M.M 鉄条の囹圄




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
8 8 8 84 13〜15 2017/5/28
作品ページ サークルページ



<登場人物達が訴えてくる言葉一つ一つを、目の前のあなた達一人一人が受け止めるのです。>

 この「鉄条の囹圄(読み方はてつじょうのれいぎょ)」という作品は同人サークルである「冬のいもうと」で制作されたビジュアルノベルです。冬のいもうとさんの作品をプレイするのは今作が初めてでして、切っ掛けはおすすめ同人紹介という個人サイトを運営しているみなみ氏がイチオシしていた事でした。氏のTwitterで、製作者さん限定ですがプレイし感想を書いたら何と報奨金を謹呈するとまで言う程です。氏が主催しているイベントである同人ゲーム・オブ・ザ・イヤー2016でも多数の部門でノミネートされております。果たしてどれだけ印象に残る作品なのか、そして製作者さん限定という言葉にどんな意味が込められているのか。その真意を確かめるべくプレイしてみました。

 時は現代の日本、舞台は架空の港街である犬釘市(いぬくぎし)です。犬釘市では最近奇妙な事件が多発しておりました。それは人が突然いなくなったり、原因不明の交通事故であったり、その種類は様々です。その為犬釘市では厳戒令が敷かれ、学校も週一回通うだけを余儀なくされておりました。人通りも無くなり閑散としてしまった犬釘市。しかり、夜になればその様相は一変します。受荊者と呼ばれる異能力者が跋扈し、そしてそれを追う2つの組織が街を駆け巡ります。1つは鉄槌同盟と呼ばれるテロ組織、もう1つはブラザーフッドと呼ばれる受荊者による犯罪の撲滅と打倒鉄槌同盟を掲げているレジスタンスです。因縁を抱えた2つの組織がぶつかりあう時、物語は誰もが思わぬ方向へと舵を切ることになるのです。

 この作品は異能力バトルものです。そして同時にそれぞれの登場人物が自分の生き方を見つける物語です。この作品は全ての登場人物に生きる目的があり戦う理由があります。誰も酔狂で遊んでいるのではないのです。力と力、異能力と異能力がぶつかったとき、そこに人間のドラマがあり肉体ではない精神的なぶつかり合いが存在します。それは時に仲間の信頼を失ったり、自分の戦う意義を失ったりもします。それでも最後は自分の正義が勝つ、そう信じて戦い続けるのです。見ていてあまり清々しい気持ちになる事はないかも知れません。だからこそ、彼らの一言一言に耳を傾けてみて下さい。時にプレイヤーをも巻き込んが展開に、必ずや何か心を付くものがあると思います。

 ですがここまで書くだけでは正直割とよく聞く異能力バトルもののプロットです。これだけでは何故みなみ氏がここまで強く推薦するのか伝わりません。この作品の真骨頂は起承転結の転の部分からのシナリオ展開です。ネタバレの関係がありますのでここでは何も言えませんが、確かにみなみ氏が「製作者にこそプレイして欲しい」と話していた事が頷けるものでした。それ程までに登場人物たちの主張に魂が篭っており、製作者のみならずプレイヤーもまた彼らと真剣に向き合わなければいけなくなるのです。私自身、「これは禁じ手だよなぁ…」って唸ってしまいました。ズルいとかではないのです。唯ひたすらに登場人物たちの主張に耳を傾けざるを得ないのです。何を言っているのかわからないと思いますので、気になった方は是非プレイしてみて下さい。

 その他BGMや背景についても作品を十二分に盛り上げるものでした。BGMについては、バトル時はアゲアゲのメタルであったりシリアスな部分は穏やかなピアノ曲であったりと使い分けがしっかりしてます。何よりも、場面転換と言いますか空気が変わった瞬間に劇的にBGMが変わるのが印象的でしたね。雰囲気の変化表現をBGMに委ねているのが住み分けが出来ていて良かったと思います。背景は実際の風景を加工したものを使用しております。知っている人には一発で分かりますが、横浜市沿岸の観光地でしたね。私自身半分以上は過去に足を運んだ事のある場所ですし、聖地巡礼もしやすいですね。演出についてですが、これは1つ上の段落で書いた事に関係しておりますので割愛します。1つ言えるのは、プレイヤーも巻き込んだ力の入ったものだという事くらいですかね。

 プレイ時間は私で13時間40分掛かりました。一般的な同人ビジュアルノベルと比較してだいぶ長いです。ですがそれだけ説得力のあるテキストが続きますので継続して進める事が出来ます。特に後半の展開は驚きの連続で、4時間くらいぶっ続けでプレイしてましたね。決して商業では実現できない、実に同人らしい作品だと思いました。確かに製作者を中心にプレイヤーにも一度は考えてみて欲しい命題が綴られれましたね。面白かったです。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<さて、物語は幕を下ろした!ここからは俺たちが俺たちの人生を生きよう!>

 最後までプレイして、これは実にレビュアー泣かせの作品だよなと思いました。何しろ作中で「鉄条の囹圄」という作品のレビューをやっちゃってるんですもの。そして予めプレイヤーが思うであろう言葉を先取りしている。随分とまあ傲慢で憎い作品だと思いました。ですがこれこそが登場人物たち、そして製作者が素直に思っている事なんだろうなとも同時に思いました。

