M.M 青い鳥症候群-1654-




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
7 7 - 77 3〜4 2016/9/20
作品ページ(R-18注意) サークルページ(R-18注意)



<立場や性が違うからこそ自分の生き方を確立することが意味を持つ。そんな人生観溢れるシナリオが待っております。>

 この「青い鳥症候群-1654-」という作品は同人サークルである「Chivalry」で制作されたビジュアルノベルです。Chivalryさんの作品は過去に「金魚鉢夢想」「狐灯夜伽話」をプレイした事があり、人生観をテーマとしたシナリオは深い設定付けがなされていて読み応えがありました。そして「狐灯夜伽話」については獣っ娘がメインヒロインの作品という事で、当時の私にとっては非常に衝撃的な内容で印象に残っておりました。他にも「妖精が悪戯してくる件」といったおバカなコミカルゲーも作られており、非常に幅の広い作風なサークルさんという印象です。今回レビューしている「青い鳥症候群-1654-」もパッケージの表には手を広げた獣っ娘、裏を見れば不思議な男女の恋愛観をイメージしたあらすじとChivalryさんらしいデザインでプレイするのをとても楽しみにしておりました。

 舞台は変転と呼ばれる大風によって2度強制的に変化を余儀なくされた現代の地球。そこに住んでいる人は唯の人間だけではありません。人間と動物が混じった通称「混ぜ者」と呼ばれる存在、そしてNORAと呼ばれる第三の人類とされる存在、そのような人とは異質の存在が当たり前のように存在しております。ですが主人公が住むシーナ国ではそのような混ぜ者やNORAは低い地位の存在であり、特にNORAには自由など殆どなく仕事も勝手に決められ戸籍も持てず何よりも名前すら持てない存在です。主人公はNORAです。彼女を示すものは1654という番号のみ。そんな彼女にヨウコという名前を与えてくれた存在がメインヒロインである混ぜ者のビビ。生きにくい国の中で、ヨウコとビビ2人の幸せの青い鳥を探す物語が幕を開けるのです。

 この作品の最大の魅力は何といっても獣っ娘であるビビの存在ですね。ビビはネズミと人間が混じった混ぜ者であり、身長も130cm代ととても小さいです。それでもおっぱいはとても大きく、また明るく勝気な性格でありとても母性溢れる存在です。何よりもヨウコの事を一番理解しております。NORAであり自由のないヨウコは時に自分の存在意義に疑問を持ってしまうのですが、そんなヨウコに対して常に明るく振舞っており誰よりもヨウコの事を気遣っております。この作品はヨウコとビビが幸せを追い求めるシナリオです。NORAであるヨウコと混ぜ者であるビビが目指す幸せとは何か、閉鎖的であり差別的である社会にどう向き合っていくのか、お互いの性にどう折り合いを付けていくのか。2人の不器用ながらも必死に生きる姿を見て欲しいですね。

 そしてこの作品にはヨウコとビビの他にも何人もの人物が登場し、その誰もが自分の生き方に不安を抱えております。ヨウコと同じNORAの友達であるミーナ、街を歩いている時に声をかけてきた自称フェアリーと呼んでいる女性、彼女達の振る舞いや行動もまたヨウコの生き方を決める物となっております。公式HPでも「コミュニケーションが苦手な色々な人たちが、手を差し出しあう度に影響を受けたり傷ついたりして、助け合って生きていくお話です。」とうたっております。立場や性が違うからこそ自分の生き方を確立することが意味を持つ。そんな人生観溢れるシナリオがあなたを待っております。

 プレイ時間は私で3時間30分程度掛かりました。True Endは1つでして、幾つかの選択肢を経てたどり着く事が出来ます。選択肢の数はそれほど多くありませんので迷うことなくTrue Endにたどり着くことが出来るはずです。またHシーンも複数用意しており、小さくても豊満な体の獣っ娘ビビと女から男になり体の扱いがまだ分からないヨウコの赤裸々な姿を見る事が出来ます。またこの作品はBGMや背景も注目するべきポイントです。BGMは全体的にピアノを中心とした静かなものが多く、どこか異国の情緒を感じさせます。そして背景もやはり日本ではないどこかの風景が鮮やかに描かれており、テキスト以外の素材でシーナという架空の国を演出しております。決して長いシナリオではありませんので、そんなBGMや背景も楽しみながらのんびりと読んでみるのもオススメです。キャラクター像と人生観溢れるシナリオはまさにChivalryさんらしさそのもの。是非多くの人に手に取って貰いたいですね。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<人は一人では生きられない。それでも自分の幸せは自分でしか決めることができない。>


