。かなり日常の描写が多いので結末を急ごうとするとなかなかEDまでたどり着きません。日々の学園生活の中から”友達”役としての振る舞いや苦悩を感じ取り、ビジュアルノベルの醍醐味を味わって欲しいですね。


→Game Review
→Main


以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<大切なのは悩み苦しみながらも決断を下し、その決断の結果どんな事になっても後悔しないという覚悟を持つ事。>


(2015/12/10 作成)


※このネタバレ有りのレビューは真ルート追加前のバージョンをプレイしての内容となっております。


 結局のところ神様の決めたルールはあったのでしょうか?確かにそれは本当にあったのだと思います。ですがそのルールに縛られたのは友近達也だけだったのでしょうか?誰もか彼のことを気にかけながらも、本当の気持ちを言えないでいながら振舞っておりました。この物語のテーマは、神様の決めたルールから脱却することではなくただ自分の気持ちに素直になること、そして自分の行動に責任を持つことの大切さを問うたものなのかなと思っております。

 どのヒロインのルートに行ってもシナリオ展開は似ておりました。”友達”役を演じていながらもそのルールに縛られないヒロイン達。そしてそんなヒロインに対して自分の気持ちを押し殺す友近達也。それは全てルールを破って周りを不幸にする事を恐れての行動でした。それだけ過去に友近達也が恋した綾崎綾乃の死はトラウマとなっており、自分の大切な人の幸せを自分の手で壊してはならないという強い決意の表れでした。多くのプレイヤーはイライラした事と思います。「そこは自分の気持ちを曝け出せよ!」とか「いつまでも後ろ向きでいるなよ!」と思った事と思います。ではもしあなたが友近達也の立場だったらどうだったでしょう。好きな人が死ぬかもしれないという状況でそんな無責任が行動がとれるでしょうか。そう簡単に決断できる事ではないのです。

 それでも友近達也は最終的にどのヒロインにも自分の想いを伝え添い遂げる事が出来ました。それはルールを恐れなかったからではありません。たとえルールに縛られて最終的に不幸になったとしても、自分の気持ちに素直に従う事の方が大切だとお互いに思う事が出来たからです。自暴自棄になるのとは全然違います。怖いことはルールを破って不幸になる事ではなく、大切な人と離れ離れになる事。自分の本当の気持ちを押し殺して知らない男と添い遂げても、何も意味はないのです。そして、その決意にたどり着くまでに散々悩むこととなりました。ともすれば間延びしているかのような日常の描写ですが、この積み重ねこそが2人の思いを深めていく過程です。イライラしても目を瞑ってはいけないのです。この日常の積み重ねがあるからこそEDでの晴れやかな姿に、我々プレイヤーは安心する事が出来るのです。

 そしてこの作品には「自分の気持ち」と「責任」という言葉が何度も登場しておりました。ルールに縛られて”友達”役を演じている友近達也はまさに神様の操る人形。そこに自分の気持ちはありません。ですがルールがあるという事は行動に責任を伴うという事。社会人であれば必ずブチ当たる壁だと思います。自分の気持ちを押し殺してルールに従うのはごく当たり前の行動です。それを気持ち1つで破り結果として誰かが不幸になれば、その責任は一生かけても取ることが出来ません。今作は神様の決めたルールという非常に曖昧なものでしたので一概に同じではありませんが、当事者にとってみれば人間が決めたルールよりもよっぽど怖いものであると思いますね。何しろ人が死んでいるのですから。まさに「自分の気持ち」と「責任」の板挟み。この物語は「もしかしたら破っても大丈夫かも知れない」という誘惑との戦いの記録でもありました。

 物語最後、どのルートでも選択肢が登場しました。ルールに従うのかルールを破るのか。自分の気持ちを押し殺すのか自分の気持ちに従うのか。これは全て自分の行動に責任が取れるのかという事。そしてどれだけ相手の気持ちを理解しているのかという事でもあります。実際のところどちらの選択も間違いではなかったのです。ヒロインと結ばれたのは結果オーライ。まさにビジュアルノベルらしさ。もしかしたら最悪の結末すら待っていたのかも知れません。大切なのはその決断をした結果どんな事になっても後悔しないという覚悟を持つ事。そしてその覚悟を持てるだけ相手を信頼できているという事です。

 人によっては「ビジュアルノベルのメタ的テーマを題材にしておきながら随分とまあご都合主義なEDじゃないか!」と思った人もいると思います。私も初めはそうでした。結局のところ「自分の気持ちに素直になり色々無かった事にしてヒロインと相思相愛になる」というありがちなハッピーエンドなシナリオかとも思いました。ですが大切なのはそこではないのです。そんなメタ的設定の中で悩み苦しみ、そして1つの決意をした登場人物たちの気持ちを想像することがこの作品の読み方なのではないかと思っております。まだ真ルートが解禁されてませんので真実は分かりませんが、この作品はそんな揺れ動く男女が1歩大人に近づいた物語なのかなと思っております。ありがとうございました。


