M.M さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
6 7 7 75 6〜7 2016/7/18
作品ページ(R-18注意) ブランドページ



<とにかく視覚、聴覚とあらゆるものを駆使して表現された狂気に浸かってみて下さい。>

 この「さよならを教えて 〜comment te dire adieu〜」という作品は美少女ゲームブランドである「CRAFTWORK」で制作されたビジュアルノベルです。ビジュアルノベル業界に詳しい方で恐らくこのタイトルを知らない人はいないのではないでしょうか。いわゆる「狂気」を題材にした作品としてプレイの有無に関わらず話題となった作品であり、加えてこの作品を作ってまもなくCRAFTWORKが倒産したという事で尋常ではないプレミアが付きました。私が昨年の12月に確認した時は、中古で59,800円もの値がついてましたからね。そんな伝説のゲームが発売から15年の時を経てついにDL販売され、誰でもプレイできるようになりました。私もこの機会に購入し、どのような狂気が待っているのか楽しみにしながらプレイしました。

 主人公はとある女子学校に教育実習生としてやってきております。ですが日々の実習に精神をすり減らし、加えて連日天使が怪物に陵辱されるという悪夢にうなされるようになり完全に参っておりました。それでも保健医である大森となえや指導係である高島瀬美奈に叱咤激励されながら実習の日々を送っているのですが、その中で出会った5人の生徒との出会いが彼の運命を動かすことになります。学校の生徒である彼女たちに恐れ、愛着、情欲などといった気持ちを持ちながらも自分が為すべき事を求めて夕暮れの校舎の中を彷徨う主人公は、いつしか現実と妄想の区別のつかない世界へと入り込んでしまうのです。

 始めに断っておきますが、グロや血、陵辱などの描写に耐性の無い方はプレイしない事をおすすめします。この作品で表現される狂気はまさに言葉通りで、常識や倫理といったものは一切通用しません。加えて直視できない描写がただ表現されるだけではなく、事実の前後関係すら不覚になってしまう展開が待っております。自分が今どこにいるのか、誰と話しているのか、何が目的なのか、どうして目の前の少女が血まみれになっているのか、全てが不明瞭で不完全。主人公でなくても混乱してしまいます。言ってしまえば訳が分からないのです。まともにシナリオを読み解こうとか、キャラクターの心理描写を掴もうとしても太刀打ち出来るものではありません。それでも構わないというのであれば、どうぞこの狂気の世界へと入り込んでください。

 そしてそんな狂気の世界を演出しているのはそうしたグロや血、陵辱の描写だけではありません。上でも書きましたが、主人公は夕暮れの校舎の中をひたすら歩き回ることになります。何故か夕暮れだけなのです。目を覚ましたときの朝の描写ら教育実習をしているはずの日中の描写が無いのです。とにかく夕暮れ。オレンジに染められた風景と少女たちの姿が美しく描かれます。そしてBGMもまた消え入りそうなものばかりです。ピアノ曲もあればドラムを鳴らす曲もあったりとかなり様々なジャンルの曲があるのですが、全てがどこか儚げと言いますか危なげなんですよね。まるで仮初であるかのようなBGMは逆に不安を増長させます。全てが計算尽くされたかのような雰囲気はより狂気を加速させ、更にプレイヤーを不安に陥れる事でしょう。

 プレイ時間ですが私で6時間30分程度かかりました。この作品は一日ごとに主人公が校舎のどこを回るかを選択させます。そしてその先で出会う少女との会話の中で更に選択肢が登場し、最終的にそれぞれのヒロインとのルートに分岐していきます。その為トータルでの選択肢の数は割と多く、途中セーブ&ロードを行わないとエンディングにたどり着けないかも知れません。夕暮れの校舎を徘徊するのは主人公だけではなくプレイヤーも同様です。夕暮れ時は別名逢魔が時。校舎の中に魔物などいるはずがないのですが、もしかしたら魔物というものは実態を持ったものだけではないのかも知れませんね。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<主人公が本当のさよならを理解するのは、いつの事になるのでしょうね?>

 彼は一体何に対して「さよなら」したのでしょうね?妄想の学校の中で少女たちと出会い、そして少女たちの希望を叶えて「さよなら」した主人公。それでも彼の妄想は終わらず新しい妄想が始まってしまいました。思うに、そもそも前提が間違っているのだと思うのですよ。もしかしたら主人公は「さよならをしなければいけない」という妄想に取り付かれているのではないでしょうか。

 大森となえは「彼は生真面目な性格だった」と言っておりました。真面目な性格の人って、物事に対して明確な答えを探す習慣がある気がするんですよね。中途半端は良くない。良いものは良いし悪いものは悪い。それこそ、作中でずっと語られていた白と黒のようです。グレーゾーンなんて許されないのです。どんな物事にも必ず答えがある。そしてそれを見出せば幸せになれる。主人公はそんな妄想に囚われていたのかも知れませんね。それが彼にとっての「さよなら」をするという事。物事に白黒つけないければ、さよならをしてはいけないと思い込んでいたのです。

 ですが現実世界はそうではありません。必ずや全ての物事が良いか悪いか分類できる訳ではないのです。小中学校の時は大抵「親や先生の言う事を守っていればいい」生活だったと思います。それは親や先生が言っている事が絶対に正しい事であり、間違っているはずがないと信じているからです。ですがその後大人になり改めて自分の小中学校時代を振り返ってどう思うでしょうか。あの時親や先生が言っていたことは正しかったでしょうか。必ずしもそうではないと思います。見方や立場が変われば正しいものは間違いになり、間違ったものは正しくなるのです。人生なんてそんなものです。誰もが自分の価値観を正しいと信じて、社会や周りと知らず知らずの内に戦っているのです。絶対的な白や黒なんてありえない。であるならせめて自分が信じるものだけでも白にしよう。それ以外はどうしようもないから目を瞑ろう。それが大人になるという事なのかも知れません。

 そういう意味で、主人公はきっと大人になれなかったんですね。世の中の物事は全て正しいか正しくないかに分ける事が出来る。白か黒しかありえない。天使がいるなら怪物もいる。そんな妄想に囚われて抜け出せなくなっていたのだと思います。まさに子供。そんな主人公に都合の良い存在なんて、もはや猫やカラス、人形や剥製など人間以外の存在しかいなかったんですね。唯一の人間である巣鴨睦月は主人公と相反する天使という存在。怪物である自分には触れることが出来ない存在でした。結局のとこを、最後の最後まで自分の殻に閉じこもり続け、少女たちにするべき事を終えてさよならしたと思っていたのは全て自分の脳内だけの出来事。それでは、自分が何者かなんて一生見つかりませんね。誰も彼を否定しないのですから。

 タイトルにある「さよならを教えて」とは、そんな妄想の世界に対してどうやってさよなら出来るのかを教えてという意味なのではないかと思っております。そしてそれは現実世界を受け入れるという事、自分にとって都合の良いものだけを見るのではない目を背けたいものも認識するという事です。その上で自我をしっかり持ち、自分だけの正義を作っていくのです。主人公の教育実習生としての妄想は終わりました。ですが次はインターンとしての妄想が始まりました。誰か彼に本当のさよならを教える事が出来るのでしょうか?そして彼はその本当のさよならを聞き入れる事が出来るのでしょうか?今頃主人公は夕暮れの病院の中で、また5人の少女と他愛のない会話をしながら白黒つける戦いをしている事でしょう。純粋すぎる事こそ、本当の狂気なのかも知れないですね。ありがとうございました。


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