M.M 積層のAestivum
シナリオ | BGM | 主題歌 | 総合 | プレイ時間 | 公開年月日 |
7 | 8 | - | 83 | 3〜4 | 2018/5/27 |
作品ページ (サークルページと同じ) |
サークルページ |
<扱っている題材は非常に重いもの。それらを一つ一つ噛み締めて、そして一歩一歩積層して最後までたどり着いて下さい。>
この「積層のAestivum」という作品は個人のゲーム製作者である「keeha」氏が制作されたビジュアルノベルです。この作品をプレイした切っ掛けですが、以前Twitterで「自分が500本目にレビューする作品名を予想し正解したら、正解者がリクエストした作品1つをレビューします!」という企画を行いました(その時のツイートはこちらからどうぞ)。そして見事正解された方が4人もおりまして、その中の1人からおすすめされた作品です。何故この作品を私に勧めようと思ったかを尋ねたところ「絶対に私が好きなジャンルだから」との事。私の500本目の作品名を当てるくらい私の性質を理解している方が私が絶対に好きなジャンルと言い切る、これ程信頼感のある言葉もありませんね。完全に自分のお気に入りの作品になると信じてプレイし始めました。
タイトルにある積層とは、その字面の通り「層を積み重ねること」という意味です。そしてaestivum(読み方はアエスティウム)とはラテン語で「夏の」という意味の言葉だそうです。他にもコムギの学名(Triticum aestivum)やスノーフレークの学名(Leucojum aestivum)の一部としても使われております。正直、タイトルだけではどのような作品なのか全くイメージが湧きませんでした。何よりも、タイトル画面の背景には雪に覆われた森の様な場所で佇む女の子の姿が描かれております。全く夏の雰囲気がありません。唯一連想させるとしたら、雪が降り積もっている様子が積層という言葉にリンクするくらいでしょうか。この女の子からどのような物語が紡がれるのか、これは悲しい話なのか楽しい話なのか、想像するだけなら自由ですのでとにかく期待度を上げさせて頂きました。少なくとも、タイトル画面で流れるピアノを基調としたサウンドは十分私好みでした。もしかして、BGMが私の好きなジャンルという意味だったのでしょうか?それはきっと間違いないのですが、きっと雰囲気も私好みなのだろうと勝手に決めつけてましたね。
主人公である少年「里柊(りしゅう)」は、ある日冬の森の中で目を覚ましました。里柊は何故か自分の過去の記憶を持ち合わせておりませんでした。自分はどこから来たのか、何をしようとしているのか、そんな事すらも分からなかったのです。そんな里柊の目の前には一面の雪と森、そして1人の人間の靴の足跡がありました。何も手がかりのない里柊はとりあえずその足跡を辿ります。そして、その先には1人の女の子が眠っていたのです。彼女の名前は愛夏(あいか)、どうやら彼女も何らかの理由で森の中に迷い込んでしまったようです。何も目的のない里柊は、とりあえず愛夏の目的である街に向かう事を達成するために動き始めます。いくつもの困難を経て森を抜けたどり着いた街で、2人は驚くべき事実と向き合う事になるのです。
この作品の一番の特徴。それは作品全体を包み込んでいる儚い雰囲気です。BGMはピアノを中心とした柔らかい楽曲がメインであり、ちょっと気を抜けば聞こえなくなりそうな程寂しげです。そして舞台は暗い冬の森の中です。どこまで進んでも抜け出せないかのような重々しい場面に、大きな絶望感を覚えると思います。そして登場人物は自分の所在も目的も分かっておりません。一体自分たちはどこへ行けばいいのか、そして何をすればいいのか、戸惑うのはキャラクターもそうですけど私たちプレイヤーも同様だと思います。彼らを応援したいけれど何を応援すればいいか分からないのです。ただ少なくとも分かるのは、この作品は決してコメディの様な明るいものではないという事です。作品全体を包んでいる侘しさ・寂しさ・切なさ・そして儚さに浸りきってみて下さい。
そしてこの作品にはノベルパートと探索パートの2つがあります。ノベルパートはいわゆるテキストを読むパートですが、探索パートは実際に画面の気になったところをクリックしてヒントや情報を集めるパートです。例えば、森を抜ける過程でどうしても川を渡らなければならない場面が出て来ます。ですが、近くに橋は見つからずどうすればいいか一見分かりません。そこで、周辺の情報を探して整理してそこから解決策を見つけていくのです。このような仕掛けが幾つも用意されており、登場人物とプレイヤーが一緒になって目的を達成していきます。絶対に出口の無いような森を何としても抜け出さなければならない。その焦りも加わって非常に臨場感を感じる仕掛けだと思いました。
プレイ時間は私で3時間40分程度掛かりました。この作品は探索パートこそありますが、物語としては一本道です。途中の謎解きをこなしていけば後は彼らの行く末を見守るだけになります。この作品の見どころ、それは探索パートや儚い雰囲気も勿論そうです。ですが、それらはあくまでこの「積層のAestivum」という作品を彩る要素の1つであり、あくまで物語が主題となります。最後までプレイして、まさにこの主題が私にとって非常に好みであり好きなジャンルでありました。この作品もまた、ネタバレは厳禁な物となっております。そして、物語を読み進めていく中でどんどん不安になり悲鳴を上げたくなるかも知れません。それでも中々最後までたどり着く事はありません。それだけ大切な物を扱ったシナリオだという事です。是非、彼らの歩く道の軌跡を積層し、その先に待っているものを見届けてあげて下さい。心にジンワリと残る作品でした。