→Game Review
→Main


以下は更なるネタバレです。
真ルートを含め全てをプレイされた方のみサポートしておりますので、見たくない方は避難して下さい。








































<最後の最後まで友達でいようとした達也。その姿はきっと神様もちゃんと見ていたと思いますよ。>


(2016/1/7 作成)


 きっと達也は神様のルールがあっても無くても、綾乃が死んでしまったとしても死んでなかったとしても、そんな事は関係なく”友達”として他人の為に動くことが出来る奴だったのでしょうね。根っからの友達体質。不幸体質と言ってしまっても良いかも知れません。あれだけ自分の事を好いてくれた”ヒロイン”達を尽くフッておいて、その上で”友達”として幸せにするですからね。こんな大仰な事、主人公でも言うことが出来ません。閏年の奇跡は、そんな達也に対する神様からのご褒美だったのではないかと思っております。

 まずは彰と綾乃のトリックには驚かされました。真ルートをプレイしている途中で一つ思った事がありました。ここまで徹底的に姿を見せない金髪の美少女がいよいよ後半で登場したとして、果たしてプレイヤーを納得させるシナリオになるのかと。ここまで献身的に達也の事を慕ってくれた3人のヒロインをフッておいてその上で登場する真のヒロインは愛着の持てる存在なのかと。そして蓋を開けてみたらそんな心配は必要ありませんでしたね。何しろ金髪の美少女の正体は、達也が小学校の時から今の今までずっと側にいた存在だったのですから。

 思えば彰が過去のことを覚えていないというのも下手な事を言って正体がバレるのを防ぐ為だったのですね。カラオケに行きたがらなかったのも声で正体がバレるからでしたし、体育の時間は常に欠席だったのも着替えでバレてしまうからでした。彰が達也の家に泊まったとき先にお風呂に入れたもの、母親の小さな気遣いがあったんですね。女の子のお客様が来てるのに、一番風呂でない訳には行きませんからね。彰が普通の主人公と違い達也に思慮深いのも綾乃の罪滅ぼしの1つでした。そうやって懸命に正体を隠してそれでも達也に幸せになって欲しいと願った綾乃、その心中は葛藤と理不尽さと諦めで埋め尽くされていたのだろうと思います。

 結局のところ、誰もが他人の為に行動し他人の心情に思いを馳せていたからこそこんなややこしいことになったんですね。家のことを考えて彰として生きる決意をした綾乃。そんな綾乃が死んだのは自分のせいだと思い込み徹底的に友達に徹した達也。そんな達也にしたのは自分のせいだと思い込み不必要な責任に縛られた那波。風路も綾乃の正体や命の病気の事を知りながらも第三者として見守る事しか出来ませんでした。命に至っては自分の生命と大切な人の気持ちを天秤にかけましたからね。そんな歪な人間模様と神様の気まぐれで生まれてしまった友達ルール。そして閏年の奇跡。別に誰が悪いとかそういう事ではありませんね。大切なのはそんな歪な関係を壊そうと皆が動いたこと、そしてその行動に対してちゃんと責任を取ったという事です。

 正直に言えば、もうとにかく真ルートが長くて長くて仕方がありませんでした。何しろこれまでの3人のルートと同じような出来事同じような事件を再び辿っているのですから。しかも相変わらず達也は友達ルールと自分の気持ちの間で揺れ動き、自分のフィルターを取り払う事が出来ないのです。これではこれまでのルートの焼き直しではないか!しかも金髪の美少女はいつになっても出てこない。何故ここまで長ったらしく繰り返すのか謎でした。でもまあ、それも達也が”友達”として全員を幸せにするという結論にたどり着くまでに悩んだ時間なんだと思えば、まあ十分納得できますね。そして自分が好きになるとしたらかつて好きだった綾乃しかいない。そう心に決めてその通りに選択肢を選んでいったら、いつの間にかEDにたどり着いておりました。

 長い長い回り道をしました。神様に振り回されあるかないかも分からないルールに振り回され、沢山の主人公とヒロインに振り回されました。それでもそんな達也の頑張りはきっと神様はちゃんと見ていたのだと思います。閏年の奇跡は確かに存在しました。ですがそれは見方を変えれば閏年くらいルールに縛られなくてもいいじゃないかという神様の気持ちにも思えます。きっとこれからも達也は友達として他人の為に四苦八苦するのだと思います。ですがそれでいいんです。それが友近達也という人間なのですから。そしてそんな友近達也だからこそ綾乃は惚れてしまい、生涯を添い遂げると約束したのですから。願わくば、達也と綾乃の関係だけは神様にも誰にも干渉されずそっと見守って欲しいですね。ありがとうございました。


→Game Review
→Main