 私は創作活動をしておりませんので気持ちは分かりませんが、製作者の方たちと話をしている中で「自分ではこう描きたいと思っていてもキャラクターが勝手に歩き出すんですよね。なんかこう書かないとキャラクターが生きないみたいな。」というセリフを聞くことがあります。もしかしたらこれこそが鉄条の囹圄で言いたかったことなのかも知れませんね。物語は勿論全て製作者の手によって書かれているものであり、そこで生きるキャラクターの生き方もまた製作者のさじ加減で決まってしまいます。ご都合主義な展開、主人公補正、山あり谷ありのプロット、そしてみんな幸せになりましたとさ。使い古された表現もそうではない表現も結局は全て製作者が決めており、私たちプレイヤーはそれをキャラクターの動きを通して垣間見るしか出来ないのです。

 では、自分の手の中で動くはずのキャラクターが自分の手を離れるという場面になったらどうでしょうか?第四の壁を乗り越えてついに物語そのものにまで手を加えることが出来るようになった栂野ゐち。もはや設定にすら自分の意のままですので、義堂禮を始め誰も彼に勝てることはできなくなりました。早々登場人物ではなくなってしまったんですね。もはや製作者。その時点で栂野ゐちを止める事は誰も出来なくなっておりました。ですがそれは栂野ゐちが物語の中で悠久の時を生きることが出来なくなったという事もでもありました。神様みたいなものです。それに気づいたとき、栂野ゐちは自分の存在意義を失ってしまいました。

 後で読み返して気づいたのですけど、この作品って主人公は誰か決まっていないんですね。栂野ゐちは自分の事を主人公と言ってましたけど、これって栂野ゐちが勝手に言っているだけなんですよね。もしかしたらサマエルの力を使って自分で自分を主人公にしたのかも知れません。だとしたら、それは余りにも虚しい事だと思いました。韮谷令吾は「主人公の目的は読み手に寄り添うこと」と言っておりました。実際のところ、主人公の役割ってこれしかないんですよね。好き嫌いは別に主人公かどうかに関わりませんし、韮谷令吾は確かに栂野ゐちの事を好きでしたけど主人公だとは言ってませんでした。それを考えたとき、栂野ゐちはどう考えても主人公ではありません。あんな傲慢で物語にまで介入してくる存在に、いったい何人が寄り添うでしょうか。ましてや「俺は主人公だから何をしてもいい」なんて、驕りなんて言葉では済まされません。そのような存在は、最終的にはプレイヤーに切り捨てられるんですよ。

 途中、栂野ゐちはプレイヤーに対して「お前たちの感想なんて気にしてない」と言っておりました。製作者すら超越しプレイヤーをも拒絶し、おまえはいったい何処へ行くんだと思いました。そして全ての物語を自由に書き換えることが出来る人生に、何の意味があるのだと思いました。俺は悪党だ、でも実はいい奴でした、例えばそんなセリフを呟かれてももはやプレイヤーの心に何も響きません。全てが本当で全てが嘘。それが栂野ゐちが選んだ道だったのです。傲慢を通り越して、愚か・哀れとすら思いましたね。だからこそ、そんな栂野ゐちを不憫に思いを義堂禮・滴草青緑・日向しのぎは主人公であるをろくの力を借りて栂野ゐちを救おうとしたんですね。

 自分が物語を制御しているはずなのにその物語の登場人物たちに救われる、ちょっとしたコメディですね。ですがそれで良かったのだと思います。最後、滴草青緑は「俺たちはこの世界で俺たちの物語を生きる」と言ってました。結局のところ、登場人物たちは作品の中でしか生きれないのです。ですがそれは悪いことでも悲しいことでもありません。というよりも、実は製作者もまた彼らの一生を全て把握しているわけではないのです。公式HPで冬のいもうとさんはこの作品の推定プレイ時間を7〜8時間と設定しておりました。つまり、製作者が登場人物について知っているのはたった7〜8時間なんですよね。勿論途中削ぎ落とした部分もありますが、それを含めてもとても何年というボリュームにはなりません。何が言いたいのかといいますと、登場人物たちは物語が終わったあとでようやく製作者から解放され、彼らの物語を生きる事が出来るのです。

 「そしてみんな幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。」ではその後の生活はどうなるのでしょうか。それは登場人物達しか知らないのです。後は製作者もプレイヤーも想像するしかできません。きっと製作者もプレイヤーも好き勝手な事を言うでしょう。でもそんな事、登場人物達にしてみたら糞くらえですね。勝手に言ってろ、俺は俺の人生を生きる。そんな声が聞こえてきそうです。この作品は、物語とその中で生きるキャラクターの人生に焦点を当てた特異な作品でした。そして登場人物たちは製作者が思う以上に強い存在だということに気づかせてくれました。もしかしたら、私が今公開しているレビューに対しても色々悪態ついているのかもしれません。まあ、それも良いでしょう。想像するだけなら、製作者も登場人物もプレイヤーも自由なのですから。ありがとうございました。


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