以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。
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<どれだけ雪が降り積もってもいつかは溶ける日が来る。その時、ようやく幸せは見えるのかも知れません。>
この作品の目標は何だったのでしょうか。目の前の現実を受け入れて前に進む事でしょうか、大切な人を見失わない事でしょうか、生き抜く事でしょうか。勿論それら1つ1つの要素もまた大切な物です。ですがそれは本当の目標を達成する為の及第点でしかありませんでした。この作品の目標であり彼らが目指していたもの、それは「幸せになる事」です。幸せの形は人それぞれであり、その為に自分がどれだけ心を込めたのかが大切なんだなと思いました。
最初から最後まで実に暗く切ないシナリオでしたね。記憶のない里柊と目的を失った愛夏、どこまで進んでも終わらない冬の森を抜けるだけでも精一杯でしたのに、その先に待っているのは時が止まった新樹市でした。暗く凍てついた森を抜けたのに、その先に待っていたのは人の温かさが全くない森以上に不気味な街だったのです。そして、そこから更に明らかになる里柊の過去と椿という女の子の存在、そして友代村という限界集落の真実でした。全くもって救いのない設定であり世界、進めば進むほど絶望がのしかかってくるシナリオにクリックする手を何度止めようと思った事か。プレイ時間は3時間40分でしたが、実際は1時間ごとに長めの休憩を取り、心を落ち着けてから少しずつ進んでいきました。それだけ一気にプレイするのは忍びなかったですね。
ですけど、それ以上に辛かったのは里柊・愛夏・椿の気持ちがあと一歩相手に届かなかったジレンマでした。椿はかつて両親と言い争いをしてしまい、それが切っ掛けで疎遠になってしまいました。両親から送られてくる手紙にも自然と目を通さなくなり、最後の最後まで両親の事を信じる事が出来ませんでした。勿論、友代村のしきたりと誰も信じられない状況で両親を信じろという事の方が無理というものです。それでも、最後の手紙を見ていたら。封筒の中に入れられていた部屋の鍵に気付いていたら。もしかしたら椿は死なずに済んだのかも知れません。
愛夏もまた、友達や両親を信じる事が出来ませんでした。唯一信じていたおばあちゃん、ですけどそれは信じるというよりは依存していたと言うのが本当だったように思えます。ある意味おばあちゃんも信じ切れていなかったのではないでしょうか。最後に愛夏が縋ったのはやはりおばあちゃんの軌跡。そうして一人慣れない森の中に迷い込んでしまい、あの時が止まった新樹市を彷徨う事になりました。おばあちゃんが死んだとき、少しでも周りに相談できる人がいたら。いや相談できる人はいたのに、その人を信じる事が出来たら、愛夏はこの冬の森に迷い込む事は無かったのかも知れません。
この作品では後悔という言葉も大切なキーワードになっております。あの時こうすれば良かった、そのような気持ちはきっと世界中の誰もが持っているものだと思います。ですけど、それは叶えられないから悔やむんですね。あの時誰かを頼ればよかった、あの時一歩前に踏み出せばよかった、あの時立ち上がればよかった、そんな後悔を繰り返しておきながら、未だに前に進めない3人がそこにいました。ですけど、背中を押す切っ掛けをくれたのは誰だったでしょうか?それもまた、今目の前にいる2人でしたね。里柊・愛夏・椿の凄いところ、それは後悔して失敗して、それで前に進む事を諦めても「幸せになる事」だけは忘れなかったところだと思っております。
主人公である里柊、大切な母親を失い、友達もおらず、友代村に追いやられて夢も希望もない生活を送っておりました。それでも人との出会いがあれば必ずそこに夢と希望は生まれるのです。里柊にとっても夢と希望、それは椿と一緒にオーロラを見に行く事でした。あの写真集の景色を見てみたい、そんな夢と希望を忘れることなく持っておりました。ですけど、そんな椿も病に倒れ命を落としてしまいました。そして後悔しました。自分は唯指をくわえて見ていただけだと。愛夏・椿には、まだ最後に縋るものがあったんです。ですけど、里柊にはこれで本当に縋るものは無くなりました。里柊にとっての幸せは、この時確かに無くなったのです。
ですけど、幸せって1つとは限りませんね。全てを失った里柊、それでも彼は愛夏と出会う事が出来ました。そして、そこから新しい幸せが生まれたのです。物語最後、椿は里柊に「どうか、君は生きて」と声を掛けました。それは、里柊が自分の中に希望を持っている事に気付いていたから。そしてまだ里柊は生きているからでした。椿は両親の愛情に気付けました。後は、里柊が生きていればそれで幸せなのです。愛夏もまた自分が生きている事を実感しました。そして里柊を弟として迎え入れる事が幸せとなりました。「…幸せにね」という椿のセリフ、それは里柊だけでなはく愛夏への気持ちも込められているように思えてなりません。
沢山の死と不幸が積み重なりました。どれだけ夢と希望を持ってもそれを覆いつくすように彼ら3人に降りかかりました。まるで止まない雪のようです。積層とは、そんな振る雪の積み重ねを表現したように思えました。ですけど、溶けない雪はありません。春になり夏になれば溶けます。それはまさにaestivumそのものです。里柊と愛夏は生き延びました。そして大切な存在に気付けました。彼らに積もっていた雪が、溶けたんですね。溶かしたのはもちろん自分の力でです。ですけど、それを椿も手伝ってくれました。後は、幸せになるだけです。幸せにならなければいけないんです。この作品は、長い長い回り道をしてようやく幸せを見つけるまでの軌跡を描いた作品でした。ありがとうございました。