M.M 僕らのノベルゲーム
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
9 | 9 | - | 87 | 4〜5 | 2020/10/7 |
作品ページ | サークルページ |
<決してドラマティックな展開がある訳ではなく等身大の登場人物ばかり、それなのにどうしてこれ程まで心を揺さぶるのだろう。>
この「僕らのノベルゲーム」という作品は、個人でビジュアルノベルを制作されている九州壇氏(きゅうしゅうだんし)氏の作品です。氏の作品をプレイするのは今作が初めてです。切っ掛けは正直覚えていないのですが、氏のTwitterは時折拝見させておりました。非常に精力的にビジュアルノベルを制作されており、また交友関係も広くビジュアルノベルをアクティブに盛り上げようという気概のある方という認識がありました。そんな氏が2020年8月に発表されたのが今回レビューしている「僕らのノベルゲーム」です。正直な話、タイトルを見た瞬間にプレイしようと思い個人的なリストに追加させて頂きました。当時非常に長編の商業ビジュアルノベルを読んでいた私にとって、待ち遠しい気持ちすら持っておりました。これまで創作論をテーマにした作品に外れは1つも無かったという事もあり、勝手に過剰すぎる期待を持ってプレイさせて頂きました。
主人公である樋口新平は、海栄高校に通う高校2年生です。文芸部に所属しており、同じ部員であり同級生の篠崎美央・谷口香織・大峯達志と部長であり1年先輩の古賀遥を含めた5人で平凡ながらも落ち着いた部活動生活を送っておりました。ですが、樋口新平にはもう一つ別の顔がありました。それはフリーのノベルゲームを制作するクリエイターとしての顔です。これまで個人でノベルゲームを制作しており、3本の作品を世の中に発表しております。そんなクリエイターとして十分な素養を持っていた樋口新平の元に、友人である大峯達志からある提案が降りてきました。それは「文化祭を目指して文芸部でノベルゲームを作らないか」というものでした。元々ノベルゲームを作っていた樋口新平にとって願っても無いチャンスでした。そして、樋口新平にはずっと心の底から描きたいと願っていた存在がいました。今こそ樋口新平が一番に描きたい物を書けるチャンス、ですがそれは順風満帆とはいかず困難を伴うものとなるのです。
プレイ開始して直ぐに、非常に丁寧に作られている事を感じました。BGMはフリー素材を使用しておりますがその全てが場面に合っており、場の雰囲気をいち早くつかむ事が出来ます。またこの作品はノベルゲームを取り扱っているという事で、ノベルゲーム界隈の方でなければ分からない言葉にはTipsという形で注釈を付けております。初めてビジュアルノベルに触れる方に対する配慮が見受けられます。そして、単純なテキスト・立ち絵・背景だけではなく時に図示したりブレイクタイムを設けたりとプレイヤーを飽きさせない工夫もあります。様々な要素が読むという動作を阻害しない程度に主張しており、まさにビジュアルノベルの醍醐味を再現している教科書の様だと思いました。
そして個人的に一番素晴らしいと思ったのは、等身大の高校生らしいキャラクターです。ビジュアルノベル界隈に精通している方であれば、いわゆる属性という物については十分熟知していると思います。眼鏡を掛けた委員長・喧しいクラスメイト・おっとりした先輩・陽キャなクラスメイト、といった感じです。この作品の登場人物もそのような属性に対してベクトルは同じなのですが、その大きさはあくまで現実的でありリアルに存在しそうと思ってしまいました。もちろん、メインの登場人物は全員文芸部ですので創作に対する拘りは一入です。時に強力なスキルを発揮しシナリオを展開させてくれます。ですが、ベースとなるキャラクターはあくまで等身大の高校生です。それが絶妙なリアル感を演出しており、スッと作品に感情移入させてくれました。時に強力な個性をもつ登場人物がいるからこそ作品を牽引するという事もあると思います。ですがこの作品はそうしたものではなく、等身大さを追求し徹底した事で全体的に作品を牽引していると思っております。
