M.M CLANNAD




シナリオ BGM 主題歌 総合 プレイ時間 公開年月日
10+ 10+ 10 97 50〜 2007/3/11
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<…なるほど、これがKeyの言いたかった事か。>

 「CLANNAD」が発売すると聞いて、一体どれ程の人間がこの作品に期待した事でしょう。なにしろ、あの「Kanon」「AIR」を作った「Key」の三年半ぶりの新作です。特に、「AIR」と言う作品がこの世の中に出てから多くの方は「もう、これを超える作品は作れない。」と思った事でしょう。そんな中に満を持して登場した「CLANNAD」、感想として、Keyがゲームを通して一番言いたかった事を伝えた作品だと思いました。

 「CLANNAD」とは北欧ゲール語で「家族」と言う意味です。そんなタイトルからも想像できるように、この「CLANNAD」は様々な家族の物語を描いた作品となっています。しかしその点に関しては、これまでKeyが作ってきた「Kanon」「AIR」とも繋がる部分はあると思います。この「CLANNAD」が過去の2作品と明らかに違うところは、シナリオとテーマの両方を「家族」と言う題材に設定した事です。

 この「CLANNAD」と言うゲーム、登場人物のほぼ全員がそれぞれ形の違う家族の中で生活しています。そして、それぞれの家族にはそれぞれの事情と物語がありました。ですが、目指すテーマは「家族とは絆で結ばれているもの」でほとんど言い切れると思います。詳しく語るにはここでは狭すぎますが、これこそがKeyの最も言いたかった事なのだろうと思います。そして、この最も言いたかった事をKeyは「CLANNAD」と言う形をとって最もストレートな形でぶつけてきたのではないかと思います。ストレートに伝わってくる分シナリオも理解し易く、また同時にその奥にあるテーマもすんなりと受け入れる事ができました。

 それではその他の部分について少し話したいと思います。まず音楽ですが、これはもうお墨付きかと思いますがあいかわらず美しいです。特に今回はヒロインの数も多いという事でBGMの数もかなり多くなっています。サウンドトラックはギャルゲーとしては珍しい3枚組みとなっている程です。そしてボーカル曲ですが、今回は「riya」さんを中心に全部で4曲のボーカル曲がありました。こちらの方も相変わらずの美しさで、個人的には「-影二つ-」と言う曲がお気に入りになりました。

 そんな美しい世界観で語られる「CLANNAD」ですが、欠点としてこれだけは言っておかなければいけません。それは未だかつて無かった程の選択肢の難しさです。基本的に、目的のヒロインのルートに行きたければそれに絡んだ選択肢を選んでいけば問題はありません。ですがこの「CLANNAD」、シナリオの性質上それだけでは絶対にコンプリート出来ません。今までやってきたギャルゲーの感覚で挑むと必ず泣きを見ることになります。自力でクリアするにはそれ相当の覚悟が必要です。

 ずいぶんあっさりとしたレビューとなってしまいましたが、とにかく「家族」と言うものの大切さを考えさせられたシナリオでした。まさに満を持して登場したこの「CLANNAD」、決して後悔はさせないと思いますので、長い時間をかけてゆっくりとプレイする事をオススメします。


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以下はネタバレです。見たくない方は避難して下さい。








































<変わる事の辛さと、それを包み込む家族の「新しい定義」>

 私がこの「CLANNAD」というシナリオで考えさせられた事は、Keyが「家族」と言う物を全く新しく定義しなおした点にあります。

 一般的に「家族」とは、血縁関係にある者が一つ屋根の下で生活する集団であったり、そうでなくても戸籍上一緒であれば家族と呼べる物でした。しかし、エピローグにもあったとおりKeyは家族を「人と町、両方が両方を信頼し愛する事」と定義していました。これを念頭に置くと、今まで無関係に思えてきたそれぞれのヒロインのシナリオもどこか繋がってくる気がして来ます。そして、そういった家族の思いが「光」となって町に積もるのだと思います。

 After Storyの中で、町の様子が変化していくことを朋也は悲しんでいました。そして、その悲しみはおそらく「町」も感じ取ったのでしょう、それに反応するかのように渚の体調は悪くなっていきました。これは、おそらく町の思いと人の思いが交錯する中で、その両方に触った渚が過剰に反応してしまったからだと思います。だからこそ、様々な家族に触れてその思いを手に入れた朋也が、渚を助けて欲しいと願えば町もそれに応えるのです。渚が助かったのは、朋也の思いが通じただけでなく、人々の幸せな思いが光となりそれを町が渚を助ける力に変えたからだと思います。こういった町と人の関係を端的に示したのが「幻想世界」だと思います。

 幻想世界については色々な解釈があるかと思いますが、私はあの2人はやはり人(=朋也)と町(=汐)ではないかと思いました。人とは違う次元にいる少女、そんな少女だけが作る事のできるロボット、そしてなにかしら意志を持った光、これはそのまま町と人間の関係にはまると思います。そして、この関係は汐と朋也の関係に類似しています。父親に訴える汐とそれになかなか応えない朋也、ですが5年の歳月がたってようやく2人は思いを共有することが出来ました。この構図はやはり少女とロボットに似ています。

 とここまで色々と考えた事を話してきましたが、この光や幻想世界について深く考える事に私はあまり意味を持たないと思います。何よりも、変化する日常の中でそれでも信じていける家族の存在を全面に押し出したシナリオにただただ感動したと言う他ありません。人間が生活する上で大切な事は「変わっていく事の辛さを受け入れ「家族」を信じて生活していく事」、このKeyが打ち出した真のテーマを感じられればそれだけで十分な作品だったと思います。

 真のエンディングを渚生存Endに持っていったことはやはり登場キャラクターやプレイヤーを意識した為だと思いますが、正直汐Endもある意味真のエンディングだと思います。なぜなら、このエンディングでも朋也は家族を思う大切さに気づく事ができたからです。でもやっぱり、だれも悲しまない渚生存Endが一番好きです。時には悲しい運命が待っているのが人生ですが、この「CLANNAD」の様に最後には世界中の人も町もみんな幸せに「家族」になれれば良いと思いました。


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