「青い鳥は、近くにあったんだ」


 私、実はメーテルリンクの「青い鳥」を読んだ事はないのです。それでもそのあらすじはあまりにも有名ですので私も知っておりましたし、その後形を変えて多くの人達の心に生きております。どこにいっても見つける事が出来なかった幸せの青い鳥、ですがそれは実は自分のすぐ傍に当たり前のように存在していた。知っている人であればもう青い鳥という言葉を見ただけでオチが読めたのかも知れません。それでも人はどうしてなかなか青い鳥に気が付かないのでしょうね。この作品は、ヨウコとビビが本当の幸せにたどり着くまでに色々と回り道をしてようやく見つけるまでの物語でした。

 よく耳にする言葉で「幸せは人が決めるものではなく自分で見つける物」という物があります。人間誰しも得意不得意があり生まれも性別も趣味も立場も全然違う、だからこそ他人の幸せを羨むのではなく今の自分の生き方を見つめ直して納得して生きることが幸せにつながる、という意味だと思っております。いわゆる「隣の芝生は青い」ですね。価値観が多様化している現代だからこそ大切にした言葉だと思いますし、生きる為に心に刻みたい言葉だと思います。ですが私はこうも思うんです。他人を知らないとそもそも自分が幸せかどうかも分からない、と。もし世界に自分1人しか人間がいなかったら、どうやって自分が今幸せなのかと判断するのでしょう。おそらくそこに幸せも不幸せも無いのだと思います。あるのはただ生きるという事。この作品のテーマは確かに「青い鳥」そのもの。ですが、もう一つのテーマとして「人は一人では生きられない」という事が語られておりました。

 生まれながらにして自由もなく仕事も勝手に決められてただ単調な生活を送ることを義務付けられているNORAという存在。傍から見たらとても不幸に見えるかも知れません。ですが見方を変えれば彼らはとても幸せなのです。何故なら飢え死にする事がないからです。自由である事は自己責任であるという事です。仕事がなくお金がなくても自己責任。ですがNORAであればそんな心配はありません。自分で意識的に行動しなくても生きる事が出来るのです。これほど楽な事はありません。人によってはNORAになりたいと思う人もいると思います。

 ではヨウコはビビと出会わずずっとNORAとして生きていたほうが幸せだったのでしょうか。そうではありませんでした。作中でも「絶望もないけど、希望もない」「どんな人でも新しい世界を私に教えてくれる」と言っておりました。上でも書きましたが、人は一人では生きられないのです。自分がどんなに惨めでもお金を持ってなくても、逆にどんなに立場が上でもお金を持っていても、人との触れ合いがないと生きていけないのです。そしてそれは楽しい事ばかりではなく嫉妬や羨望といったものも当然生まれます。自分と同じ人は誰ひとりとしていません。誰にも自分が持ってないものがありますし、それは自分にとって喉から手が出るほど欲しいものです。「隣の芝生は青い」なんて、そう簡単に割り切れたら誰も悩んだりしません。他人と関わりを持ちながら、それでも自分の大切なものを見失わず生きる。敏感でも鈍感でもダメなんだと思います。これはとても難しい事。昔と比べてSNSなどにより情報が飛び交っている現代の方が、よっぽど青い鳥は見つけられないですね。

 ヨウコは最後、NORAとしての義務である仕事よりもビビに会う事を優先しました。そしてビビと共に全てを捨ててキョーラを目指す決意をしました。ですがここに至るまでに多くの人からの言葉と自身の経験がありました。サーニの行動がなかったら、フェアリーの協力がなかったら、主治医の助言がなかったら、自分自身NORAとしての生活を見つめ直さなかったら、きっとビビという存在の尊さに気付かなかったのだと思います。そしてそれはビビも同じ。幸せになるのは戸籍を取ることだけではありません。そしてその事に気付かせてくれたのはヨウコが必死にビビに会いに来てくれたからです。同じだったんです。ヨウコもビビも同じだったんです。人は一人では生きられない。それでも自分の幸せは自分でしか決めることができない。その事に気づけたからこそ、2人はキョーラにたどり着けたのだと思っております。体も性も立場も全然違う2人。そんな2人が青い鳥を見つける事ができた幸せな物語でした。ありがとうございました。


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