そして、そうした等身大の登場人物だからこそ当たり前のように見える日常が尊く輝いて見えるのかも知れません。この作品の特徴として、ドラマティックな場面はほとんど登場しません。これは全くドラマティックな場面が無いという意味ではありません。一般的なビジュアルノベルに見られるフィクション的な展開がほとんど無いという事です。現実世界においても、ドラマティックな展開や修羅場な展開など何年かに1回か2回あるかだと思います。大体は転ばぬ先の杖、ある程度の計画性を持って行動しますので想像以上の劇的な展開など滅多にお目に掛かれないのです。それでも、小さな喜びや悲しみに私たち人間は心を震わせ悩みます。その積み重ねが人生であり、ありふれた平凡な生き方に価値を見出すのだと思います。この作品もまたそうしたありふれた平凡な喜びや悲しみを取り扱っており、ドラマティックな展開を用いる事無く美しいものを表現しておりました。ここまでストイックに拘った作品、本当に久しぶりでした。お見事でした。
プレイ時間は私で4時間15分でした。選択肢は無く、一本道でエンディングにたどり着く事が出来ます。この作品は文化祭を目指してノベルゲームを作るシナリオです。場面が展開される度に右上に「文化祭まであと〇〇日」と表示され時の流れを明確に把握する事が出来ます。また日常の場面と実際に作中で作っているノベルゲームの場面を交互に見せ、その事で時の流れも把握させております。何が言いたいのかと言いますと、飽きないのです。フリーのビジュアルノベルにおいて4時間は比較的長い部類に入ると思っております。それでも4時間に感じなかったのは、氏が拘った日常描写と普遍的なテーマの賜物と思っております。まだまだ知らない作品があるなと、そして創作論をテーマにした作品には何か起爆剤の様な物があるなと、そんな事も思いました。もっと氏の作品が読みたいと素直に思いました。ブラボー!
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
<今、自分が好きな物を好きだと思えているのは、決して当たり前ではなくとても幸運で尊い事。>
「好きだったものも、簡単に嫌いになってしまえる」
人生の中で、失ってみて初めてその有難みが分かるという事があると思います。今自分が手にしている物、そして環境は未来永劫続く事などあり得ません。時間の経過と共に、街は変化し人間関係は変わり、そして自分自身も年齢を重ねていきます。その事に気付きもしないで、どこかで永遠に続くと思っていると錯覚してしまうのが人間だと思います。もしかしたら、好きな物が好きでなくなる瞬間があるかも知れません。ですがそれもまた仕方がない事、何故ならその気持ちが事実なのですから。それでも、決して意図しない形で好きな物を嫌いな物にはしたくないなと強く思いました。
物語中盤、順調にノベルゲーム制作を続けていた筈だった文芸部ですが、新平が美央の家から出てきた場面を達志が見てしまうところからその歯車は崩れてしまいます。美央に対して恋心を持っており告白してもなお諦めきれなかった達志、そこまで好きな美央がよりによっていつも隣にいる新平と一緒に居る場面を見てしまったのです。これまで気持ちが乗っていた筈のノベルゲーム制作への情熱が一瞬にして消えてしまうのも分からなくはないと思います。こればっかりは理屈ではありません。個人的に人間は究極的には感情で生きる生き物だと思っておりますので、特に創作活動において一度こうなってしまったら自分で気持ちを切り替える以外に立ち直る方法はないと思っております。そして、そんな事は本当であれば新平は勿論誰でも分かるはずなんです。創作が好きだからと言って四六時中創作が出来るかと言ったらそんな事はありません。お腹が空いたり眠くなったりすれば当然手は止まります。それと同様のレベルの出来事が起きただけです。問題は、そんな簡単な事にすら気付かない程日々の恵まれた生活に慢心していた新平でした。
新平は達志に「約束は守れ」と言いました。自分だって頑張ってるのに、どうして達志だけ許されるのかとすら思いました。一見正論に見えますし、事情を知らない人が聴けば新平を支持すると思います。ですけど、この事について新平が支持されるされないなど全くの無意味でした。何故なら、新平が正しかろうと間違っていようと達志が再び創作活動をするかしないかには何も関係ないからです。むしろ新平が正論を達志にぶつければぶつける程、達志は自分の気持ちに向き合うのと別の部分で物事を判断してしまう事になりました。具体的には、文芸部への申し訳なさ、新平に対する怒りと悲しみ、焦りです。達志だって書かなければいけない事は百も承知でした。好きな人が決して自分の望み通りにならないと悟っても、約束は守らなければいけないと思っておりました。それでもどうしても気持ちが乗らない、こういう時は周りの部員も言ってましたが時間しか解決してくれません。それが分からなくなる位周りが見えていなかった新平は、ある意味幸せだったんだろうなと思います。
結果として達志は退部届を出しました。こんな結末、新平は望んでおりませんでした。それでもこうなってしまったのは、間違いなく新平の行動が原因でした。周りからの冷ややかな視線、決して完成しないノベルゲーム、その事実に新平もまた創作ノートを破り捨ててしまいました。好きだったものが、一瞬にして嫌いな物になってしまったのです。怖いな、と正直思いました。私も、今行っているレビュー活動やそれ以外の趣味、比較的順調に進んでいる仕事、そうしたものが一瞬で嫌いな物になってしまうのだろうかと思ってしまいました。時にはどれだけ自分が気を付けていても嫌いになってしまう事はあるかも知れません。ですが、大概の場合は自分の周りに対する配慮の無さが原因だと思っております。どこか慢心して心無い言葉を言ってしまう。当たり前ではないのに当たり前だと錯覚してしまう。そうした油断と言いますか弱さこそが、人間らしさであり尊い部分だなと思っております。
全てを失ったと思った新平、創作活動など二度とやるものかと思った新平、ですがその気持ちは鬼瓦君が描いた彼女の姿にアッサリと吹き飛ばされてしまいました。自分は何をやっていたのだろう、好きという気持ちの前にどれだけ小さな事で無駄にしてしまったのだろう。もっと大切なものがあったのではないか。自分に出来る事があるのではないか。素直になれば良かった。自分にもっと真剣に向き合えば良かった。周りの声を聞けばよかった。そんな気持ちがフラッシュバックし、泣いてしまいました。やっぱり自分は創作が好き、嫌いになったのもプライドが見せたまやかしでした。そう気づいた新平の行動は真っ直ぐでした。今までの行動を謝罪し、周囲に配慮しつつ精一杯の努力をするようになりました。そして最後、完成したノベルゲームは多くの人の目に留まる事となったのです。
一度どん底を味わい挫折を経験したからこそ、本当に自分が大切だと思う物に気付けました。そうであるのなら、新平はこれ以上この気持ちを失わない努力はするべきですね。今置かれている環境に感謝する、周りの人を信頼してみる、そして自分が本当に大切なものを守り抜く、といった事です。物語最後、木下の悪意によって大切な創作物が奪われようとなりました。ですが、新平は体を張って自分が大切なものを守り抜きました。そして守り抜いた先に得られたのは「このゲーム、メッチャ面白いぞ」という言葉でした。好きな物を好きでい続けて良かった、自分の間違いに気付けて良かった、きっとそんな事を思った事と思います。この作品をプレイして、私自身も襟を正す気持ちになりました。今の生活が当たり前と思っていないか、仕事が順調に進んでいるのは周りの人の協力があるからだと分かっているか、恣意的に物事を判断していないか、そして真摯に作品に向き合いレビューを書いているか、そんな事を思いました。四六時中気を張るのは出来ませんので時には腑抜けた姿を見せてしまうかも知れませんが、それはそれで認めてそこからまた新しく前に進んでいきたいと思いました。ありがとうございました。